理想的なイゾルデ ― 録音嫌いで知られた指揮者カルロス・クライバー(1930〜2004)が正規のセッション録音で残したオペラ全曲盤はわずか4つ。そのうち最後のセッション録音となったのが、1980年から1982年にかけて3年がかりで収録されたワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」です。全曲盤はLP5枚組で発売されましたが、音楽の流れを途切れさせたくないというカルロス・クライバーの強い希望によって、演奏を休止させること無く各面の切れ目はフェイドイン/フェイドアウトで処理されていたのは異例でした。約一時間のリヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」がCDになって、スコア通り途切れのない形で聴けたことが嬉しかったことを改めて思い出しました。カルロス・クライバーが初めて「トリスタンとイゾルデ」を指揮したのはシュトゥットガルト・オペラ時代の1969年9月のことで、故ヴィーラント・ワーグナーの演出プランと舞台装置をもとに、トリスタン役のヴォルフガング・ヴィントガッセンが演技指導をする形で行われた新演出で、ヴィントガッセンのほかイングリット・ビョーナー、オットー・フォン・ロール、グスタフ・ナイトリンガーら当時の名歌手を揃えた公演は絶賛を浴びました。やがて1973年にはウィーン国立歌劇場に同じ「トリスタンとイゾルデ」でデビュー、さらに翌1974年から1976年にかけてはバイロイト音楽祭でも「トリスタンとイゾルデ」を指揮するなど、このオペラは、リヒャルト・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」、ヴェルディの2大傑作オペラ「オテロ」、「椿姫」などと並んで、1970年代のカルロス・クライバーにとっては必ず成功を収めることのできる十八番ともいえる代表作となりました。そうした状況を受けて、ドイツ・グラモフォンはバイロイト音楽祭などでのライヴ収録を提案したものの、長時間の公演での歌手の疲労やオーケストラとの不十分なバランスなどを憂慮したカルロス・クライバーの同意を得ることができず、最終的には、カルロス・クライバーが1973年にウェーバーの歌劇「魔弾の射手」で初めてセッション録音を手掛けた時のパートナーである名門オーケストラ、シュターツカペレ・ドレスデンを起用し、セッション録音のプロジェクトとして実現したのです。カルロス・クライバー最後のセッション録音にして、カルロス・クライバーが指揮した唯一のワーグナー。引き締まった力によって音楽の最深部にまで精妙な光を当てた点で、カルロス・クライバーの演奏はすぐれてユニークである。この楽劇の官能性やロマンティックな情感をしなやかに抑えて、愛の悲劇を厳しいまでの美しさをもって鋭く浮き彫りにしており、しかも、その底には、あくまで澄んだ情熱が燃えている。マーガレット・プライスをイゾルデ役に起用したのも、そうした澄んだ陰翳の深さと品格を演奏に求めたからだろう。
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トリスタンにはちょうど同役を手掛け始めていたルネ・コロ、マルケ王には既にバイロイト音楽祭でクライバーと共演していたクルト・モル、ブランゲーネにはミュンヘン国立歌劇場の「ばらの騎士」や「こうもり」でカルロス・クライバーの盟友だったブリギッテ・ファスベンダー、クルヴェナールには伝説的なヴィルヘルム・フルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」全曲盤にも参加していたディートリヒ・フィッシャー=ディースカウら、綺羅星のごとき名歌手がカルロス・クライバーの希望でカルロス・クライバーの指揮でうたっているときは「天に昇っていけるし、地獄に堕ちることだってできる」と言ったのは、プライスもそうだったのだろうと思わせるほど、この結集しています。何よりも素晴らしいのは、マーガレット・プライスを起用したカルロス・クライバーの慧眼と指揮である。確かイレアーナ・コトルバスだったが、マーガレット・イゾルデは素晴らしく、そして美しい。モーツァルト歌手として一世を風靡していた強くはあっても、暗くも重くも太くもないマーガレット・プライスの声が、カルロス・クライバーのもとでイゾルデを歌ことによって最大限生かされている。イゾルデ役はもちろんのこと、ワーグナーのオペラとも縁がなかったマーガレット・プライスは、既成概念に縛られず、ピュアでのびやかかつ情熱的な声と明確なドイツ語のディクションとで、カルロス・クライバーの望む通りのイゾルデ像を描き出しています。モルのマルケ王もいいし、コロのトリスタンもいいが、その持ち前の声を活かして完璧にうたったプライスの素晴らしさにはおよばない。
トリスタン:ルネ・コロ(テノール)、イゾルデ:マーガレット・プライス(ソプラノ)、マルケ王:クルト・モル(バス)、クルヴェナール:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)、ブランゲーネ:ブリギッテ・ファスベンダー(アルト)、メロート ヴェルナー・ゲッツ(テノール)、舵取り:ヴォルフガング・ヘルミヒ(テノール)、若い水夫:エーバーハルト・ビュヒナー(テノール)、牧童:アントン・デルモータ(テノール)、カルロス・クライバー(指揮)シュターツカペレ・ドレスデン、ライプツィヒ放送合唱団 (合唱指揮:ゲアハルト・リヒター)、歌唱指導:ヘルムート・ヴィーゼ。1980~82年デジタル録音。1980年8月26日、27日、29日、31日、10月18日~26日、1981年2月5日~10 日、4月10日、21日、1982年2月27日、4月4日ドレスデン、ルカ教会での録音、VEBドイッチェ・シャルプラッテン(当時のドイツ民主共和国、ベルリン)との共同制作。[初出]2741 006(1982年)、[日本盤初出]00MG0440~4(1982年12月25日)。[プロデューサー]Dr.ハンス・ヒルシュ、[ディレクター]ハンス・ヴェーバー、[レコーディング・エンジニア]カール=アウグスト・ネーグラー。
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