DE DGG SLPM138 955 クーベリック シューマン・交響曲2番
商品番号 34-22877
通販レコード→独 TULIP ALLE HERSTELLER 盤 RED STEREO LOGO[オリジナル]
ストレートかつ厳格な解釈で押し切った熱演! ― ラファエル・クーベリック1度目のシューマン全集より、《交響曲第2番》と《ゲノヴェーヴァ序曲》のカップリング。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ならではの力強くゴージャスな演奏で、2度目のバイエルン放送交響楽団との全集と並んで高い評価を受ける一枚です。両者のコンセプトは基本的に同じながら、オーケストラの個性の違い、クーベリックの年齢の違い、楽器配置の違いなどもあって、印象はけっこう異なります。いずれも奇は衒わず重厚な響きと節度ある造形だが、バイエルン盤の方が造形的にも落ち着いて衒いもなく、温和な表現であるのに対し、こちらは、見通しが良く、グイグイと突き進む若々しいシューマンが聴ける。熱狂と哀愁とが絶妙に交錯する作品の本質を、あくまでも自然な流れの中で描き出す手腕は全盛期のクーベリックならではといえるでしょう。爽やかでロマンティックなシューマンを聴きたい方にお勧めしたい。クーベリックには「その音楽は概して中庸で、素朴な味わい云々」といった評が付いてまわる。商業録音の成果に関して多く言われていたことで、音楽的特質においてクーベリックは一種ヴィルヘルム・フルトヴェングラー的な気質を持っていたとされ、個性的だが、あざとくないアゴーギグ。例え方を変えれば、演歌すれすれの泣き節。激しくも気高い情熱。心憎いまでの絶妙な間の取り方。そしてオーケストラとの阿吽の呼吸。ザックバランな言い方をすれば、ぶっ飛び破廉恥演奏ではないが、間違っても退屈な優等生演奏ではない。かえって要所要所で「おっ、おぅっ」と仰け反らされるテクニシャン。とはいえ、それも絶対的な安心感で身を任せていられる。シューマンならではの錯綜とした響き、複雑な和声と対位線で編まれたスコアを、音の改変で聴きやすく弄るのではなく、ストレートかつ厳格な解釈でパワフルに聴かせるクーベリックのシューマンはやはり魅力的です。全体的に湧き立つような早めの推進力のあるテンポが採られ、その中で野卑にならないギリギリのところで見事な緩急が付けられています。細部の彫琢は入念に整えられており、ちょっとした打楽器や木管のアクセント一つが意味深く響き、対旋律が埋没することなく絶妙なバランスで引き立つよう目配りされている。弦の国チェコの黎明期を支えた大ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリックを父に持つサラブレッド。若くして指揮者デビュー、ヴァーツラフ・ターリヒと伴に1930年代からチェコの楽団を支えたが、1948年祖国のクーデターによる政治体制崩壊を契機に米国に亡命、1950〜53年シカゴ交響楽団の常任時代、反共産主義の反発に遭い不遇の時代と揶揄されていますが、同時期に英EMI社やドイツ・グラモフォンと契約。1960年代はドイツ・グラモフォンではドヴォルザークの交響曲集やマーラーの交響曲全集、ワーグナーのローエングリン全曲など優れた名盤を残すが、この覇気のあるシューマン演奏はその中でも特に優れたものの一つである。若かりし頃の颯爽としたクーベリックが聴けるのが最大の魅力だ。しかもヘルベルト・フォン・カラヤンのオーケストラが相手だけに、少しカラヤン的になってしまう部分が面白い。ただ未だ前任フルトヴェングラーの残滓の残るベルリン・フィルとの模索闘争中で、オーケストラがカラヤンの色に染まろうとしていたのか。暖かいサウンドで内声がよく響くバイエルン盤に対し、まだあまりカラヤン色に染まっていないベルリン・フィルの切れ味のある暗めの厳しい音は対照的ともいえ、これにメリハリの効いた若きクーベリックの指揮がかみ合うことで、覇気に満ちた演奏が展開されているのです。赤ステレオ・ロゴの初期ジャケット、「ALLE HERSTELLER」ではじまる初期チューリップ盤です。
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- Record Karte
- 交響曲第2番ハ長調Op.61、『ゲノヴェーヴァ』Op.81序曲。1964年9月ベルリン、イエス・キリスト教会でのステレオ(セッション)録音。
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