DE  ORFEO  S027 823F セルジュ・ボド  グルック・アルチェステ
通販レコード→独ダーク・パープル銀文字盤

DE ORFEO S027 823F セルジュ・ボド グルック・アルチェステ

商品番号 34-10562

録音は多くないが秘めた情熱と高い音楽性を感じる指揮者 ― セルジュ・ボド(Serge Baudo)は1927年7月16日、パリ音楽院のオーボエ教授のエティエンヌ・ボドを父親に、高名なチェリストのポール・トルトゥリエを叔父に、音楽家の家庭に生まれたマルセイユのサラブレッド。パリ音楽院でルイ・フーレスティエに指揮を学び、1949年に指揮でプルミエ・プリを得る(他に和声、室内楽、打楽器でもプルミエ・プリを得た)。卒業後ラムルー管弦楽団のピアニストと打楽器奏者となり、1950年に同オーケストラを指揮してデビュー、続いてパリの主要オーケストラを指揮した。また国内の放送局で作曲家として活動を始め、ルイ・マルやジャック=イヴ・クストーらの映像作品の作曲を担当した。1959年にはエクサン・プロヴァンス音楽祭に登場して 指揮者としても注目を集め、同年ニース=コート・ダジュール管弦楽団の指揮者となる。1962年にはヘルベルト・フォン・カラヤンの代役としてミラノ・スカラ座でドビュッシーの歌劇『ペレアスとメリザンド』を指揮して一躍名を馳せる。また同年にはパリ・オペラ座の指揮者も務めた。そして長年にわたってエクサン・プロヴァンス音楽祭の常連指揮者としても成功をおさめてきた。1967年にパリ管弦楽団が設立された際にシャルル・ミュンシュの推薦を受けてその指揮者となった。ミュンシュは翌年急逝しカラヤンが音楽顧問となったが、その後もしばらくの間このオーケストラの指揮者の地位を続け、1969年にはメシアンの「主イエス・キリストの変容」を初演。1970年には同オーケストラを率いて来日している。指揮者ボドはチェコ管弦楽団の音楽監督として名を残していますが、遡ること1969年に地方オーケストラの育成を掲げた文化省からフランス南部を委任され、ローヌ・アルプ・フィル(1971年リヨン管弦楽団と改名)の音楽監督となり、リヨン歌劇場でも活躍してエマニュエル・クリヴィヌ黄金時代への礎を築いた。また1970年からはメトロポリタン歌劇場にも登場。世界のオーケストラへの客演でも幅広く、日本にもお馴染みの指揮者のひとりである。1969年から1987年までリヨン国立管弦楽団の芸術監督を、2001年から2006年の末までプラハ交響楽団の首席指揮者を務めた。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団とはオネゲルの交響曲全集や、ドビュッシー管弦楽曲集などの録音を残している。フランスの指揮者ながらフランスでの録音が少ない。パリ管弦楽団とのムソルグスキー「展覧会の絵」、ラヴェルの「マ・メール・ロア」、フォーレの「ペレアスとメリザンド」、ルーセルの「バッカスとアリアーヌ」他があるが、当然にすべて1960年代の録音である(EMI)。アルド・チッコリーニとのサン=サーンスのピアノ協奏曲全集(1970年、EMI)なども好演として印象に残っているが、器用さで損をしているような雰囲気があった。派手さのない手堅い指揮は、むしろメシアンなどに適していたようだ。そうした面でも、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団とのオネゲルのシリーズは成功している。交響曲全集(1960,63,73年)、「火刑台上のジャンヌ・ダルク」(1974年)、「ダヴィデ王」(1985年)、「クリスマス・カンタータ」などは貴重なレパートリーとなっている。チェコ・フィルとは他にシェーンベルク、フォーレ、ドビュッシー、シベリウスなどの「ペレアスとメリザンド」を集めた企画アルバムを録音している(1989年、スプラフォン)。CDは他にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団とのフォーレの「レクイエム」など(1991年)が出ている。抒情的な美しさと気品で我々聴き手を包み込み、テンポを誇張するスタイル。一般には、ベルリオーズ以降の近代フランス音楽の専門家と思われがちだが、ベートーヴェンやブラームスも得意としている。バイエルンの作曲家、グルックの歌劇《アルチェステ》は1776年のパリ版を用いたフランス語歌唱。バイエルン放送交響楽団&合唱団。ジェシー・ノーマンやニコライ・ゲッダ、トム・クラウゼ、ロバート・ギャンビルら、当時を代表する名歌手たちが登場。個性的な歌唱を存分に楽しむことができます。1982年6月7〜18日ドイツ・ミュンヘン、バイエルン放送第1スタジオ、ステレオ・デジタル録音。3枚組。
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18世紀のイタリアのオペラ・セリアは衰退していました。ニコロ・ヨンメッリやトッマーゾ・トラエッタらの作曲家の観点によれば、オペラ・セリアは、ストーリーを語る音楽を創造するより、ソロの妙技を聞かせることに焦点が置かれるようになっていました。映画『アマデウス』で、どのスタイルでオペラを作曲するのかねと問われたモーツァルトが、ぜひとも描きたいスタイルがあると声高になる場面がありますが、バイエルンの作曲家、クリストフ・ヴィリバルド・フォン・グルック(Christoph Willibald Gluck, 1714-1787)がオペラ形式の発展に果たした役割は、過小評価されてはなりません。グルックは、同時代の他の作曲家の誰よりも、フランス、ドイツ、イタリアのオペラの伝統から優れたところを用いて、素晴らしく美しい作品を作り出しました。フランチェスコ・アルゴロッティの「An Essay on the Opera オペラ論」に影響を受けたためか、グルックは台本作家のラニエーリ・デ・カルザビジと協同で、オペラ「アルチェステ」のイタリア語バージョンに素晴らしい序曲を作曲しています。そして音楽とストーリー展開をスムーズにするため、シンプルなメロディーのアリア、演技を邪魔しないようなレチタティーヴォとアリアを取り入れ、歌劇「アルチェステ」は、この種のオペラの記念碑的作品となりました。グルックの歌劇「アルチェステ」は、1767年12月26日、ウィーンの Michaelerplatz にある前国立劇場で初演されました。物語はバロック・オペラの定番の一つ「アルチェステ」で、病気のアドメート王を救うために、王妃アルチェステは自らの命を賭けて死神の心を動かし、王の命を助ける、というもの。ギリシャ悲劇、特にエウリピデスの演劇「アルケスティス」にインスピレーションを受けています。神々は、重病のテッサリアの王アドメートの命を救うことにしますが、他の誰かの命と引きかえにという条件をつけます。彼のために喜んで死ぬことができるのは、運命のいたずらにより、国王自身の妻アルチェステだけになります。オペラの終わりでは、黄泉の国への入口に二人が立ち、アポッロが、二人の献身とお互いに対する愛情が、彼らを救うのに十分かどうか決定をくだします。しかし同じ「アルチェステ」を題材にしていながら、ヘンデルのオペラでは、アドメート王は第2幕の初めでエルコーレ(ヘラクレス)に助けられてしまい、後半は王のかつての婚約者アンティゴナを交えた三角関係に発展し、二人のソプラノが張り合います。そこでグルックはこのオペラを批判し、自らの理想を追求した本盤『アルチェステ』を書いているので、聴き比べも一興です。イタリアとフランスを中心に、ヨーロッパ中を巻き込んだ大紛争ですが世界史で学ぶことのない、血を流すことなく、町を火の海にすることもなかったオペラの主政をめぐった作曲家たちの戦争は大歓迎ですね。

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商品名DE ORFEO S027 823F セルジュ・ボド グルック・アルチェステ