
通販レコード→独スタンプ・エレクトローラ黒文字盤
DE ELECTROLA 1C153-01 541/42 トーマス・ビーチャム モーツァルト・後宮からの誘拐
商品番号 34-19835
芯のある押し出しの強い音 ― モーツァルトを知るための厳選10曲の一曲。モーツァルトが生涯に800曲ほどを作曲して『レクイエム』作曲中に若くして死んだことは知られるが、その実、劇場やコンサート、レコードでのレパートリーは限られている。そうした事情の中で、名盤としていまだに聴かれているサー・トーマス・ビーチャムの名盤。ステレオ録音黎明期の、芯のある押し出しの強い音で録れています。ビーチャムのテンポとしては遅めのように思いますが細部まで非常に丁寧に演奏していて、木管の美しさをくっきりと際立たせ、さわやかなウィットにとんだアレグロのきらめきとの間のコントラストはもっとも幸福に満ちたものである。落とし所を上手く歌わせ、リズムも快活なので、聴き手は速すぎるという感じを持たないと思います。ビーチャムの音楽の造り方は、一つ一つの音を大事に扱い、真摯で厳かな雰囲気が随所ににじみ出ています。疾風のように始まり、この興奮に満ちたテンポで、あっという間にオペラブッファ(喜歌劇)の世界に引きずり込まれます。ビーチャムは大変ユーモアを解するジョーク好きといわれていますが、演奏の時は考えていたより、ビーチャムの真面目さはどこか一寸違うと出だしから感じました。ビーチャムと言う往年のこの指揮者をどれだけの人が好んでいるだろうか。ピエール・モントゥーやブルーノ・ワルターと少し違った意味で、いつもビーチャムのレコードを聴くと元気を貰っています。80歳を過ぎたとは思えないこの若々しさ。20世紀前半のイギリス音楽界に君臨した大立て者で、大金持ちだった為に自らオーケストラを組織し大活躍した人である。又、その行動も個性を極めたような人だったらしい。この個性は金持ちから来る余裕というかヨーロッパ上流社会に受け入れやすかったのではないか。だから、面白いと思うが、スイスのエルネスト・アンセルメと並んで同時期、クラシック音楽の普及に寄与した事は事実です。ヘルベルト・フォン・カラヤンがしびれを切らすくらいに、英EMIのステレオ録音への取り組みは遅いものでしたが、そのステレオ録音第一号はカラヤンではなくビーチャムでした。ステレオ録音、後発組だっただけに英EMIのステレオ録音技術は未来を見据えた英DECCAやドイツ・グラモフォンより現代にそぐわしい優れたものでした。
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ベルモンテという貴族が、トルコの太守の宮殿に捕らわれているコンスタンツェを救出しに行くというオペラ・ブッファです。だから後宮からの「誘拐」というよりも、「奪還」することになるわけです。この作曲の当時、モーツァルトには恋人がいて、上演後に結婚したその女性の名前はコンスタンツェです。ちょうど「結婚しようかな」という時期にこのオペラをつくって、大成功を収め、無事に結婚する。非常に印象的ですね。さらに、オペラのヒロインのコンスタンツェ役がカヴァリエリという歌手だったのですが、この女性はサリエリの生涯にわたる愛人でした。サリエリは、モーツァルトが進出してくるのはヤバイと思っていたはずです。皇帝ヨーゼフ二世は、ドイツ語オペラを創作上演する『国民劇場』運動を推進していました。宮廷音楽家に抱えていたモーツァルトに作曲を要請。モーツァルトは宮廷歌劇場の一流の歌手たちを自由に使えるのでお気に入りの歌手を集めて「ぴったり仕立てた」アリアを盛り込むことに、無我夢中になって作曲するわけです。父への手紙の中で「僕の情熱はあげてオペラに向けられ、3曲を1日で作曲し、1日半で完成」と書いています。モーツァルトの時代はオペラ上演が、各地で再演されることは考えられていませんでした。初演時の歌手、オーケストラの編成、技量に最適化され、再演時に歌手が変われば、その歌手に相応しいアリアを追加しています。モーツァルトは、歌手カヴァリエリによって創造力をかきたてられた。そのために3つの長大なアリアを作曲しているのです。第一幕、第6曲のアリア『私には恋人がありました』、第二幕、第10曲のレチタティヴォ『わが幸福の消えた日から何と大きな苦しみが』とアリア『あなたから引き離され』、第二幕、第11曲のアリア『どんな責め苦があろうと』。なかでも、第10曲は最も深い感情に満ちていて一番の聴き所です。
レオポルド・シモノー ― かつてモーツァルティアンに絶大な支持を得た名テノール、レオポルド・シモノーは、1918年5月3日、カナダのケベック州、モントリオール近郊の町サン・フラヴィアンに生まれました。幼い頃から歌が好きだった彼は、最初、モントリオールの聖パトリック教会の聖歌隊で歌っていましたが、その後、エミール・ロシェルに声楽を師事、1943年にモントリオールでおこなわれたトマス・ビーチャム指揮するモーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』のドン・クルツィオ役に出演したほか、モントリオール・ヴァラエティ・リリークでトマの歌劇『ミニョン』のヴィルヘルム役にも出演し、オペラ歌手の道を歩み始めます。しかし1945年にはニューヨークに移り、ポール・アルトハウスについてさらに研鑽を深め、翌年、ニューヨーク・シティ・センター・オペラに出演する一方、コロラトゥーラ・ソプラノ歌手、ピエレット・アラリーと結婚もします。以後、フィラデルフィアやニューオリンズを経て、1949年にはオペラ・コミークでパリ・デビュー。以後、エクサン・プロヴァンス音楽祭やグラインドボーン音楽祭、ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、メトロポリタン劇場、コヴェントガーデン王立歌劇場、ローマ国立歌劇場など世界的に活躍、そのリリックな美声を駆使したモーツァルト作品の歌唱やフランス・オペラでの歌唱がとりわけ賞賛を集め、同時代を代表するモーツァルト歌手として高い名声を残しています。近年は故郷カナダに戻り、息を引き取ったビクトリアの自宅では、ピエレット夫人とともに1980年代から余生を過ごしていたとのことです。
トーマス・ビーチャム ― SP時代から録音をおこない長いキャリアをもっていたビーチャムですが、晩年のステレオ録音には、ビーチャムの自由な個性、ウィットや豪快さが特によく示されていました。大富豪の家に生まれたビーチャムは、音楽的才能にも恵まれ、若いときから私財を投じてオペラ・カンパニーを設立し、強い使命感をもって数多くのオペラをイギリスの聴衆に紹介し、さらにいくつものオーケストラを設立、コンサートものでも膨大なレパートリーを聴衆に届ける重要な役割を果たしていました。そのレパートリーの多さと、常に生き生きとした演奏はビーチャムならではのものですが、これには、彼がリハーサルの達人で、楽員を常に楽しませてやる気を出させ、集中力を発揮させる術に長けていたという背景があるものと思われます。実際、その演奏内容の多彩さには驚くべきものがあります。定評あるディーリアスでは、独特の空気感を伝える絶妙な美しい演奏をおこなう一方、フランス音楽やベートーヴェン、モーツァルトなどでは、ときに過激なまでの思い切った表情付けで楽想をえぐり、さらにハイドンではスケール大きく懐の深い演奏を聴かせるといった具合で、それぞれの作品に真摯に向き合う姿は、実に感銘深いものがありました。
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団はロンドンが誇る名門5大オーケストラの一つ。1919年に前述のロイヤル・フィルハーモニック協会が設立した、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団という別団体が前にあったが、前身ではない。この楽団は1931年には活動を停止し、翌1932年にBBC交響楽団の常任指揮者就任がかなわなかったトーマス・ビーチャムがBBC響に負けないオーケストラを作ろうと、自らの私財を投げ打ち組織したロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の母体となっている。ビーチャムは、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団結成に際し「ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団」の称号の継承を望んだが、ロイヤル・フィルハーモニック協会はこれを認めなかった。設立当初からロンドン・フィルはロンドン有数のオーケストラという評価を受ける。しかし第2次世界大戦が勃発すると、ビーチャムは楽団運営を放棄してアメリカへ渡り、楽団は存続の危機に陥ってしまう。残された楽員たちは自主運営団体として再出発する。第2次世界大戦後の1946年、今度は「ロイヤル」の称号はビーチャム個人がロイヤル・フィルハーモニック協会から使用許可を得てつけられての心機一転の創設である。既に当時はロンドン交響楽団(1904年創設)を始めとして、BBC響(1930年創設)、ロンドン・フィル(1932年創設)と、前年の1945年に結成されたフィルハーモニア管弦楽団があった。結成に際しては優秀な楽団員が集められ、4大オーケストラに匹敵する楽団が出来上がった。海外公演よりイギリス国内で幅広く演奏旅行に取り組み、「イギリスの国民的オーケストラ」と呼ばれることもある。創設者ビーチャムの死後は自主運営団体となり、以後音楽監督には、ルドルフ・ケンペ、アンタル・ドラティ、アンドレ・プレヴィン、ウラディミール・アシュケナージなど錚々たる顔ぶれが着任し牽引されてきた。そしてこの楽団の特徴として、共演する指揮者やアーティストがバラエティーに富んでいるということが挙げられる。純粋なクラシックばかりでなく、ライトクラシックやミュージカル・ナンバーの演奏でも定評があるというから、既存の有名オーケストラとは一線を画しているという感がある。映画音楽や「フックト・オン・クラシック」シリーズ、ロックの編曲(フリオ・イグレシアス、ビートルズ、オアシス、ピンク・フロイド、アバ、クイーン、マイク・オールドフィールド、フィル・コリンズ、ビーチボーイズ、ディープ・パープルとの共演など)でも有名。1987年に設立された RPOポップス(RPO Pops, Royal Philharmonic Pops Orchestra)はロイヤル・フィルを母体としており、ホーム・クラシックや軽音楽の演奏を専門としている。

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