親密で濃厚な雰囲気、自然で柔軟な歌唱 ― クラシック・ギターはふつうスパニッシュ・ギターと呼ばれているようにイベリア半島において発展した。その伝統はアンドレス・セゴビアの出現以来、さらに輝かしさを加えるに至ったことは改めていうまでもない。しかし、ギターの名手は必ずしもスペインの特権とはいえない。イタリア、中南米などラテン系にはかなり名演奏家が輩出しており、LPレコード最盛期はジュリアン・ブリーム、ジョン・ウィリアムズという名手が注目を浴びていた。ギターはその手軽さにおいて、中世のリュートの位置を占めるポピュラーな楽器として広く普及していることはよく知られている。シューベルトがギターをよく弾いていたことも知られているし、ピアノの名手フンメルやモシュレスも優れたギタリストでもあった。ドイツ系のスパニッシュ・ギタリストでは、フランツ・ヨゼフ帝やナポレオン3世の御前演奏を行った名手ヨハン・デッカー=シェンク、教則本の著者として有名なヨーゼフ・カスパー・メルツなどがいるが、1933年、ベルリンに生まれたジークフリート・ベーレントは元来音楽学校ではピアノと作曲を専攻したピアニストであった。学生時代からギターに関心を持ち楽しみにこの楽器をいじりはじめているうちに、その表現力の多様さと魅力に惹かれて、ギタリストに転向してしまったという。1951年にベルリンでデビューした後、ポーランドのポピュラー歌手ベリーナやスペインの生んだソプラノ歌手ピラール・ローレンガーの伴奏者などをつとめる一方、独奏者としても次第に名をあげるようになった。ベーレントのギターはピアニストから転向した独特の表現力を持っており、その一方で、現代音楽に対する彼の探究心が新しいレパートリーの開拓にも見られ、いわゆるスパニッシュ・ギタリストには見られなかった意欲的な方向を示していたことも特筆に値しよう。カステルヌオーヴォ=テデスコ、ロドリーゴ、ウェルナー=ヘンツェなどがベーレントのために作品を書いていることにも、そうしたことがうかがわれる。スペインは民謡の宝庫。カザルスの「鳥の歌」をはじめ、カタロニア民謡の諸編がギターにとって大切なものであり、「アメリアの遺言」「聖母の御子」「盗賊の歌」などと愛奏され、濃厚な音楽性で、それらは資料として博物館に眠るものではない。血肉があり、現代にも生きているのです。カタルーニャ地方に限らず、スペイン起源の舞曲や、旋律の源泉は広くヨーロッパに敷衍しています。それらはのちのサルスエラのような大衆のオペラの中にもあり、デ・ファリャやグラナドスなどを集めたモダンの中にも息づいています。その点、ギター伴奏はスペイン的な情緒を醸します。中世、ルネサンスの時代には一般的でなかったギターですが、すでにスペインの歌手にとって歌いつがれてきた、そして新しい生きた曲でもあります。20年ほど前、ベルリンでローレンガーが亡くなった時に彼女に贈られた賛辞は「戦後最も美しい声を持つ歌手の一人」でした。メトロポリタン・オペラには1982年まで150回も出演しており、スペインを抜きにした往年の国際的な歌手でした。たとえば、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」はリタ・シュトライヒと共演もしていて、ドイツ語版。これだけで、あの懐かしい時代を彷彿させますが、1991年に引退するまでベルリン・ドイツ・オペラで活躍。彼女はもともとサルスエラ(スペインの国民的歌劇)の舞台で経験を積み、その後オペラ歌手として大成。様々な役をこなしながら、折に触れてはスペインのお国物も歌い、観客を魅了したのです。本盤「スペインのロマンセと民謡」は、彼女が歌うスペインのルネサンス期のバラード。これらは彼女とギター伴奏のベーレントのためにアレンジされたもので、編曲もベーレント。牧歌的な曲あり、世俗的な曲あり、また宗教的な曲ありと多岐に渡っています。「16世紀の古謡」、「ロマンセ」、そして、ガルシア・ロルカの9つのスペイン民謡、中にはヘンデルのカンタータからの曲も1曲。これもまた数多つくられているスペイン民謡の名品のひとつ。
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Old Spanish Romances And Folk Songs
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スペインの王宮。ヨーロッパからも流入し、別天地のように栄えたかつての栄光。 ―― オレンジ畑のうえに/月が昇りかけている/クリスタルの 小鳥のように/金星が 光っている/はるかな山脈を背に 空は/琥珀と 翡翠の色合いを留め/静寂な海を/青磁と 濃紫に染めている/すでに庭園は 闇に包まれ/――水路に 水の流れる音がするーー/香りの小夜鳴き鶯/ジャスミンの香りが 溢れかえっている/戦は 広々とした海原のうえで/眠りこけているかのようだ/いま 花ざかりのバレンシアは/グアダラビアール川の水を飲んでいる/多くの繊細な塔を擁え/香ぐわしい夜を抱く バレンシア/ぼくは いつもきみとともにいるだろう/きみを目にすることができなくなった時も/原野の砂が拡がり/すみれ色の海が 遠のいていく時も ―― スペインの中世は、南のイスラム勢力と北のキリスト教諸国との抗争の歴史でした。キリスト教徒の側から見れば、奪い取られた国土を回復するための運動(レコンキスタ)。とくにスペインの中核となったカスティーリャ王国では、吟遊詩人たちがその戦いの模様を叙事詩として記録し、伝える役割を担っていました。しかし叙事詩は長く手の込んだ構成だったため、14世紀末になると、聴衆の喜びそうなエッセンスだけを叙事詩から抜き出して歌われるようになります。それが民衆歌謡、ロマンセです。英、仏、独にも14世紀から15世紀にかけて、ロマンセのような民衆的詩形式のバラードがありましたが、長続きはしませんでした。これらの国々では、ルネサンスの到来が中世との断絶を意味していました。これに対して、今日まで命脈を保ち続けたスペインの伝承歌謡であるロマンセは、逆に、バイロンなど多くの外国の文人を魅惑し、彼らに大きな影響を与えることにもなったのです。ヨーロッパ諸国の文学のなかですでにすたれてしまったジャンルが遅れてスペインに移入され、それが異なった時間的・空間的環境ゆえに、独特の興趣を帯びた文学となって実を結ぶことになっていくわけですが、この段階におけるロマンセは、いずれも「よみ人知らず」で、口承によって大衆の間に伝播しました。15世紀末から16世紀にかけて、これらが貴族社会や宮廷に入りこむようになると、ロマンセは新たな展開を見せることになります。教養のある詩人や音楽家たちが、より洗練された作品に仕上げたり、新たに創作したりするようになったからです。スペイン人は対象を直覚的に把握し、それを衝撃的な表現に委ね、文体や形式の洗練に意を用いない傾向があるといわれます。一つの作品を徹底的に深化させ、その完成度を高めることより、多くの作品に瞬発的な才知のひらめきを発揮するほうに長けているというわけです。スペインに以前から存在していたものが、ある種の色付けをされ、時により活気を帯びて、再び、あるいは繰り返し立ち現れる。叙事詩のような教訓性、宗教性はなくなり、悲劇的結末を迎えることが多いのも、ロマンセの特徴といえます。さらに、修飾語を減らして会話を多用、劇的効果を出すため、詩が最高潮に達した時に不意に終わる「断片化技法」などが、ロマンセらしいところ。スペインの文学・音楽は「芸術のための芸術」といった芸術至上主義よりは、現実に、あるいは実生活に密着したプラグマティズム的な傾向が強いといわれます。それは、大衆に向けられたリアリズムであり、地方性でもあるのです。こうして大衆の中にあったロマンセが、文化として根づき、フォルクローレ(民謡)としての地歩を築いていくことになったのです。ピラール・ローレンガーの本盤では、むしろもっと新しい時代の表現ですが、特徴的なのはギターです。典雅であると同時に、舞曲起源は王宮だけでなく、人々の生活にもつながりがある。こうした古謡は本来リュートで弾かれ、そして、リュート奏者の多くが、リュート的表現を心がけるものですから、奏者の癖のようなものが反映する。が、ジークフリート・ベーレントは、それまでギターの主流を占めてきたスペイン流の解釈や表現法を極力排し、しばしば「即物的音楽家」と評された。ベーレントのギターの普遍性とは、癖を排除したところで歌唱が引き立つものでした。これはナルシソ・イェペスほどにはギター言語ではなく、たまたまギターが使用されているという印象です。ローレンガーの歌唱にもとりわけ土俗性が強調されることはありません。ベルリン・ドイツ・オペラ、あるいはメトロポリタン・オペラ、オペラの華やかな部分、大仰なところと歌曲の世界は違います。かえって芸術歌唱には、こうした客観性こそ相応しい。テレサ・ベルガンサの同種の「Canciones Españolas」に興味をもたれているならば、この盤のギター表現、歌唱の在り方にもぜひ注視したい。
- Record Karte
- 1966年1月ベルリン録音。Arranged By – Siegfried Behrend, ギター – ジークフリート・ベーレント, ソプラノ – ピラール・ローレンガー, ヴィオラ・ダ・ガンバ – リヒャルト・クレム。録音技師 – クラウス・シャイべ、ディレクター – ライナー・ブロック。
audite Musikproduktion
2014-06-06
YIGZYCN
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