34-18398
商品番号 34-18398

通販レコード→仏ロイヤル・ブルー銀文字盤[オリジナル]・フランス製棒付きジャケット
初出は9月録音のシュワルツコップとの《フィデリオ》からのアリアがカップリングされている。 ― 1958年リリースだから60年前の録音になる。カラヤン最初のベートーヴェン交響曲全集録音となった、このフィルハーモニア管弦楽団とのセッション録音による演奏は若きカラヤンの颯爽とした指揮ぶりとフレッシュなオーケストラの健闘ぶりで有名な存在で、LP時代にはモノラルながら聴きやすい音質ということで高評価を得ていました。英EMIはウィーン・フィルで録音した「フィガロの結婚」と「魔笛」の成果を認めて、1951年6月からウォルター・レッグのフィルハーモニア管弦楽団でカラヤンのレコード制作に乗り出す。ワルター・ギーゼキングとのグリーグ、フランクが最初だった。続くベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲録音から、ベートーヴェンの交響曲第7番のレコーディングに移っているから、交響曲全集録音の目論見はあったと推察できる。「レオノーレ」序曲第3番、「コリオラン」序曲を挟んで、交響曲第6番「田園」となるから、交響曲との組み合わせを工夫したのだろうか、現在でも利益を支えるカラヤンになると予測できなかっただろうから、人気歌手エリーザベト・シュヴァルツコップの歌声を交響曲第5番「運命」と組み合わせている。ただし、ここに纏わるミステリーは後述するとして、英EMIの偉大なレコード・プロデューサー ウォルター・レッグが目指したのは、未来の演奏会やアーティストを評価するときに基準となるようなレコードを作ること、彼の時代の最上の演奏を数多く後世に残すことであったという。レッグは戦後ナチ党員であったとして演奏を禁じられていたカラヤンの為にレッグ自ら1945年に創立したフィルハーモニア管弦楽団を提供し、レコード録音で大きな成功を収めたが、これに先立つこと1947年1月ウィーンでレッグとカラヤンが偶然出会い意気投合したことで、早速9月よりウィーン・フィルとレコーディングを開始する。こうしてレコード録音で評価を広めるレッグ&カラヤン連合軍の快進撃の第一幕が開いた。英米の本当の連合軍もレッグのロビー活動により、カラヤンに公的な指揮活動が許されたのと前後している。この快進撃の第一幕が、「フィガロの結婚」でした。このウィーン・フィルとのレコーディングは、1946年から1949年まで集中的に行われている。しかし、この時期のカラヤンとウィーン・フィルの演奏が評価の高いシロモノであったことが、その後カラヤンにとっての天敵フルトヴェングラーが亡くなった後にベルリン・フィルとウィーン・フィルがカラヤンを迎え、帝王として君臨することになる礎となったことは事実である。まさに、カラヤン芸術の原点として評価すべき時代の録音と云えるだろう。
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シュヴァルツコップとの「フィガロの結婚」は初期のステレオ録音より歌手の声がハッキリ聞こえる、より生々しい歌声に感じる円熟のモノラル録音と若きカラヤンの熱気と勢いありあまる演奏は文句なく素晴らしい。それはカラヤン&レッグ&フィルハーモニア管弦楽団のベートーヴェン交響曲全集が、交響曲第8番と第9番「合唱」がステレオ録音されていたことだ。しかも試験的とはいえステレオ録音にマイク・セッティングされて録音は残された。フルトヴェングラーの交響曲第7番の轍は踏まないと考えたのか、レコード録音の未来に積極的だったことがわかる。「疑似ステレオ」ではなく、「ステレオ録音」とありますが正しくは「モノラル・セッションで平行して撮られた試験的なバイノーラル録音」のようです。指揮者の前面にマイクを並べることでなく、カラヤンが指揮に立つ後方に、この「BINAURAL MICROFONE」がセッティングされていることから指揮者が聴いているオーケストラ・サウンドの再現をレコード録音のセールス・アピールにする目標としていたのでしょう。今年4月の熊本地震復興一年目の記念コンサートで、指揮者無しのブラームス交響曲第1番の演奏会でティンパニとブラスが通常とは珍しい配置になっていた。これも「モノラルでふさわしいオーケストラのサウンドを得るために」行われた配置による成果と思われる。SPレコード時代の録音では、ソリストがマイクの前に入れ代わり立ち代わりして行われていた。ブルーノ・ワルターが英EMIで録音した「田園」をはじめ、対抗配置に馴染んでいたのを米コロンビアでのステレオ録音ではストコフスキー・スタイルに強制されて、初期の録音に弦楽器群と管楽器のタイミングに戸惑いが聴こえる。しかしハーモニーのバランスの良さと音の輪郭の美しさは流石カラヤンである。曲の構成が良く理解できる演奏で、力みは全くない。ウオルター・レッグと契約したばかりの40歳代後半のカラヤンの指揮は晩年のイメージとは全く異なっている。カラヤンの若々しさを感じることが出来る演奏です。ストレートな表現ですが、大きなウネリみたいなものもあり、早めのテンポで前進していく意志の強い指揮だ。録音も極めて聞きやすい。
21世紀に入り惜しまれつつ亡くなったシュヴァルツコップは、様々な役柄において持ち前の名唱を余すことなく披露した。その絶頂期に残した素晴らしい完成度を誇るモーツァルト。最も得意としていたのは、その声質からしてもモーツァルトの楽曲であったと言えるのではないだろうか。オペラの録音というのは完璧なものなんて滅多にないもので、どこかに穴があるものだが、1962年に録音された歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」は指揮のカール・ベームをはじめてとして全てにわたって完璧である。フィオルディリージを歌うシュヴァルツコップの美しさ。こんな女性が相手なら、私は喜んで欺されてあげたくなる。本盤、1950年に録音されたカラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団での歌劇「フィガロの結婚」などにおいても素晴らしい歌唱を披露しており、シュヴァルツコップとモーツァルトの楽曲の抜群の相性の良さを感じることが可能だ。決して綺麗な声で歌われているとは言えないのだが、どの曲もその濃厚な表情が美しい。愛らしくもあり格調高さを保つことを忘れない、この大歌手ならではの自在なものです。シュヴァルツコップは戦中にカール・ベームに認められてウィーン歌劇場でデビューを飾っているが、彼女の本格的な活動は戦後、大物プロデューサーのウォルター・レッグに見いだされ、その重要なパートナーとして数多くの録音に参加したことによる。そのレパートリーの多くはレッグが決定していたそうで、そのようなことを彼女自身が語ってもいる。シュヴァルツコップは大プロデューサーであったレッグの音楽的理想を体現した歌手の一人であったと思う。本盤のベートーヴェン:歌劇『フィデリオ』よりレチタティーヴォとアリア「人間の屑! 何をしているつもり?」と同日のセッションで、ベートーヴェンの演奏会用アリア「おお、不実なる者よ!」を録音している。が、カラヤンの伝記によると、この日はベルリンで行われたフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの最後の演奏会に立ち会ったことになっている。当日午後のロンドン~ベルリン間の移動が可能だったのだろうか。フルトヴェングラーとウォルター・レッグの決裂が背景にあるだけにミステリーとして残る。この後、ウィーンのムジークフェラインザールでの「合唱」、そして「薔薇の騎士」に至る。
エリーザベト・シュヴァルツコップ(Olga Maria Elisabeth Frederike Schwarzkopf)は1915年12月9日、ドイツ人の両親のもとプロイセン(現ポーランド)のヤロチン(Jarotschin, 現Jarocin)に生まれたドイツのソプラノ歌手。ベルリン音楽大学で学び始めた当初はコントラルトでしたが、のちに名教師として知られたマリア・イヴォーギュンに師事、ソプラノに転向します。1938年、ベルリンでワーグナーの舞台神聖祝典劇『パルジファル』で魔法城の花園の乙女のひとりを歌ってデビュー。1943年にウィーン国立歌劇場と契約し、コロラトゥーラ・ソプラノとして活動を始めます。第2次大戦後、のちに夫となる英コロムビア・レコードのプロデューサー、ウォルター・レッグと出会います。レッグは『セビリャの理髪師』のロジーナ役を歌うシュヴァルツコップを聴いて即座にレコーディング契約を申し出ますが、シュヴァルツコップはきちんとしたオーディションを求めたといいます。この要求に、レッグはヴォルフの歌曲『誰がお前を呼んだのか』(Wer rief dich denn)を様々な表情で繰り返し歌わせるというオーディションを一時間以上にもわたって行います。居合わせたカラヤンが「あなたは余りにもサディスティックだ」とレッグに意見するほどでしたが、シュヴァルツコップは見事に応え、EMIとの専属録音契約を交わしました。以来、レッグはシュヴァルツコップのマネージャーと音楽上のパートナーとなり、1953年に二人は結婚します。カール・ベームに認められ、『後宮からの誘拐』のブロントヒェンや『ナクソス島のアリアドネ』のツェルビネッタなどハイ・ソプラノの役を中心に活躍していましたが、レッグの勧めもあって次第にリリックなレパートリー、『フィガロの結婚』伯爵夫人などに移行。バイロイト音楽祭やザルツブルク音楽祭にも出演し、カラヤンやフルトヴェングラーともしばしば共演します。1947年にはイギリスのコヴェントガーデン王立歌劇場に、1948年にはミラノ・スカラ座に、1964年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場にデビュー。1952年には、『ばらの騎士』の元帥夫人をカラヤン指揮のスカラ座で歌い大成功を収めます。以来、この元帥夫人役はシュヴァルツコップの代表的なレパートリーとなります。オペラ歌手としてもリート歌手としても、その完璧なテクニックと、並外れて知性的な分析力を駆使した優れた歌唱を行い20世紀最高のソプラノと称賛されました。ドイツ・リートの新しい時代を招来したとまで讃えられシューマンやリヒャルト・シュトラウス、マーラーの歌曲を得意とし、中でもとりわけヴォルフの作品を得意とし、1970年代に引退するまで男声のディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウと並んで最高のヴォルフ歌いと高く評価されています。1976年にオペラの舞台から、1979年には歌曲リサイタルからも引退し、後進の指導にあたっていました。2006年8月3日、オーストリア西部のフォアアルルベルク州シュルンスの自宅で死去。享年90歳。
1954年11月9、10日ロンドン、キングズウェイ・ホールでのウォルター・レッグのプロデュース、ダグラス・ラーターによるモノラル・セッション録音。ベートーヴェン:歌劇『フィデリオ』よりレチタティーヴォとアリア「人間の屑! 何をしているつもり?」エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、フィルハーモニア管弦楽団、1954年9月20日ウォトフォード、タウンホールでのウォルター・レッグのプロデュース、ロバート・ベケットによる録音。初出は9月録音のシュワルツコップとの《フィデリオ》からのアリアがカップリングされている。同時に録音されたベートーヴェンの演奏会用アリア《おお、不実なる者よ!》は交響曲第4番との組み合わせが初出。
FR COL  FCX454 ヘルベルト・フォン・カラヤン ベートー…
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