DE ELECTROLA 1C147-01751/53M ヘルベルト・フォン・カラヤン モーツァルト・フィガロの結婚
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DE ELECTROLA 1C147-01751/53M ヘルベルト・フォン・カラヤン モーツァルト・フィガロの結婚

商品番号 34-17455

レコードに活路を見出したカラヤン ― 優雅さやゆとりといったものが新鮮で豊饒な座右の盤に相応しいレッグ&カラヤン連合軍の快進撃の第一幕》英EMIの偉大なレコード・プロデューサー、ウォルター・レッグは未来の演奏会やアーティストを評価するときに基準となるようなレコードを作ること、彼の時代の最上の演奏を数多く後世に残すことであったという。レッグは戦後ナチ党員であったとして演奏を禁じられていたヘルベルト・フォン・カラヤンの為に、レッグ自ら1945年に創立したフィルハーモニア管を提供しレコード録音で大きな成功を収めたが、このフィルハーモニア管弦楽団創立には、1947年1月ウィーンでレッグとカラヤンが偶然出会い意気投合したことに始まる。カラヤンのEMIへのレコード録音は、フィルハーモニア管弦楽団で始まる前にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との録音があり、本盤はカラヤンにとっては初めてのオペラ全曲レコーディングとなった記念すべき一組です。意気投合したが、実現には道のりがあった。ドイツでは1946年、連合軍による『非ナチ化』政策が始まった。ナチだったと疑われている人々は無罪が証明されるまで公的な活動が出来なくなった。カラヤンもヴィルヘルム・フルトヴェングラーも、そしてカール・ベームをはじめとする音楽家たちも、その対象となった。ドイツ音楽界は1930年代にユダヤ系の人々が亡命や追放、粛清でいなくなったうえ、戦争が始まると戦場や空襲で多くの者が命を失い人材不足に陥っていたところに、残っていた大音楽家たちまでもが活動が出来なくなってしまったのだ。前年にイタリアでドイツ敗戦を迎えたカラヤンは、何回かイタリアでコンサートを指揮した後、故郷ザルツブルクに戻り、この地で一旦はナチ容疑が晴れた。ユダヤ系の女性を妻としたこと、アドルフ・ヒトラーに嫌われ干されていたことなど、戦争中はマイナスだったことがプラスに転じたのである。カラヤンは46年になると本格的な活動を再開すべくウィーンに向かったが、ソ連軍の命令で公演を続けられなくなる。さらにはザルツブルク音楽祭にも連合軍の命令で出演できなくなった。カラヤンはレコードに活路を見出すことにし、EMIと契約し、早速9月よりウィーン・フィルとレコーディングを開始。オーケストラはウィーン・フィルだった。平和が戻ったはずの世界は、冷戦へ突入していく。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会はセルジュ・チェリビダッケが指揮し、客席にフルトヴェングラーは居た。1947年、チェリビダッケの協力もあり、非ナチ化審理が無罪で終わったフルトヴェングラーは5月、ベルリン・フィルの指揮台に復帰した。1947年のザルツブルク音楽祭もカラヤンは出演できなかったが、フルトヴェングラーは出演しコンサートを指揮した。ユダヤ系のヴァイオリニスト、ユーディ・メニューインが共演したことが話題になった。その裏側にはカラヤンが、フルトヴェングラーと手を結ぼうと接触したことがあるが、それはまた別の話だ。カラヤンがコンサートに復帰するのは10月で、ウィーン・フィルを指揮した。
それと平行して、EMIへのレコーディングも続いていた。レッグ&カラヤン連合軍の快進撃の第一幕が開いた。英米の本当の連合軍も、レッグのロビー活動により、カラヤンに公的な指揮活動が許されたのと前後している。この快進撃の第一幕が、本盤《フィガロの結婚》でした。このウィーン・フィルとのレコーディングは、1946年から1949年まで集中的に行われている。しかし、この時期のカラヤンとウィーン・フィルの演奏が評価の高いシロモノであったことが、その後カラヤンにとっての天敵フルトヴェングラーが亡くなった後にベルリン・フィルとウィーン・フィルがカラヤンを迎え、帝王として君臨することになる礎となったことは事実である。まさに、カラヤン芸術の原点として評価すべき時代の録音と云えるだろう。 レッグ夫妻(後の)&カラヤン連合が創作した最高のフィガロであることには、誰も異論はないだろう。とりあえず、カラヤンの戦後はウィーンを活動の拠点として始まったのである。1948年、夏、ザルツブルク音楽祭に出演出来たカラヤンが、オペラを指揮するのは初めてだった。だが、「カラヤンが今後も、この音楽祭に出るならば、わたしは出ない」とフルトヴェングラーはカラヤン追放を求めた。斯くて、その後、天敵フルトヴェングラーによりウィーン・フィルを締め出されたカラヤンはウィーン交響楽団に活動の場を移し、またレコーディングはフィルハーモニア管と行うようになるが、そのフィルハーモニア管でも合奏の完璧な正確さを要求し、音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルで第二期黄金事態を築いたことは周知の事実です。その第二黄金期の幕開けを告げるのが、このフィガロ。1950年6、10月 ウィーン、ムジークフェラインザールでの録音。エーリヒ・クンツ(バリトン:フィガロ)、イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ:スザンナ)、ジョージ・ロンドン(バス:アルマヴィーヴァ伯爵)、エリザベート・シュワルツコップ(ソプラノ:伯爵夫人)、セーナ・ユリナッチ(ソプラノ:ケルビーノ)、マルジャン・ルス(バリトン:バルトロ)、エリザベート・ヘンゲン(メゾ・ソプラノ:マルチェリーナ)、ヴィルヘルム・フェルデン(バス:アントニオ)、ヒルデ・チェスカ(ソプラノ:若い娘)、アンニ・フェルベルマイア(ソプラノ:若い娘)、ロスル・シュヴェイガー(ソプラノ:バルバリーナ)、エーリヒ・マイクート(テノール:ドン・バジリオ、ドン・クルツィオ)。まだ40歳代だったカラヤンがウィーン・フィルから引き出した鮮烈そのものの表現と旨味抜群の名歌手達の魅力が実に見事に融合した、優雅さやゆとりといったものが新鮮で豊饒な美演。どんなに最強奏でも、持ち前の高貴な美感を失わないウィーン・フィルの名演を見逃す手はないでしょう。今聴いても録音も素晴らしく座右の盤に相応しい名盤。
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