34-15392

商品番号 34-15392

通販レコード→仏ブラック・レーベル銀文字盤

全編これオッフェンバック節のリズムやロマンティックなメロディが次々と出て来る ― 喜歌劇『美しきエレーヌ』は、オッフェンバックの喜歌劇『天国と地獄』『パリの生活』『ジェロルスタン大公妃殿下』『ペリコール』といった代表作がある中でも、1864年初演された傑作でありトロイア戦争の原因となったパリスによる絶世の美女スパルタ王妃ヘレネの誘惑の話をパロディー化した楽しい作品です。その神話をたたき台にして、第二帝政下で問題となっていた人妻の不倫や社会的地位のある人々の放蕩ぶりを風刺していて、オッフェンバック作品の中では『地獄のオルフェ』(天国と地獄)と並んでヨーロッパでは人気作品。台本はオッフェンバック作品を数多く担当したアンリ・メイヤックとリュドヴィック・アレヴィで、このコンビは後に『パリの生活』や『ジェロルスタン女大公殿下』(『ブン大将』)でも台本を担当し、オッフェンバックと彼ら2人は名トリオとして一世を風靡した。また、彼らはビゼーのオペラ『カルメン』(1875年)の台本や、ヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ「こうもり」の原作となった戯曲『夜食』(1872年)も書いていることでも知られています。初演当初からこの作品に出てくる人物たちについて、誰をモデルにしているのかという様々な憶測をたてられた。特に近年にいたるまでタイトルのエレーヌのモデルではないかと噂された女性に、ナポレオン3世の皇后ウジェニーがいる。第二帝政を代表する美女としてその名をはせた皇后は、スペイン出身ということもあって、マリー・アントワネットが「オーストリア女」とフランスの国民から憎まれたように、オッフェンバックがこの作品を作曲した頃には「スペイン女」と呼ばれて、国民の人気が無かった。そのため、ありとあらゆる悪意のある噂を流されていた。実際のところはまったくの事実無根で、特定の個人ではなく、結婚はしたものの政略結婚や家同士の釣り合いを考えたものであるが故に愛情はほとんどなく、夫婦それぞれ勝手気ままに愛人を作っていた、当時の上流社会の人々を指していると落ち着いている。踵に弱点があったことで知られる英雄アキレウスの両親は、テティスとペレウス。紆余曲折を経て二人が結ばれた時には、神々も揃って招かれる豪勢な結婚式が行なわれた。しかし、何か手抜かりか、因果があったか争いと不和の女神エリスだけは式に呼ばれなかった。それに憤慨したエリスは、神々のテーブルに黄金のりんごをポンと投げ込む。場に緊張が走る。ゼウスの妻ヘラ、戦いの女神アテナ、そして美の女神アフロディテ(=ヴィーナス)、この3人がそれぞれ、りんごは自分のものだと主張して譲らない。女神たちに迫られて困ったゼウスは、トロイアの美しき王子パリスに審判を任せる。
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3人の美神がいつも以上に美しい姿になって、パリスに言い寄る。その中で、美の女神アフロディテに紹介された、スパルタ王メネラオスの妻エレーヌの美しさに目が眩んだパリスは、アフロディテに導かれてスパルタへ。彼女の母は、かつてのスパルタ王妃レダ。そして父親は、白鳥に変身してレダと交わったゼウス。ヘレネが人間離れした美しさを持つのは、その出自に理由があったのだ。結局エレーヌを手に入れることが出来ないままパリスは追い出されるが、その成り行きに女の対面がかかっているアフロディテがギリシャ中の女たちを快楽に飢えさせ、すべての人妻に夫を捨てさせるという復讐をする。家庭は乱れて、国体が危うくなる。やがて女神アフロディテの生地であるシテール島の大神官が登場し、女神の怒りを鎮めるには、エレーヌをシテール島に送り、白い仔牛百頭を女神に捧げるのだと、皆に告げる。実はこの大神官、パリスの変装。その正体を知ったエレーヌは嬉しそうに彼の船に乗ってトロイアへ出発。アフロディテの名声の威力を借りて、ついにパリスはスパルタの財宝ともどもヘレネを手に入れ、トロイアへ帰航する。このヘレネ略奪事件が発端となって、神々をも巻き込んだギリシャ対トロイアの大戦争、いわゆるトロイア戦争が始まるのである。エレーヌ役のジャーヌ・ロードは表現豊かなセリフで耳に頼るだけのレコードとして聴く時でも楽しませてくれる部分が大きい。しかも、男性歌手陣が概ね好調。清新なロンバールの音造りと相まみえて、聴き手を退屈させないものとなっています。生き生きしたリズムと陶酔的なメロディの歌わせ方、そして絢爛たるサウンド。1970年代にしては表情が濃厚で、ぞくぞくとさせてくれる瞬間を多くもっている。オッフェンバック音楽の魅力を存分に味わわせてくれる。
1950〜60年代のパリ音楽院管弦楽団(Orchestre de la Société des Concerts du Conservatoire)、シャンゼリゼ劇場管弦楽団、パリ・オペラ座管弦楽団、フランス放送(ORTF=Office de Radiodiffusion Télévision Française)交響楽団、そしてラムルー管弦楽団、コンセール・コロンヌといった当時のパリで持て囃されていたオーケストラ録音を聴くと、指揮者もオーケストラも、そして録音も個性的ではっちゃけていた。ステレオ録音の初期は、こうした嫌に元気な元気な録音でいっぱいである。アンサンブルが崩れようが、どこかのパートが落ちようが、ポンコツのまま構わず楽しそうに進む。ジュネーヴのヴィクトリアホールの美しい響きとデッカ録音の妙と、数学者でもあった指揮者の分析的な解釈として、精密さを印象づけていたエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団も、独創的でありながらの精緻な音楽だった。それも、ステレオ録音のレコードで国際的に聴かれるようになっていくとともに独創的な録音も影を潜めはじめる。そうして1960年代後半、パリ音楽院管弦楽団の終焉とともに新録音は完全にストップする。1990年代に佐渡裕がラムルー管を牽引するまで、健在ぶりさえ気にしなくなっていた。その代わりに、1970年代に地方に新設されたオーケストラが一躍脚光を浴びる。1970年代のフランス音楽界は、アンドレ・マルローとマルセル・ランドフスキのかいあって、「地方の時代」といわれたが、その柱には、フランス近代以降の音楽の発展を受け継ぎながら、極端に走らず、無調音楽を展開しようとした。それは、調性的な発想から出ており、伝統的でわかりやすい表現を良しとした独自の音楽語法で、教条的なセリー技法には、つねに異を唱えていた。それ故に前衛音楽に距離をとったことや世俗的・社会的な成功から、ピエール・ブーレーズとその ― 識者も含む支持者から攻撃されており、なんだかんだで、良くも悪くも、紛れもない都の息吹があった。ジャン=クロード・カサドシュ(1927年7月17日〜1972年1月20日)率いる北のリール、ミシェル・プラッソン(1933年10月2日〜)率いる南のトゥールーズ、そしてアラン・ロンバール率いる東のストラスブール。それぞれ独自のカラーを出しながらも、何かしら猥雑なエネルギーを放出していた。そう、当の都では忘れ去られた息吹が1970年代には地方に移ったのである。オーケストラ文化が伝播したかのように、懐かしいエネルギーが地方で息づいていたのである。それも昨今ではマルク・アルブレヒト指揮のストラスブール・フィルがリヒャルト・シュトラウスやベルク、フランス近代物などをリリースした録音を聴いて、その演奏はロンバール時代の勢いはそのまま、クオリティはかなり上がっているのに残念だった。もはや、パリだの地方だのいう時代でなくなってしまったことを実感した。
アラン・ロンバール(Alain Lombard)はリヨン国立管弦楽団の指揮者として1961年にデビューした後、渡米してニューヨークでレナード・バーンスタインの助手を務めたフランスの指揮者。1940年10月4日、パリに生まれ、パリ音楽院でガストン・ブールに師事、その後、フェレンツ・フリッチャイの元で研鑚を積む。1966年、ミトロプーロス国際指揮者コンクールに優勝し、国際的な活躍を開始する。1999年以降はスイス・イタリアーナ管弦楽団の指揮者を務めている。1971年から1983年までストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。主にオペラ指揮者として名高く、EMIやエラート・レーベルに数々の録音を残している。代表的な録音は、モーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」と「魔笛」、グノーの歌劇「ファウスト」と「ロメオとジュリエット」、ドリーブの歌劇「ラクメ」、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」、ビゼーの歌劇「カルメン」に交響曲ハ長調、ベルリオーズの「幻想交響曲」のほか、シューベルトの交響曲が挙げられるが、特にストラスブール・フィルと演奏したフランスの管弦楽曲の評価が高い。アンサンブルにはラフなところがあるが、ソロもウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の奏者の力量には及ばないが、存在感があり、一直線に豪快に鳴らしている。特に打楽器奏者が素晴らしく、打ち込みは小気味よいし、ここぞというときの迫力が凄い。演奏を聴き終えた後の爽快感は、ああ、いい音楽を聴いたという満足感は趣があり、このコンビは1970〜80年代に持て囃されていた。
ジャーヌ・ロード(ソプラノ)、レミー・コラザ(テノール) ジャック・マルタン、ジュール・バスタン、ミシェル・トランポン、ルネ・オーファン、ジェラール・フリードマン、ポール・ギゲ、ジャック・トリゴー、クリスティーヌ・バルボー、カトリーヌ・トリゴー、クリスティーヌ・プーレ=フェルナンデス、アラン・ロンバール(指揮)、ストラスブール・フィルハーモニック管弦楽団、ライン・オペラ合唱団。録音は1977年12月27日〜30日、1978年1月2日ストラスブール、Palais de la Musique et des Congrèsにて。原盤:仏 BARCLAY。1978年発売、2枚組。
FR BARCLAY 90201/02 アラン・ロンバール オッフェ…
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