34-29386

通販レコード→DE BLUE LINE, ℗1985, STEREO 110㌘重量盤。

DE DGG 413 800-1 イツァーク・パールマン 小澤征爾 ボストン交響楽団 室内合奏団 ベルク ヴァイオリン協奏曲 アダージョ ワルツ「酒、女、歌」

商品番号 34-29386


《指揮者・小澤征爾Seiji Ozawa死去(2024年2月6日) ― 幸福と孤独を抱えたパイオニアのBEST名盤を検証する。》

小澤征爾の旺盛な興味が良い方向に出ている名演奏。調性音楽の残滓には ― 熊本地震を体験して改めて聞くこのレコードは ― 愛着を深めさせる。

イツァーク・パールマンのドイツ・グラモフォンへの最初の録音であり、小澤征爾指揮ボストン交響楽団という最高の共演者を得た代表的名盤。超絶技巧で知られるパールマンを、現代音楽を得意とする小澤&ボストン響が支える名演です。イツァーク・パールマンのヴァイオリンは豊かな表情を湛え、魅力あふれたこの作品を存分に弾き込んでおり、特段に美しい響きを聴かせる。

名伯楽イヴァン・ガラミアン門下の三羽烏の1人(他の2人はピンカス・ズーカーマンとチョン・キョンファ)。1970年代以降、世界のトップ・ヴァイオリニストの1人として活躍し続けていたイツァーク・パールマンの代表盤。人生の寂寥感や絶望を、実に清澄な美しい音色で描いて行くが、表面的な美しさにとどまらず、深い内容を掘り下げていこうという真摯なアプローチが素晴らしい。

絶頂期のパールマンと小澤&ボストン交響楽団の組み合わせによる、20世紀音楽を代表する「ヴァイオリン協奏曲」とボストン交響楽団室内合奏団(Chamber Players)でのベルクの室内楽曲のカップリング。晦渋なベルクをひたすら美しく弾くパールマン、きびきびとした伴奏でサポートする小澤、録音も素晴らしいのでおすすめの一枚。

親しかった少女への追悼であると同時に、ベルク自身へのレクイエム曲。

ベルク最後の作品となった「ヴァイオリン協奏曲」。昭和10年に完成した、この曲は20世紀クラシック音楽を代表するヴァイオリン協奏曲の名曲。第2次世界大戦が苛烈になり、数多い悲劇を起こし始めた頃に作曲された。新ウィーン楽派の一員として、シェーンベルク、ヴェーベルンと共に活躍したオーストリアの作曲家、アルバン・マリア・ヨハネス・ベルク(1885.2.9〜1935.12.24)は、裕福な商人の家庭に生まれた、文学や演劇に関心を持った少年でしたが、15歳から独学で作曲の勉強を開始し、歌曲などを書いています。この頃、恋愛事件によって自殺未遂まで追い詰められるなど、きわめて多感だったベルクでしたが、シェーンベルクとの出会いによって、作曲家として身を立てることを決意したのも同じ頃のことでした。師のシェーンベルクのもと、ヴェーベルンが未来を志向したと言われるのに対し、ベルクは過去と密接に繋がって、無調や十二音の作品でさえ後期ロマン派的で濃密な気配を感じさせたのがポイント。マーラー風の音楽をシェーンベルク的な語法で要約したかのような印象的な作品となりました。代表作のひとつであるヴァイオリン協奏曲には「ある天使の思い出に」(Dem Andenken eines Engels)の献辞が付されている。この曲は、ヴァイオリニストのルイス・クラスナーによって依嘱されたものですが ― ベルクはヴァイオリンの曲は十分に書いたと考えていたし、何より、「ルル」というオペラの作曲中だった為その依頼を受けるかどうか迷った。当時ベルクは、ナチス政権の締め付けによって経済的な問題をかかえていた。しかし、クライナーの提示した報酬が1,500ドルと高額だったため、引き受けることに決めたとも伝わっている。
ベルクがヴァイオリン協奏曲の構想を練り始めて間もない頃、アルマ・マーラー(作曲家マーラー未亡人)がヴァルター・グロピウスともうけた娘マノン・グロピウスが小児麻痺で急逝したことを聞く。たった18歳の若さであった。マノンを大変かわいがっていたベルクにとって、彼女の死は辛いものだった。

調性音楽の残滓ざんし ― ヴァイオリン協奏曲「ある天使の想い出に」》

バロック音楽時代後期に、ヴィヴァルディが創始した急緩急の3楽章構成の独奏協奏曲concerto soloが習慣だった伝統を破り、この協奏曲は2楽章構成で成り立っている。宇宙の始まりような密やかな序奏で始まり、ヴァイオリンのソロは純粋無垢、穢れをしらないマノンを象徴しているようである。優雅に、愛らしく、マノンの姿を描きながら曲は進み、ウィーンのワルツ風の音楽が現れる。遠くでは、オーストリアのケルンテン州という地方思わせるように、とベルクが楽譜の中に記述している民謡「スモモの木で一羽の鳥が」(Ein Vogel auf'm Zwetschenbaum)が聞こえている。ケルンテンはベルクとマノンが初めて出会った場所なのだ。羽が生えてふわふわ飛翔するようなフレーズが幻想的なのだが、ヴァイオリン・ソロとオーケストラがバラバラに存在しているように、旋律らしいものは浮かんでは、沈みを繰り返すばかり。

この曲を支配する12音技法の手法所以ですが、熊本地震を体験して改めて聞くこのレコードは愛着を深めさせるものになった。12音音楽はもともと調性の束縛から逃れるためのものであったのにも関わらず、アルバン・ベルクがこの曲で提示している12音音列は、長調と短調、そして全音音階をミックスさせた、あえて調性音楽の残滓を残すものだ。それが、この曲が12音音楽でありつつも、私たちに親しみを感じさせ、何度も再演されるような人気の曲にした理由の1つではないかと思う。初めて聴いた時から、心地よさを説明できないものでしたが、災害や病気の悲しみより、先のはっきりしない不安が曲を聴いた時の感銘を違える曲ではないか。

なおも無邪気にワルツを踊ろうとするマノンを病魔がとうとう捉えると、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのカンタータ第60番「おお永遠よ、汝雷の言葉よ」(O Ewigkeit, du Donnerwort)にも使われていたので、ベルクはこれがバッハの作品だと思っていたコラール(第5曲)が厳かに美しく奏でられる。バッハのカンタータのなかでも受難曲に近い独創性を感じさせる、マタイによる福音書第9章18~26節 「会堂司の娘がイエスによって生き返る」という場面です。このフランツ・ヨアヒム・ブルマイスターによるコラールの歌詞は、ベルクの楽譜にも書き込まれている。「もう十分です。主よ、どうか私に休息を与えてください。私のイエス様がいらっしゃる、この世界よ、さようなら、苦しみはこの世に残して心やすらかに、私は天国へと旅立ちます。もう十分です。」遠くから再び、ケルンテンの懐かしい歌のメロディーが聞こえてくる。すると穏やかに、この世の思い出を馳せるように。「もう十分ですEs ist genug」と、ヴァイオリンで一段と高く、今一度そう呟かれると、よろよろと音は降下し、ぷつり、と不自然に途切れ終わる。

この協奏曲を「ある天使の想い出にDem Andenken eines Engels」と題して親しかった少女の死を悼んだレクイエムであると同時に、自らの死を予感した自伝的作品にもなった。何より、「ルル」というオペラの作曲続行を中断してまで書き終えた。その結果、作曲直後にベルク自身も亡くなり、これがベルクの最後の作品となり、したがって作曲中だった「ルル」は未完に終わった。

イツァーク・パールマンのドイツ・グラモフォンへの最初の録音であり、小澤征爾指揮ボストン交響楽団という最高の共演者を得た代表的名盤。イツァーク・パールマンのヴァイオリンは豊かな表情を湛え、魅力あふれたこの作品を存分に弾き込んでおり、特段に美しい響きを聴かせる。超高音の音程の正確なこと。一つ一つの音が、どんなに難所でも、はっきりと、きらびやかに鳴っています。ヴァイオリニストにとっての難曲の一つであり、超絶的な技巧を要する曲であるのだが、 パールマンは、決して技巧のみを全面に打ち出してはいない。ベルクが同曲に込めた人生の寂寥感や絶望などを、実に清澄な美しい音色で描いて行くが、表面的な美しさにとどまらず、同曲に込められた深い内容を掘り下げていこうという真摯なアプローチが素晴らしい。それでいて、卓越した技量にはいささかの不足はなく、このような現代音楽を得意とした小澤&ボストン交響楽団も、これ以上は求め得ないほどの最高のパフォーマンスを示している。

イツァーク・パールマンは彼が22歳の時に録音した最初のコンチェルト・グループ ― チャイコフスキー、シベリウス、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番 ー の入れなおしを完了した時、これらの初録音を未熟だと思っていると言っていた。パールマンほどの名手になると、若き日の録音はそれなりに価値があり、一人の偉大なアーティストの成長の軌跡をたどることの出来る貴重なドキュメントというべきだろう。パールマンは13歳の時、エド・サリヴァン・TVショーのゲストに招かれて、渡米して研鑽けんさんを深めるきっかけを掴んだが、このレコードの発売当時、彼は自己を語っている。『ぼくは、ぼくが13歳で信じがたいほどの驚異的天才であったとは信じていない。OK、ぼくは才能に恵まれてはいたが、アブノーマルな天才じゃなかったな ― 天才とは、良かれ悪しかれ、アブノーマルなもんでしょう。ぼくの場合には、それは健全な才能だったし、ぼくの生活からかけ離れたものじゃなかった(グラモフォン誌 '81年9月号)』クライスラーとハイフェッツのレパートリーを現代に更新し充足しうるヴァイオリニストと言ったら、パールマンを措いて他にないだろう、と期待が大きかった時代を邂逅できるレコード。全ての音程は完璧に制御され、徹底的な美音、暖かで繊細・豊麗な歌い回し等が彼の演奏の特徴である。レパートリーは極めて広く、協奏曲・ソナタのみならず、フリッツ・クライスラーなどの小品集でも高い評価を受ける。また純粋クラシック音楽以外の分野も手がけ、ユダヤの民族音楽を歌ったものやスコット・ジョプリンのラグタイム集などの演奏等の業績も見られる。パールマンが弾く楽器は、かつてフランスのヴァイオリニスト、エミール・ソーレが所有していたグァルネリ・デル・ジェスの「ソーレ( Sauret , 1740-1744 )」と、パールマンが23歳の時にメニューヒンに弾かせてもらい恋に落ちた楽器で、「もし手放す気になった時には是非僕に売ってください」とお願いしていた。メニューヒンより購入した、ストラディヴァリウスの黄金期に類される1714年製「ソイル( Soil )」を1986年から使用している。

小澤征爾は2002年、ボストン交響楽団の音楽監督を離れた。就任から29年。アメリカのオーケストラの音楽監督として最も長い在籍期間だ。小澤は38歳の若さで1973年にボストン響の音楽監督に就任します。以来、その演奏は国際的なレーベル、ドイツ・グラモフォンから発売されるようになり、しかもこの国際的なレーベルから、その演奏が発売された日本人指揮者では小澤が初めてのことでした。大きなオーケストラに唯一人対峙する指揮者。NHK交響楽団や日本フィルハーモニー交響楽団との事件は彼の指揮者として目指していくスタイルを確信させた。「世界のオザワ」がはじめて持った、「自分のオーケストラ」はトロント交響楽団で、1965年秋に音楽監督に就任した。欧米の名門オーケストラを若いうちから指揮する機会に恵まれたのは、小澤が物珍しい東洋人であったからだろう。遡ること、レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督と成っていた1960年。小澤はバーンスタインとパーティーで会うと、街に連れ出され、飲み明かした。小澤には知らされていなかったが、この時点で彼をニューヨーク・フィルの副指揮者にすることが内定していた。明るくスマートでアクも少なく、リズムの扱いもていねいで好感が持てる。このオーケストラは翌1961年4月下旬に日本公演を予定しており、話題作りとして日本人を起用してみようと考えたらしい。 欧米のクラシック音楽の中心にはドイツ音楽精神が根強い。小澤の得意のレパートリーは何か、何と言ってもフランス音楽、そしてこれに次ぐのがロシア音楽ということになるだろうか。それは近年の松本でのフェスティバルでもフランス音楽がプログラムの核であることでも貫かれている。ロシア音楽について言えば、チャイコフスキーの後期3大交響曲やバレエ音楽、プロコフィエフの交響曲やバレエ音楽、そしてストラヴィンスキーのバレエ音楽など、極めて水準の高い名演を成し遂げていることからしても、小澤がいかにロシア音楽を深く愛するとともに得意としているのかがわかるというものだ。小澤が着任した時のボストン響は、どちらかと言えばきれいで色彩豊かな音を出していた。かつての音楽監督シャルル・ミュンシュやよく客演していたピエール・モントゥーらフランス人指揮者の影響だろう。その代わり、ドイツ的な重みのある音楽はあまり得意じゃなかったように思う。しかし小澤自身はドイツ系の音楽もしっかりやりたい。例えばブラームス、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラー。あるいはやはり重みが必要なチャイコフスキーやドヴォルザークもやりたかった。そこで重くて暗い音が出るように、弦楽器は弓に圧力をかけて芯まで鳴らす弾き方に変えた。だけど小澤が就任した時のコンサートマスターのジョセフ・シルヴァースタイン ― その後、彼は指揮者となり成功している。 ― はそういう音を嫌がり、途中で辞めてしまう。それでも辛抱強く時間をかけて、ボストン響はドイツの音楽もちゃんと鳴らせるようになった。それでいてベルリオーズの「幻想交響曲」といったフランス物も素晴らしい演奏ができる。フランスの洗練とドイツの重み、両面を持つ良いオーケストラになった。

小澤らしさとは ― 〝メロディーとリズムの微妙なせめぎ合い〟は殆ど感じられない、工芸品の美しさ。

小澤征爾は一度だけ辞任を考えたことがあると自伝「私の履歴書」に書いている。
タングルウッド音楽祭の講習会を改革した時だ。40年に当時の音楽監督セルゲイ・クーセヴィツキーが創設した際はボストン交響楽団の楽員が講師だった。なのに私的なつながりでポストが占められるようになり、僕の時代には一層ひどくなった。教える能力より人間関係が優先された。1997年、思い切って講師を全員辞めさせ、ボストン響の楽員を代わりに選んだ。僕の決断を「ニューヨーク・タイムズ」は痛烈に批判した。「失敗したら音楽監督は辞めるべきだな」と覚悟を決めた。この時、「セイジが正しい」とボストン響の理事たちを説得に来てくれたのが、バイオリンのアイザック・スターン、イツァーク・パールマン、チェロのヨーヨー・マ、ピアノのピーター・ゼルキンらだ。ほとんどの理事と楽員の支持も得られた。在任中、僕は楽員の待遇をいつも気にかけていた。根底には日フィル(日本フィルハーモニー交響楽団)分裂時の苦い教訓がある。ストライキだけは絶対に避けたかった。理事長のネルソン・ダーリンに頼み、楽員の給料を上げてもらった。オーケストラとしては珍しく、彼は遺族年金の制度まで作ってくれた。
「メロディーとリズムの微妙なせめぎ合い」は殆ど感じられない、工芸品の美しさに人種の息吹を知るといったふうに小澤らしさとは、メロディーを奏するソロ奏者の手足を縛ったストイックさにこそあるといえる。
セル、バーンスタイン、カラヤンの時代から、ロリン・マゼールやダニエル・バレンボイムら楽団員としての視点を持って音楽を共同して作り上げていく指揮者らへの変化の時代に、スイッチングを強いられたのが小澤征爾の恵まれたことだ。
もう一方の、ベルクの室内楽2曲は、ボストン交響楽団のコンサート・マスター、ジョセフ・シルヴァースタイン率いる首席奏者等によるアンサンブル演奏。こちらもボストン交響楽団の好パフォーマンス。ヴァイオリンとピアノおよび管楽合奏のための室内協奏曲から第2楽章を1935年にヴァイオリンとピアノ及びクラリネットに編曲した「アダージョ」と、ヨハン・シュトラウス2世のワルツ「酒、女、歌」をベルクが ― シェーンベルクが中心であったウィーン私的演奏協会のために ― 室内楽用に編曲している。独奏と13の管楽器で演奏される「室内協奏曲」はシェーンベルクの『セレナード』からの影響についてベルク自身公開書簡で言及している『抒情組曲』などと同様にベルクの私的要素が密接に関連しており、音名象徴の活用や数秘的な思考など、様々な意図が込められている。また、ヴァイオリンとピアノ及びクラリネットに編曲した「アダージョ」はバルトーク・ベーラの『コントラスツ』やイーゴリ・ストラヴィンスキーの『兵士の物語』室内楽版と同じ編成である。ヨハン・シュトラウス2世のワルツ「酒、女、歌」は、シェーンベルク編曲の「皇帝円舞曲」「南国のバラ」、ウェーベルン編曲の「宝石のワルツ」を録音したアルバムからの抜き出し。フルオーケストラのシュトラウスもいいですが、こういう小編成のアンサンブルも素敵なことに気づかされたレコードでした。地元ホテルがレストランでウィーンをテーマにした食のイベントをするので音楽を選曲してほしいと依頼があったときでした。オペレッタを思いつくぐらいでしたが、ウィーンから20万円分のレコードを送ってもらい、現地ではシュランメルン・スタイルの演奏団体が多くあることを知る切っ掛けにもなりました。人気のテイラー・スウィフトがカントリー・ミュージック出身のように、ヒットチャートを賑わすロックやポップスの他にカントリー&ブルースは親しまれています。ウィーンならではの人気歌謡があるのですね。ヨハン・シュトラウス2世の大活躍から半世紀後、ウィーン音楽の次ぎの世代がサロン風な親密な音楽にしたてあげたのがこれらの編曲。日本は、大正時代の上向き文化吸収時代でした。童謡・唱歌のはじまりです。国民の音楽教育に文部省が旗を振った唱歌は、昭和のはじめに学校教育を受けた日本のお年寄りには、小学校に通えなかった方も多く唱歌は馴染みがなく、当時の流行歌に笑顔をみせてくれます。日露戦争の戦勝ブームで歌謡曲は最高の文化に達っしていました。シェーンベルクは「新ウィーン楽派」を先鞭。ウェーベルンは音楽史を遡りヨハン・ゼバスティアン・バッハを極め、ベルクはシュレーカーら同時代の作曲家らとの活動で成果を出すと言った風に、新ウィーン楽派の類稀な多様性だ。西欧芸術は第一次世界大戦後、次の戦争が待ち受けるある意味怪しい爛熟期にあり、マーラー後、シェーンベルクと一派たちは無調から12音技法へと変転の頃。ピアノやハルモニウム、打楽器の多用が目立ち、妙に不安感をつのるのがシェーンベルクの編曲。高みにバッハの存在を感じる、室内楽的で精緻な細やかさを持ち繊細かつ透明感あふれるウェーベルンの編曲。調性の束縛から逃れることには執着せず、12音音列は調整の基本構造として、あえて調性音楽の残滓を残すベルクの編曲は優しくマイルドで、原作に響きが忠実、かつロマンティック。ボストン交響楽団室内合奏団の機能性と味わいのバランスが良い演奏。20世紀を代表するヴァイオリン協奏曲ともに、ヴァイオリニスト、指揮者、オーケストラの三拍子が揃った名演だ。

  • Record Karte
    • 演奏:イツァーク・パールマン(ヴァイオリン)、小澤征爾指揮、ボストン交響楽団
    • 演奏:Boston Symphony Chamber Players
      • クラリネット:Harold Wright
      • ハルモニウム:Jerome Rosen
      • ピアノ:Gilbert Kalish
      • ヴァイオリン:Joseph Silverstein, Max Hobart
      • ヴィオラ:Burton Fine
      • チェロ:Jules Eskin
    • 録音:1978年11月。
    • プロデューサー, 録音監督:Rainer Brock
    • エンジニア:Klaus Hiemann
    • 曲目
      1. ベルク:ヴァイオリン協奏曲
      2. ベルク:Adagio (II. Satz Aus Dem Kammerkonzert = 2nd Movement Of The Chamber Concerto = 2e Mouvement Du Concerto De Chambre)
      3. ベルク:Wein, Weib Und Gesang Op. 333 = Wine, Woman And Song = Aimer, Boire Et Chanter ― ヨハン・シュトラウス2世のワルツ「酒、女、歌」の室内楽用編曲版
    • 録音:1978年11月。
    • Previously released as DG 2531 110 [track A], ℗ 1980; DG 2531 213 [track B1], ℗ 1980; and DG 2530 977 [track B2], ℗ 1979. © 1985.

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