叙情性と躍動感がマッチしたシュロモ・ミンツの極技 ― クラウディオ・アバドにとっては重要なレパートリーのわりには、よくも悪しくも言及されることが少ないのがプロコフィエフ。ミンツの類まれな美音がカギとなって、その魔法の王国に入り込むことができる。聴き手にとって真に出会いとなる「最初の一枚」だ。シェロモ・ミンツはアバドと、よく録音していたヴァイオリニストだが1980年にドイツ・グラモフォンと専属契約を結び、メンデルスゾーンやクライスラーなどの数々の協奏曲、それにソナタなど当代ヴァイオリン音楽のレパートリー一通りを出していたと思うけど最近はあまり名前を聞かなくなってしまった。このときの録音では、指揮者はアバドでプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲である。アバドの絶妙なサポートによって、彼の瑞々しい音色が存分に生かされた名演です。これはやはり名演だ。ミンツの伸びのある艶やかな音色は音楽史上あまた活躍するユダヤ系奏者の中でも極上の美音だけど、しかしここでのプロコフィエフはちょっと細い印象があって、激しさと緊迫感が漂っている。叙情性と躍動感がマッチした極上のプロコフィエフです。
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シュロモ・ミンツ(Shlomo Mintz)は1957年10月10日、モスクワ生まれのヴァイオリニスト。間もなくイスラエルに移住、テルアヴィヴ音楽院でヴァイオリンを学ぶ。アイザック・スターンに認められて渡米し、ジュリアード音楽院でドロシー・ディレイに師事する。1973年、ウィリアム・スタインバーグ指揮のピッツバーグ交響楽団とブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番を演奏してカーネギー・ホールにデビューした時は、まだ16歳だった。その後、ヨーロッパにも進出し、1981年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会に登場するなど、本格的な演奏活動やレコーディングが始まった。ミンツは1980年代に大手ドイツ・グラモフォン・レーベルからメンデルスゾーンのコンチェルトでデビューします。続々とパガニーニのカプリース、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ、ドヴォルザーク、シベリウス、プロコフィエフ、ブラームス、ベートーヴェンのコンチェルト、クライスラーの名曲集などなど輝かしい録音を残します。協演もクラウディオ・アバドにジェームズ・レヴァイン、ジョゼッペ・シノーポリ、イェフィム・ブロンフマンと豪華です。指揮者のアバドとはメンデルスゾーン、ブルッフ(2531 304)、プロコフィエフ(本盤 410 524-1)、ブラームス(423 617-1)などの協奏曲のレコーディングで共演しており、その美しい音と瑞々しい演奏で絶賛された。ところが、1990年代に入り急に名前を聞かなくなります。グラモフォンからは、おそらく契約が切れたのでしょう、全くリリースがなくなります。その間にヴァディム・レーピンやマキシム・ヴェンゲーロフといった ― イーゴリ・オイストラフに師事した ― ザハール・ブロン門下の最若手が台頭し、同門でも五嶋みどりやギル・シャハムが取りざたされ、2001年に件のスターンの死によって後ろ盾を失うと全く話題にのぼらなくなります。ミンツは弩級のテクニシャンにして楽譜を深く読み込むことのできる音楽家で、正確な音程と安定したリズム、伸びやかで透き通った音色、とりわけ重音の美しい響きは格別です。ただ、演奏スタイルも人間性も真面目で誠実すぎるのです。だから、ロマンティックさや洒脱さはミンツの芸風とは全く相容れませんので本盤に聴く、プロコフィエフのメカニカルな音楽は相性が良いようで、ミンツの伸びやかな音を満喫できます。現在、彼は素晴らしいテクニックの冴えと比類ない音色の美しさで、同世代のヴァイオリニストのなかでも群を抜いた存在である。 そのテクニックに注目される機会も多いが、ミンツ自身が強調するのは、演奏家からの一方的な表現ではなく、演奏が語りかけることによって聴く側が耳を傾け、何かを感じ取るという双方向のコミュニケーションである。使用楽器は1696年製カルロ・ジュゼッペ・テストーレ(2004)、1716年製ジュゼッペ(filius Andrea)・グァルネリ「Serdet」、ロレンツォ・ガダニーニ。
1983年3月シカゴ、オーケストラ・ホールでのセッション・ステレオ、デジタル録音。
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