DE ORFEO S010821A オラフ・ドレスラー ラフマニノフ・音の絵
通販レコード→独ダーク・ブルー白文字盤

DE ORFEO S010821A オラフ・ドレスラー ラフマニノフ・音の絵

商品番号 34-16203

かつてヒトラーの総統官邸であり、隣にはナチス党本部褐色館があった建物でのレコーディング ― セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)はスクリャービンと並んでロシア近代音楽を代表するピアニスト・作曲家・指揮者。スコアの各曲に標題は存在しないものの、フランス語のタイトル「ETUDES-TABLEAUX」のように絵画的な曲ばかりで、華麗な技巧という何種類もの筆を使って音という絵具で絵を描こうとする意図でこの練習曲が作られたと思えますが、一つずつの楽曲の意図が明確でありまた多様である事を考えると、練習曲と呼ぶには超えた ― 彼の胸のうちに留められたものがあると思えてくる。1930年にレスピーギがラフマニノフの「音の絵」から5曲抜粋して管弦楽に編曲した際、ラフマニノフはレスピーギにその5曲の標題について伝えた記録が残っています ― 作曲者本人が第2曲は「海とカモメ」、第4曲「定期市の光景」、第7曲「葬送行進曲」、第6曲「狼と赤ずきんちゃん」、第9曲「東洋の行進曲」であると語っている。 ― が、それ以外は具体的な標題をラフマニノフは明らかにしておりません。ラフマニノフは「音楽から連想したものを自由に描き出せばよい。」と標題を明らかにすることを嫌っていたようです。ラフマニノフ特有の歌うようなピアニズムは、第5曲で顔を見せるのみである。1916年から1917年にかけて作曲された。《音の絵》op. 39は、ラフマニノフがロシア国内で作曲した最後の楽曲である。各曲単体での演奏は1916年の暮れから行われていたが、全曲そろっての初演は、1917年2月21日のペトログラードにおいてであった。このたった2日後には、食料配給の改善を求める民衆デモが同じ地で行われた。ラフマニノフは、当初はこの「二月革命」を支援するための慈善演奏会を開催していたものの、革命の火種は彼の生活をも浸食し、1917年12月23日にストックホルムへと発って以来二度とロシアの地を踏むことは無かった。グロテスクな曲想の楽曲が盛り込まれている様は、当時の不安な世相へ警鐘を鳴らしているかのようだ。アルバムの余白は、フランツ・リスト:「シモン・ボッカネグラ」の回想は、ヴェルディの歌劇『シモン・ボッカネグラ』からのパラフレーズ。
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オラフ・ドレスラー(Olaf Dressler)は1958年ドレスデン生まれ。華々しいコンクールの受賞歴こそないが、上手いけどただそれだけの味気なさとは無縁だ。単純さの中に深い味わいが隠された演奏は、コンサート・ピアニストが大曲の余興に弾いたようなセンスがある。聴いていて嬉しくなってしまう演奏は、そうざらにあるものではない。2017年5月のレコード鑑賞会で、アルフレッド・コルトーが演奏する〝ピアノの響きに妙なるものがある。どうしてだろう〟と話題になりました。漠然とせず、レコードを聞く時使用された場所の歴史にも思いを馳せましょう。本盤の録音場所は、1846年にバイエルン王立音楽アカデミーとして発足したドイツの国立音楽大学。初代学長はハンス・フォン・ビューロー。何度も名称変更、拡大等を繰り返し、現在の正式名称は1998年よりドイツ国立ミュンヘン音楽・演劇大学となった。現在のミュンヘン音楽・演劇大学の校舎は、かつてはアドルフ・ヒトラーのミュンヘンにおける総統官邸であり、隣にはナチス党本部褐色館があった。この校舎建物でミュンヘン会談が開かれた。
1981年11月28〜12月3日ミュンヘン、バイエルン王立音楽アカデミー(Staatliche Hochschule für Musik)セッション、ステレオ・デジタル録音。Engineer, Recording Supervisor, Edited By – Torsten Schreier、Producer – Dieter Sinn, Diether G. Warneck、1982年初発。
商品名DE ORFEO S010821A オラフ・ドレスラー ラフマニノフ・音の絵

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