34-22167

通販レコード→DE ニュー・ニッパー黒文字盤。

DE EMI 26 348-3 アンネ=ゾフィー・ムター 小澤征爾 フランス国立管弦楽団 ラロ スペイン交響曲 / サラサーテ ツィゴイネルワイゼン

商品番号 34-22167


《指揮者・小澤征爾Seiji Ozawa死去(2024年2月6日) ― 幸福と孤独を抱えたパイオニアのBEST名盤を検証する。》

肉感に溢れながらもハイセンス

彼女のものすごい情熱、自在な表現、完璧なテクニックが見事にバランスした屈指の名演だ。似た傾向の演奏ではチョン・キョン・ファと双璧だろう。
帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンはアンネ=ゾフィー・ムターの演奏を聴き「奇跡のようなヴァイオリニストを発見した」と絶賛し、その場でカラヤンが主宰するザルツブルクの聖霊降臨祭音楽祭への出演が決まった。
当時のカラヤンは優秀なヴァイオリニストを探していた。帝王の情報網に「13歳のすごい少女がいる」との噂が引っかかったのだ。1977年5月、初共演したモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番は大成功した。これが大きな反響を呼び、翌78年2月には初録音をカラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の伴奏で行った。この時、ムターは僅かに14歳だったが、デビュー・アルバムとなった「モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番、5番」で、すでに彼女は揺るぎのない安定した技術と大家のような風格を持っていた。
こんにちの音楽家、とくにヴァイオリニストやピアニストは、国際コンクールでの経歴を売りにしてデビューする。まだ音楽家としての実績が何もないのだから、レコード会社も売りだそうとするには、コンクールでの成績を謳うしかない。しかし、当代一のヴァイオリニストにして「女王」の異名を持つムターは、大きなコンクールとは無縁の演奏家である。
彼女にはチャイコフスキー・コンクールをはじめとする国際コンクールは必要なかった。「帝王が認めた少女」というキャッチフレーズがあれば、それで十分だったのだ。以後、帝王はこの少女しかソリストに起用しなくなるのだ。そして、ムターは20歳になるまでカラヤンとベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、ブルッフ、チャイコフスキーといった超有名協奏曲を録音していった。
「帝王カラヤンの秘蔵っ子」となったムターは、1980年代半ばには、世界的演奏家に成っていた。ピアノのゲザ・アンダ、ヴァイオリンのクリスチャン・フェラス、過去にカラヤンに可愛がられたソリストは一人も大成していない。それをカラヤンも意識していたのか、最後の秘蔵っ子ムターには「私の操り人形にならぬように」と意図的に共演を減らした。
本盤は、帝王が委ねたムターと小澤征爾の初共演録音盤として注目された作品です。選ばれたのは特にムターにふさわしい情熱的な両作品。
情熱的で力感に富みながら、技術的にも完璧にコントロールされたムターのヴァイオリンをサポートする小澤の、これまた完璧ともいえるオーケストラ・ドライブ。両者の美点が合致した見事な作品に仕上がっています。
機能美で魅了するボストン交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とは違った魅力を発する、フランス国立管弦楽団の雰囲気豊かなサウンドが聴きものです。
EMIのサル・ワグラム録音。この会場は乾いた響きが特徴。それでもふくよかな響きを聴かせてくれる。録音とも実に素晴らしい仕上がりだ。
なお、ラロの「スペイン交響曲」はカットなしの全曲盤である。

幸福と孤独を抱えたパイオニア。その足跡。

小澤征爾は2002年、ボストン交響楽団の音楽監督を離れた。就任から29年。アメリカのオーケストラの音楽監督として最も長い在籍期間だ。
小澤は38歳の若さで1973年にボストン響の音楽監督に就任します。以来、その演奏は国際的なレーベル、ドイツ・グラモフォンから発売されるようになり、しかもこの国際的なレーベルから、その演奏が発売された日本人指揮者では小澤が初めてのことでした。
大きなオーケストラに唯一人対峙する指揮者。NHK交響楽団や日本フィルハーモニー交響楽団との事件は彼の指揮者として目指していくスタイルを確信させた。「世界のオザワ」がはじめて持った、「自分のオーケストラ」はトロント交響楽団で、1965年秋に音楽監督に就任した。欧米の名門オーケストラを若いうちから指揮する機会に恵まれたのは、小澤が物珍しい東洋人であったからだろう。
遡ること、レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督と成っていた1960年。小澤はバーンスタインとパーティーで会うと、街に連れ出され、飲み明かした。小澤には知らされていなかったが、この時点で彼をニューヨーク・フィルの副指揮者にすることが内定していた。
明るくスマートでアクも少なく、リズムの扱いもていねいで好感が持てる。このオーケストラは翌1961年4月下旬に日本公演を予定しており、話題作りとして日本人を起用してみようと考えたらしい。
欧米のクラシック音楽の中心にはドイツ音楽精神が根強い。小澤の得意のレパートリーは何か、何と言ってもフランス音楽、そしてこれに次ぐのがロシア音楽ということになるだろうか。それは近年の松本でのフェスティバルでもフランス音楽がプログラムの核であることでも貫かれている。
ロシア音楽について言えば、チャイコフスキーの後期3大交響曲やバレエ音楽、プロコフィエフの交響曲やバレエ音楽、そしてストラヴィンスキーのバレエ音楽など、極めて水準の高い名演を成し遂げていることからしても、小澤がいかにロシア音楽を深く愛するとともに得意としているのかがわかるというものだ。
小澤が着任した時のボストン響は、どちらかと言えばきれいで色彩豊かな音を出していた。かつての音楽監督シャルル・ミュンシュやよく客演していたピエール・モントゥーらフランス人指揮者の影響だろう。その代わり、ドイツ的な重みのある音楽はあまり得意じゃなかったように思う。しかし小澤自身はドイツ系の音楽もしっかりやりたい。例えばブラームス、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラー。あるいはやはり重みが必要なチャイコフスキーやドヴォルザークもやりたかった。そこで重くて暗い音が出るように、弦楽器は弓に圧力をかけて芯まで鳴らす弾き方に変えた。
だけど小澤が就任した時のコンサートマスターのジョセフ・シルヴァースタイン ― その後、彼は指揮者となり成功している。 ― はそういう音を嫌がり、途中で辞めてしまう。それでも辛抱強く時間をかけて、ボストン響はドイツの音楽もちゃんと鳴らせるようになった。それでいてベルリオーズの「幻想交響曲」といったフランス物も素晴らしい演奏ができる。フランスの洗練とドイツの重み、両面を持つ良いオーケストラになった。

小澤らしさとは ― 〝メロディーとリズムの微妙なせめぎ合い〟は殆ど感じられない、工芸品の美しさ。

小澤征爾は一度だけ辞任を考えたことがあると自伝「私の履歴書」に書いている。
タングルウッド音楽祭の講習会を改革した時だ。40年に当時の音楽監督セルゲイ・クーセヴィツキーが創設した際はボストン交響楽団の楽員が講師だった。なのに私的なつながりでポストが占められるようになり、僕の時代には一層ひどくなった。教える能力より人間関係が優先された。1997年、思い切って講師を全員辞めさせ、ボストン響の楽員を代わりに選んだ。僕の決断を「ニューヨーク・タイムズ」は痛烈に批判した。「失敗したら音楽監督は辞めるべきだな」と覚悟を決めた。この時、「セイジが正しい」とボストン響の理事たちを説得に来てくれたのが、バイオリンのアイザック・スターン、イツァーク・パールマン、チェロのヨーヨー・マ、ピアノのピーター・ゼルキンらだ。ほとんどの理事と楽員の支持も得られた。在任中、僕は楽員の待遇をいつも気にかけていた。根底には日フィル(日本フィルハーモニー交響楽団)分裂時の苦い教訓がある。ストライキだけは絶対に避けたかった。理事長のネルソン・ダーリンに頼み、楽員の給料を上げてもらった。オーケストラとしては珍しく、彼は遺族年金の制度まで作ってくれた。
「メロディーとリズムの微妙なせめぎ合い」は殆ど感じられない、工芸品の美しさに人種の息吹を知るといったふうに小澤らしさとは、メロディーを奏するソロ奏者の手足を縛ったストイックさにこそあるといえる。
ジョージ・セル、レナード・バーンスタイン、ヘルベルト・フォン・カラヤンの時代から、ロリン・マゼールやダニエル・バレンボイムら楽団員としての視点を持って音楽を共同して作り上げていく指揮者らへの変化の時代に、スイッチングを強いられたのが小澤征爾の恵まれたことだ。
〝マエストロ〟セイジ・オザワは88歳で音楽人生、彼の音楽武者修行を終えてしまったが、日本人指揮者として数多くの業績を残したのは拭い去れない記録として将来も讃え語られるが、武者修行はオザワ流を開眼できたのだろうか。子息の小澤征悦氏は「父の音楽を聞いてください。そこにいつも〝小澤征爾〟の音楽はあります。」とプレスに向けてメッセージを出している。
ベルリオーズ、ラヴェルで評判を得たオザワは、1970年代半ばをすぎるとマーラーの交響曲録音に踏み出す。アメリカのオーケストラでドイツ音楽の録音が増えてくるようになると、ヨーロッパでの録音をEMIに行うようになる。カラヤンの手兵であるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団でチャイコフスキー、ビゼーと言ったカラヤンも得意とした名曲の数々を録音するようになった。
本格的になったデジタル録音で、レーベルのカタログを充実させていく。管弦楽曲のほかは交響曲はチャイコフスキーぐらいというものだったが、協奏曲録音も増えてくる。カラヤンの秘蔵っ子、ムターとの初共演録音もそうした時期の録音。
我武者羅に立ち向かう小兵然としていたRCA時代。颯爽としたフランス音楽が新鮮だった1970年代のドイツ・グラモフォン録音。経験に裏付けられた自信にオザワの個性が情感ある響きを聴かせるようになったEMIへのデジタル録音。1990年代にオランダPhilipsに録音した音楽は落ち着きを感じさせるようになっていく。オザワらしさは1960年代後半からドイツ・グラモフォンへの1970年代前半だが、わたしは名曲の良い録音として、1980年半ばのEMI録音を贔屓している。そのどれもが100%、この時期のレコード全てには星5つをつける。アグレッシヴで瑞々しい感性を持ち合わせていた頃の芸風を知るにも恰好の一枚です。

  • Record Karte
    • 演奏:アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)、小澤征爾指揮、フランス国立管弦楽団
    • 録音:1984年5月29,20日パリ、サル・ワグラムでのセッション、ステレオ・デジタル。
    • プロデューサー:John Fraser, Michel Glotz
    • 録音エンジニア:Michael Sheady
    • 曲目
      1. ラロ:スペイン交響曲
      2. サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン
    • TeldecのDMMプレス。

CDはアマゾンで

ラロ:スペイン交響曲&サラサーテ:チゴイネルワイゼン
ムター(アンネ=ゾフィー)
EMIミュージック・ジャパン
2006-03-23


バルトーク:VN協奏曲第2番
ムター(アンネ=ゾフィー)
ポリドール
1991-12-21


ラロ:スペイン交響曲 ニ短調
ムター(アンネ=ゾフィー)
EMIミュージック・ジャパン
1997-05-21


ムター&小澤征爾 ドイツ・グラモフォン録音集
タングルウッド音楽祭合唱団
ユニバーサル ミュージック
2018-12-05


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