34-5387

商品番号 34-5387

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輝ける音、極上のエレガンス ― 19世紀末から伝統として維持されてきた〝フレンチ・スクール〟の美質。その原点を語り部のごとく我々に伝えてくれるフルートの巨匠、マクサンス・ラリュー珠玉の名演。1934年マルセイユに生まれ、10歳でマルセイユ音楽院に入学し、ジャン=ピエール・ランパルの父ジョセフ・ランパルに師事し、1951年からパリ高等音楽院で、ガストン・クリュネルに師事する。1953年、ミュンヘン国際コンクール入賞、1954年にはジュネーヴ国際コンクールに優勝し、国際的な活躍を開始する。その後、パリ・オペラ座管弦楽団の首席奏者を経て、ジュネーヴ音楽院の教授を務める。日本へは1954年以来30回以上来演しており、エレガントで洗練されたスタイルの演奏と、圧倒的なテクニックは絶賛されている。フルート界に留まらない幅広いファン層を持っており、80歳代にして驚くべきことに今年(2018年)も9月に来日公演を行った。マクサンス・ラリューは、20世紀後半フランスのフルート界を代表する最も高名な奏者のひとりであり、その芸術は今日も輝きを失うことはありません。
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フランスのメソードは多くの名手を育てたけれど、フランスの伝統は近代の〝フレンチ・スクール〟だけではない。もっと古いバロック期、宮廷音楽家のオトテール族をはじめ、長い西洋音楽の歴史を持っている。私たちはその民族の子孫であり、誇りを持っていると、マクサンス・ラリューが、フレンチスクールについて話しています。パリ国立音楽院は1795年、「音楽は社会道徳を向上させる」という理念で設立され、優れた教授の下、優秀な生徒を世に送り出していました。フランスは、歴史に名を残すフルートの名手を幾人も出しています。そこでの採用は、当時の「世界公認」を意味しました。19世紀に活躍したドイツのフルーティストであり作曲家、楽器製作者のテオバルト・ベーム(Theobald BÖHM, 1794~1881, ミュンヘン)は、古典派からロマン派に移行して巨大化するオーケストラに対応し、フランス革命以降不足した演奏者に不安を思って、従来の楽器より簡単な運指と大きな響きを得ることが出来る新しいシステムの円錐(コニカル)ベーム式フルート(1847年特許)を作り出したものの、当時のドイツはオーケストラ音楽が中心で、他の木管楽器と音色がブレンドしないという評価からすぐには使われず、彼はこの楽器をパリに持ち込みます。抵抗に遭いながらもここでは徐々に受け入れられ、1847年のベーム作製、銀製円筒管フルートは1855年のパリ万国博覧会でグラン・プリを獲得する。その後パリの楽器メーカー「ゴッドフロワ(Godfloy)」がベームシステムのフルート製作の特許を得る。そして、1860年にはパリ国立音楽院の公式楽器となりました。採用を決めたのは、ルイス・ドリュス(Louis DORUS, 1812~1896)がフルート科教授に就いた1860年のこと。フルートのフレンチスクールはここからはじまるのだ。その後、フルートを吹く人で知らない人はいないジョセフ=アンリ・アルテス(Joseph-Henri Altès, 1868〜1893)によって新しいシステムのためのメソード(教則本)が書かれました。
ピアノの教則本に「バイエル」があるように、「アルテス」はフルート入門のためのバイブルである。アルテスの生まれた街ルーアンはパリの北西。パリより下流のセ一ヌ川沿いにあたり、昔はノルマンディー公国の首都だった。歴史的には、1431年にジャンヌ・ダルクが火あぶりの刑に処せられたことが有名で、古くから栄えた落ち着きのある小都市である。アルテスはこの街でフルートを勉強し、若干13歳でパリ音楽院に入学。1842年に15歳でプリミエプリを得ている。超人的技術の持ち主で(ヴイルティオーゾ)しばしばコンサートで大喝采を得た。1848年から1872年まで、パリ・オペラ座でフルーティストを勤める。1868年、パリ音楽院フルート科教授に就任。1893年まで25年間教鞭をとる。教則本全3巻は、1880年に完成された。他に「ファンタジー」「弦楽器との四重奏」「ピアノまたはオーケストラ伴奏によるソロ」など多数の曲を書いている。そこまで至るまでの1870年代。このころフランスは暗黒の時代。プロイセン戦争敗戦、ドイツ軍のパリ入城、パリコミューン、アルザス、ロレーヌ地方の割譲などで政治的に不安定。音楽活動も鈍っていたが、1873年にようやくパリ・オペラ座の活動を再開したとたんに火災で本拠地「サル・ペルティエ」を焼失してしまう。そんな時に作曲されたのがビゼーのオペラ「カルメン」である。1875年、初演は酷評だったがその後客足は途絶えなかった。この、今や最も有名なオペラの要所要所で大活躍するのがフルートで、「間奏曲」のメロディはフルートを知らない人でも知っている。こうしてパリのフルート界は少しずつ木製のフルートから銀製のフルートに代わってゆくのである。
そして19世紀後半の〝ベル・エポック〟の時代、フランスのフルートの演奏水準はヨーロッパ最高峰に達します。パリ国立音楽院の卒業試験課題曲として印象派作曲家の作品が作られ、名曲が多く残されました。パリ音楽院でルイス・ドリュスのクラスを卒業し、この頃活躍したクロード・ポール・タファネル(Claude Paul Taffanel, 1844〜1908)の功績も大きく、彼の教育は技巧的な演奏だけでなく、音楽の芸術性や精神を尊重する近代的な「美」を追求するものでした。独自の教育システムは「エコール・フランセーズ(フレンチスクール)」と言われるようになり、フィリップ・ゴーベール(またはゴベール、Philippe Gaubert, 1879〜1941)、マルセル・モイーズ(Marcel Moyse, 1889〜1984)、ガストン・クリュネル(Gaston Crunelle, 1898〜1990)など優秀な生徒を育てます。タファネルの後任はゴーベールが務め、その後、モイーズへと受け継がれます。しかしモイーズは1941年、ナチスドイツの侵略に抵抗しパリを離れ、不在を弟子のクリュネルに任せます。1945年、終戦でパリに戻ってきた時、クリュネルの席はそのまま残ります。それまで歴代1クラスしかなかったフルート科に2人の教授が並び立ち、やがて2つの流派へ枝分かれする事になりました。モイーズのクラスにはオーレル・ニコレ、アンドレ・ジョネ、ペーター=ルーカス・グラーフがおり、一方、クリュネルのクラスにはジャン=ピエール・ランパル、クリスチャン・ラルデ、マクサンス・ラリュー(Maxence Larrieu)、ミシェル・デボスト、サー・ジェームズ・ゴールウェイ(モイーズにも師事)らが学びました。
ヴィヴァルディ:フルートソナタ集
マクサンス・ラリュー
日本コロムビア
2004-03-24

ヴィヴァルディ:ピッコロ協奏曲 Op.79、ピッコロ協奏曲 Op.78、ピッコロ協奏曲 Op.83。Piccolo Flute and Sleeve Notes – Maxence Larrieu, Cello Soloist – Roland Pidoux, Harpsichord and Supervised By – Laurence Boulay, Violin Soloist – Pierre Doukan, Consultant – Alain Nohant, Orchestra – Orchestre Du Festival Du Grand Rué.CASSIOPÉEは、高額なフランス・マイナー・レーベル。
FR CASS 369 179 ラリュー ヴィヴァルディ・フルート協…