34-508

商品番号 34-508

通販レコード→独チューリップ ALLE HERSTELLER 盤

レーガーはインフレーション、リヒャルト・シュトラウスは遊戯の名人芸であり、ヒンデミットは魂の広範な課題と綜合の試みである。この内面からの働きかけなくして、真の創造性はあり得ない。 ― パウル・ヒンデミットは、ドイツ楽会の若手中のホープだった。若くて何ものにも影響されていず、しかも才能豊かな彼は音楽家として望まれる模範的な人物で、どんな時にも我を忘れることがなかった。また彼に対するナチの攻撃にもかかららず、ヒンデミットは若い音楽家世代のアイドルであった。長年彼は重立った国際現代音楽祭をはじめとするヨーロッパ各地の現代音楽祭の中心的存在だった。作曲家で教師でもあり、独奏家としても認められていた。とにかくみんなの関心はその頃、ヒンデミットの新作のオペラ「画家マティス」に集まっていた。このオペラのきわめて美しくも感動深い台本もまたヒンデミットによって書かれたもので、それは偉大なる中世ドイツの画家マティアス・グリューネヴァルトの生涯に題材を求めている。戦前、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をヨーロッパの主要都市で演奏させたのは、ナチスの政策の悪いイメージをカモフラージュするためであった。フルトヴェングラーはドイツ中の主な大歌劇場と同様、国外の名のある歌劇場でもベルリンに於ける世界初演に続いて、これを上演することになっていた。ところが上演準備の最中、前のオペラ『その日のニュース』でヌード・シーンがあったことが原因で、ナチスがヒンデミットの音楽に〝退廃音楽〟の烙印を押して上演禁止の通達を出すなどして攻撃した。1934年3月11日、ヒンデミットがこのオペラの音楽をまとめて、フルトヴェングラーために作った交響曲「画家マティス」をベルリン・フィルとの演奏でフルトヴェングラーが初演した時、新聞は、聴衆に嵐のような熱狂で迎えられたと伝えた。ナチスに抵抗しようにもできなかった人々は、ヒンデミットの作品を演奏することが、大きな意味を持っていると考えたのである。もちろんナチスも、その雰囲気をよく理解していた。その後のナチスの機関誌、ナチス文化共同体からの声明などに対して、フルトヴェングラーは11月25日に〝ヒンデミット問題〟という論文を発表して抗議した。また、12月にはベルリン・フィルと国立歌劇場の主席指揮者、帝国音楽院副総裁などの要職を辞任した。フルトヴェングラーにとって、政治がどの程度、芸術の領域に進入し得るかという重要な問題だった。しかし翌年、1935年3月にゲッペルスとの会談を行なったフルトヴェングラーは、さっそく演奏活動をはじめた。フルトヴェングラー自身はナチスに屈服したつもりはなかったが、多くの人々には、ナチスに屈服したかのように見えたという。ヒンデミットとリヒャルト・シュトラウスが小弦楽のために書いた『変容』で纏めた本盤は、ベルリン・フィルの豊かな弦楽アンサンブルが素晴らしい。斬新な響きの中に、主題がどのように工夫されて変奏されているかがよく分かる演奏で、魅力的なヒンデミットとリヒャルト・シュトラウスの陶酔させる音楽を堪能できる。
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ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは自身の著書「音と言葉」のなかで、ベートーヴェンの音楽についてこのように語っています。『ベートーヴェンは古典形式の作曲家ですが、恐るべき内容の緊迫が形式的な構造の厳しさを要求しています。その生命にあふれた内心の経過が、もし演奏家によって、その演奏の度ごとに新しく体験され、情感によって感動されなかったならば、そこに杓子定規的な「演奏ずれ」のした印象が出てきて「弾き疲れ」のしたものみたいになります。形式そのものが最も重要であるかのような印象を与え、ベートーヴェンはただの「古典の作曲家」になってしまいます。』その思いを伝えようとしている。伝え方がフルトヴェングラーは演奏会場の聴衆であり、ラジオ放送の向こうにある聴き手や、レコードを通して聴かせることを念頭に置いたヘルベルト・フォン・カラヤンとの違いでしょう。その音楽を探求するためには、ナチスドイツから自身の音楽を実体化させるに必要な楽団を守ることに全力を取られた。そういう遠回りの中でベートーヴェンだけが残った。やはりフルトヴェングラーに最も適しているのはベートーヴェンの音楽だと思います。カラヤンとは異世界感のシロモノで、抗わずに全身全霊を込めて暖かい弦楽器が歌心一杯に歌い上げた演奏で感動的である。フルトヴェングラーの音楽を讃えて、「音楽の二元論についての非常に明確な観念が彼にはあった。感情的な関与を抑制しなくても、構造をあきらかにしてみせることができた。彼の演奏は、明晰とはなにか硬直したことであるはずだと思っている人がきくと、はじめは明晰に造形されていないように感じる。推移の達人であるフルトヴェングラーは逆に、弦の主題をそれとわからぬぐらい遅らせて強調するとか、すべてが展開を経験したのだから、再現部は提示部とまったく変えて形造るというような、だれもしないことをする。彼の演奏には全体の関連から断ち切られた部分はなく、すべてが有機的に感じられる。」とバレンボイムの言葉を確信しました。これが没後半世紀を経て今尚、エンスーなファンが存在する所以でしょう。
  • Record Karte
    1. 1947年10月27日ベルリン、ティタニア・パラスト(SFBによるライブ録音)・リヒャルト・シュトラウス:23の弦楽器のための変容(メタモルフォーゼン)
    2. 1947年9月9日ベルリン、ダイレム・ゲマインデハウス(SFBによる放送録音)・ヒンデミット:ウェーバーの主題による交響的変容
  • DE DGG LPM18 857 フルトヴェングラー R.シュトラウ…
  • DE DGG LPM18 857 フルトヴェングラー R.シュトラウ…
オリジナルスBOX
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ポリドール
1997-08-06