34-6921
通販レコード→チューリップ、Made in Germany 盤

DE DGG SLPM138 970 ロリン·マゼール ラヴェル・スペインの時

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《他者にまねのできないボキャブラリーでラヴェルを聴かせてくれる標題音楽を見事に表現するマゼールの名盤の一つ ― 30代前半のマゼールが非凡さを発揮したラヴェルの資質に肉薄しえた屈指の名演。卓越したキャストに加え、冴えた音質で立ち上がる精緻な演奏に驚かされる。》 カラヤンとの因縁深いマゼール。作曲家でもある資質と卓越したヴァイオリンの腕前といった、カラヤンがコンプレックスを抱えていた才能のある ― ムターがウィーン・フィルとの録音でチェンバロを弾き、ヨーロッパ参加を作曲したのはカラヤンの抵抗だったとしたらマゼールはなかなかの存在だったと思える ― 指揮者。冴えた閃きでカラヤンの苦手としたレパートリーを攻めてくるのだからたまらない。しかもそれが、カラヤンに負けない変態ぶり。後世に残す手本と成る録音を残そうと頑張っていたカラヤンには、そうしたマゼールの気ままぶりも辛抱ならなかったかもしれない。フランス・パリ近郊、ヌイイ=シュル=セーヌ( Neuilly-sur-Seine )生まれ。父はユダヤ系ロシア人、母はハンガリーとロシアのハーフ。生後まもなく一家でアメリカ移住。5歳頃からヴァイオリン、7歳頃から指揮の勉強を始める。8歳でニューヨーク・フィルを指揮。9歳でレオポルド・ストコフスキーの招きでフィラデルフィア管弦楽団を指揮。11歳でアルトゥーロ・トスカニーニに認められNBC交響楽団の夏季のコンサートを指揮。以後、10代半ばまでに全米のほとんどのメジャー・オーケストラの指揮台に上がっている。ピッツバーグ大学在学中はピッツバーグ交響楽団の一員として活躍。イタリアでバロック音楽を研究といった楽団員経験、まだまだ未開だったバロック音楽にも作曲、演奏の両面から造詣があった。1960年、フェルディナント・ライトナーと交代で「ローエングリン」を指揮してバイロイト音楽祭に史上最年少でデビュー。1963年、ザルツブルク音楽祭にデビューしたチェコ・フィルとのコンサートでは、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番を弾き振り。ヴァイオリンの腕前も魅せる。指揮者としての信頼厚かったことも、1965年にフリッチャイの後任として、ベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送交響楽団の音楽監督を皮切りに、1972年にセル死去後空席だったクリーヴランド管弦楽団の音楽監督に。そして、1982年のウィーン国立歌劇場総監督就任。またボスコフスキーの後任としてニューイヤーコンサートの指揮者を1986年まで務めた経歴は良く知られる。だが1984年にウィーンのポストを追われてからは、それまでとは一転して挫折の連続。ロサンゼルス・オリンピックが行われたこの年、4度目のベートーヴェンの交響曲全集を作り上げたが、うんざりしてきたベルリン・フィルと軋轢を大きくし始めたカラヤンが、ベルリン・フィルで予定していたヴィヴァルディ「四季」にウィーン・フィルを起用。最晩年になってカラヤンはウィーン・フィルとの関係を強めていった。カラヤンの晩年の輝きは魅力を増し、マゼールの影は薄れます。そしてついに、1989年10月。カラヤン亡き後のベルリン・フィルのシェフを選ぶ選挙で、マゼールはアバドに敗れ、新譜発売も途切れてしまいました。この居座古座(いざこざ)にマゼールは巻き込まれた形だ。ジョージ・オーウェルの小説「1984年」に基づく自作のオペラ「1984年」には、とばっちり経験への思いが皮肉られているのかもしれない。歌ものでも非凡さを発揮したラヴェルの資質に肉薄しえた、30代前半のマゼールの演奏は聴きものので、卓越したキャストに加え、冴えた音質で立ち上がる精緻な演奏に驚かされる屈指の名演である。馴染みの薄いラヴェルのオペラでしょうが、1907年から1909年に掛けて作曲されたといいますから「優雅で感傷的な円舞曲」はまだですが、「鏡」「夜のガスパール」は既に書かれていることになります。お話は実にばかばかしくて、時計屋の奥さんのコンセプシオンが、亭主の留守の間の浮気相手に、若いツバメでもなければ金満家の紳士でもなく、屈強な騾馬曳きを選ぶという、いわば「美女と野獣」パターンです。武骨なリズムの騾馬曳きの歌はここぞという時には官能の限りを尽くすといった、スペイン人はスケベな民族だとフランス人視点で語られている。それが音楽が進んでいくに連れ、憧れに変わっていく。しかも少し後に書かれた「優雅で感傷的な円舞曲」と良く似た洒脱さも併せ持っており、ラヴェルの作品の中でも最高の部類、精緻かつ洗練の極みをゆく音楽。そしてラヴェルはきれいごとだけの音楽ではないところが魅力のはず。標題音楽を見事に表現するマゼールの名盤の一つで、「音の錬金術師」ラヴェルの華麗かつ複雑な楽譜を、艶っぽい音色、中盤から後半へのダイナミックで熱気を帯びた盛り上げていきます。オーケストラとの相性も抜群で、マゼールの感性と一致し、マゼールらしい演出を見事に呼応した名演によって、粋で洒落たフランス音楽の精華が満喫できます。マゼールの曲者ぶりが実にうまく効果を発揮した、他者にまねのできないボキャブラリーでラヴェルを聴かせてくれている大変素晴らしい出来栄えとなりました。本盤は SLPM138 970 ということからも分かる通り、1965年2月、パリ管弦楽団発足を前にした時期の録音です。フランスの名指揮者、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)がその最晩年に持てるエネルギーの全てを注いだのが、パリ管弦楽団の創設と育成でした。1967年6月、フランス文化相アンドレ・マルローと文化省で音楽部門を担っていたマルセル・ランドスキのイニシアチブにより、139年の歴史を誇りながらも存亡の危機を迎えていた名門パリ音楽院管弦楽団の発展的解消が行われ、新たに国家の威信をかけて創設されたのがパリ管弦楽団で、その初代音楽監督に任命されたのがミュンシュでした。第2次世界大戦前にパリ音楽院管弦楽団の常任指揮者を務めていたミュンシュ以上にこの新たなオーケストラを率いるのにふさわしい指揮者はおらず、同年10月2日からの綿密なリハーサルを重ねてむかえた11月14日の第1回演奏会は、国内外に新しいフランスのオーケストラの誕生をアピールする大成功を収めたのでした。その1年後、1968年11月、パリ管弦楽団の北米ツアーに同行中にリッチモンドで心臓発作のため急逝するまで、ミュンシュは30回ほどの共演を重ねるとともに、EMIにLP4枚分の録音を残しました。このオーケストラは1967年の創設以来次々と音楽監督が代わりましたが、1975年にバレンボイムがその地位に就任してからは、得意のフランス音楽を中心に積極的な活動を展開するようになりました。
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