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《ロココ調の名曲名盤 ― モーツァルトのコンチェルト》

ハープの必殺普及人。

カールハインツ・ツェラーとニカノール・サバレタによる、大きなスケールの曲想による力の漲った豊麗な情趣が横溢する ― 優雅で華やかなハープの音世界を満喫出来る。いかにモーツァルト時代、グランド・ハープがコンサート楽器として普及・認知されていったのを如実に示す名盤。

ハープは笛と並んで歴史の古い楽器です。ギリシャ神話にも度々登場し、特に動物から木々や岩までも魅了したオルペウスの竪琴は星座にもなりました。ハープの前身の一つにキタラがあります。ギリシャでは今でいうギターを表す名詞になっていますが、いわゆる「竪琴」という日本語は便利なもので、「リラ」とか「弓型ハープ」とか「フォルミンクス」、そして「キタラ」を区別することなく、このての楽器を「たてごと」として弦楽器の分類範疇におさめてしまう。キタラの共鳴胴から伸びている2本の柱は太めで時として共鳴胴と一体になっている。プレクトラム ― ギターでいうピックで弦をはじいていたようだ。ピアノと同じように張った弦を鳴らす楽器だが、ピアノのようなハンマー装置でたたくのではなく、人間の手で直接にはじくのだから、もっと優しい音が出る。奏者が抱えるようにして弾くので目立たないけれども、大きな共鳴胴も持っている。だから音が豊かにふくらむ。現代のダブル・アクション・ペダルの形になったのは19世紀前半の頃。その後19世紀末にはエラール社が2列の弦を交叉させて並べたクロマティック・ハープを開発し、ドビュッシーがこの楽器のために「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」を書いたりもしました。マーラー以降、ドビュッシー、ラヴェルらによって好んで活用されたハープですが、決してソロ・レパートリーが多いとは言えません。しかし、その類希な、清らかで可憐な音色を愛した作曲家たちは、数少ないながらも煌くようなハープ作品の歴史を築き上げてきました。ハープ奏者には女性が多い。指揮者の岩城宏之氏によると、日本ではとくに女性の比率が高いそうである。そうなると、社会的ジェンダー意識からしても、ハープは〝優美な音の楽器〟という評価がより強く持たれてしまいそうな感じがする。でも、いまどきこんなことを書くとハープ奏者の大半の機嫌を損ねそうだ。スペインではハープはかつて特別な地位にありました。15〜16世紀にはアラゴン王国の国王フェルナンド2世に仕え、その妻であるカスティーリャ王国の女王イサベル1世にハープを教えたというルドビコというハービストがおり、彼の歴史的遺産を保存研究する協会が現在も活動しています。セビーリャとグラナダで16世紀前半に出された法令では弦楽器製作者はチェンバロやリュートとともにハープの製作が義務付けられていましたし、17世紀初期までは教会をはじめ広く一般に用いられており、当時多くの貴族も演奏していたそうです。20世紀になってスペインではルイサ・メナルゲスやニカノール・サバレタ、マリサ・ロブレスという歴史的名手も活躍。ロドリーゴはサバレタのために「アランフェス協奏曲」をハープ用に編曲、ロブレスには彼女の結婚祝いにセビーリャ幻想曲『ヒラルダの調べ』を贈っています。そのような美しい音を持ちながら、というより、美しいソノリティがために、ハープはクラシックの〝本流〟である19世紀ドイツ・オーストリア音楽では常に脇役の地位に置かれてきた。「オーケストラの美しい音担当」の役割に固定されてきたのです。その役割からなんとか脱出しようというのが、少なくとも現在、ハーピストとして活躍する人たちの共通の悲願なのではないかと思う。協奏曲では、ヘンデルのハープ協奏曲、1778年に書かれたモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」以来、ドイツ・オーストリアで活躍した作曲家による作品は、やはり18世紀のクルムフォルツの作品と、19世紀のカール・ライネッケ(1824.6.23〜1910.3.10)の作品ぐらいしかない。(モーツァルトでのカデンツァでの技巧を散りばめたスケールの大きさ。ライネッケでは、ベルリン・フィルの起用でブラームス作品を想起させることを成功させている。)曲が少ないのであれば、演奏機会の少ない曲であってもどんどん紹介し、新しい企画にも次々に手をつけていこうと積極的に、オーディオの醍醐味を聴かせたいと、レコード会社も取り組んでいた。18世紀から近代にわたるハープ音楽の全貌、真の魅力が、20世紀最高のハーピスト、サバレタによって明かされます。

貴方の部屋はヨーロッパの宮殿の優雅な空気が支配する。

現代においてハープが本格的なコンサート楽器として取り上げられた例は、ヘンデルのハープ協奏曲などですが、オーケストラの重要な楽器として扱い始めたのは、モーツァルトの貢献があると断じたい。こういう点からも古典派の代表格モーツァルトはピアノでも、ヴァイオリンでもなく、ハープの必殺普及人と呼べるのでは。モーツァルトの本領であるオペラでも、通奏低音にハープが似合うようにも思えています。さて、ハープ界の女王と云えば、まず最初に我々はフランスのリリー・ラスキーヌの名前を思い浮かべますが、ハープ界の国王といえば、かの高名なフランスの作曲家モーリス・ラヴェルが絶賛するスペインの世界的ハープ奏者ニカルーノ・サバレタでしょう。サバレタの安定感のあるクリアな演奏が曲の魅力をうまく引き出している。本盤は優雅で華やかな雰囲気のハープの音の世界を満喫出来る。いかにモーツァルト時代、グランド・ハープがコンサート楽器として普及・認知されていったを如実に示す名盤。本盤を再生した途端、貴方の部屋はヨーロッパの宮殿の優雅な空気が支配することを保証致します。本盤の発売と合わせるようにして、ウィーン国立歌劇場カペルマイスターをつとめていたエルンスト・メルツェンドルファー(Ernst Märzendorfer)が、初来日。読売日本交響楽団に客演してベルクの『ルル』組曲の日本初演など指揮をした。モーツァルテウム音楽院でクレメンス・クラウスからいろいろと学んだのち、グラーツ市立劇場で指揮活動を開始。メルツェンドルファーもクラウスと同じく、歌劇場のオーケストラを用いたシンフォニー・コンサートを開催し、現代作品も取り混ぜた多彩なプログラム構成をおこない、1952年までグラーツの音楽シーンに貢献するなど、クラウスが歩んだ道を辿り、1953年からはモーツァルテウム管弦楽団の首席指揮者に就任、翌年にはザルツブルク音楽祭にも出演。コンサート分野で活躍した後、1958年になるとベルリン市立歌劇場のカペルマイスターとして契約しますが、1960年に客演したウィーン国立歌劇場が気に入り、1961年にベルリン市立歌劇場を辞してウィーン国立歌劇場のカペルマイスターとして契約。当時の音楽監督はクラウスの弟子でもあったヘルベルト・フォン・カラヤンでした。オーストリア生まれでもあり、販路がアメリカの通販系マイナー・レーベルとはいえ、ハイドンの交響曲全曲を世界初録音。リヒャルト・シュトラウスと交流があったメルツェンドルファーにとって、リヒャルト・シュトラウスのオペラとバレエは、全曲、得意なプログラムでもありました。ウィーン国立歌劇場でのオペラ指揮は285回、バレエの指揮は129回に及んでいました。生涯オペラ指揮者だったメルツェンドルファーは、師のクラウス譲りの指揮テクニックで複雑な作品も着実にこなし、バロック、古典派、ロマン派から近現代作品まで多彩なレパートリーを取り上げた。80歳を超えても指揮を続けており、2009年9月16日に脳腫瘍で亡くなっていますが、最後の指揮はその4か月前のモーツァルトのオペラ『魔笛』でした。今ではほとんど忘れ去られた古いステレオ録音ですが、聴き終わるたびに拍手をしたくなる。「録音」という行為が今とは比較にならないほど重みがあったはずだ。当時のマスターに近い初期盤を聴くと、一流の音楽家達が真摯になっている取り組みが分かります。

ラヴェルにも絶賛されたと言われるその透き通った音色と、雑音をさせない素早いペダル操作に何よりも吃驚される。

ハープの世界的巨匠ニカノール・サバレタ(Nicanor Zabaleta Zala, 1907.1.7〜1993.3.31)が来日したのは1960年と1962年の2回、いずれも大阪国際フェスティバルに招かれての来日だった。サバレタはハープという楽器の可能性を追求し、近代ハープ界の中にあって独奏楽器として真に独立した地位を築いたと言えます。近代ハープの立役者といえば、まずフランスで主に活躍をしたラスキーヌの名が上げられますが、サバレタは故国のスペイン作品や古典の作品、近代作曲家の作品まで広く演奏した面から伺えるように、幅広いレパートリーを持ち、世界中で演奏を繰り広げました。サバレタは様々な作曲家から曲を捧げられており、ハープという楽器のレパートリー増大にも多大な貢献をしています。その演奏を聴いて、ラヴェルにも絶賛されたと言われるその透き通った音色と、雑音をさせない素早いペダル操作に何よりも吃驚される。サバレタが自身で考案したと云う8本ペダル付きの楽器は、ドイツのシュワーベン地方、シュターンベルグ湖畔に工房を構えるハープ製造マイスター、ヨゼフ・オーバーマイヤー氏の作品で、メカニックが精密で音程が極めて正確だ。各ペダルは車のギアー・チェンジの様に足で踏んでこれを3段階に切り換える様になっている。オクターブ7つの音の其々に専用のペダルがあり、演奏者の右足の側に手前からミ、ファ、ソ、ラと4本、左足側にシ、ド、レと3本、左右に別かれて付いている。ペダル中段がピアノの所謂白鍵=ナチュラルの音で、下段にすると半音高くなってシャープの音に、上段にすると半音低いフラットの音になる。ペダルを全部中段にした状態で全ての音がナチユラルになり、ピアノでいう白鍵だけのハ長調の音階になる、その状態でファのペダルを踏み込んでファ♯にするとト長調の音階になる仕掛けだ。しかし、ピアノには個々の音にダンパーが付いていて、鍵盤から指を離すとダンパーが弦を押さえて音が鳴り止む仕組みになっているが、ハープはギターと同様に指で弦を弾いて音を出すのだが、弾いた後は音は鳴り放しになる。そこで、必要な個所では掌で弦を押さえて鳴りを止めることになるが、弾きながら掌で音を止めるのは物理的に限界があり、音が濁ってしまうことが避けられない。そこで考案された、8本目の特別なペダルで、この操作が低音用のダンパー機構をなし、ピアノのダンパーの役目をする。サバレタはこの特別のペダルを駆使するだけでなく、こまめに指先でも音を止めている。だから音が濁らず、アーティキユレーションが鮮明だ。

ニカノール・サバレタ・サラ(Nicanor Zabaleta Zala)は、1907年1月7日、スペインのサン・セバスティアン生まれのハープ奏者。民族的にはバスク人である。1914年に、素人音楽家だった父親に古物商に連れて行かれ、ハープに出会う。やがてマドリード音楽院教員のビンセンタ・トルモ・デ・カルボと、ルイーザ・マナルケスに師事する。1925年にパリに留学して、1925年からパリでマルセル・トゥルニエとジャクリーヌ・ボロに師事する。翌年にパリで公式に演奏会デビューを果たした。1930年代から欧米各地で活躍し、1934年には北米デビューを果たした。日本には1960、62年に大阪国際フェスティヴァルに来演した。彼は自分で考案した8つのペダルを持つオーベルマイヤー製のハープを使用しており、透明で輝かしい音色と完璧な技巧でラヴェルにも絶賛された。サバレタは様々な作曲家から曲を捧げられており、ハープという楽器のレパートリー増大にも多大な貢献をしています。近代ハープの立役者といえば、まずフランスで主に活躍をしたリリー・ラスキーヌの名が上げられますが、サバレタは故国のスペイン作品や古典の作品、近代作曲家の作品まで広く演奏した面から伺えるように、幅広いレパートリーを持ち、世界中で演奏を繰り広げました。サバレタに作品を献呈した作曲家に、アルベルト・ヒナステラ、ダリウス・ミヨー、エイトール・ヴィラ=ロボス、ウォルター・ピストン、エルンスト・クルシェネク、ホアキン・ロドリーゴがいる。サバレタの録音は、およそ300万枚の売り上げになると見積もられている。最後の演奏会は、1992年6月16日にマドリードで開かれたが、このとき既に健康は衰えていた。1993年4月1日、プエルトリコにて没。
  • Record Karte
    • 演奏:Karlheinz Zöller; Nicanor Zabaleta; Berliner Philharmoniker; Ernst Märzendorfer
    • Engineer [Recording] – Harald Baudis, Recording Supervisor – Wolfgang Lohse.
    • 曲目
      1. Wolfgang Amadeus Mozart; Konzert Für Flöte Und Harfe Mit Orchester C-dur KV 299
      2. Carl Reinecke; Konzert Für Harfe Mit Begleitung Des Orchesters E-moll Op. 182

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Great Concerto Works for Harp
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Harp Concerti
Kuentz
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1989-07-14


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