34-10109

商品番号 34-10109

通販レコード→独ブルーライン盤

皇帝が望んだ本格的なドイツ語オペラの理想。 ― モーツァルトは余程イタリアオペラから脱却したオペラとでもいうべきものを作りたかったらしい。この歌劇《後宮からの誘拐》は、ドイツ語によるジングシュピール(Singspiel, 歌芝居や大衆演劇)全体の筋の展開が速く、わかり易いし、登場人物も愛すべき性格の持ち主ばかり。でも音楽は非常に個性的だ。亡国に連れ去られた恋人を救出する青年のアクション映画だと思ってみると親しめる。若きモーツァルトの才気が発揮され、歌は技巧的で長大、オーケストラも単独でソロを浮き立たせながら演奏する場面も多い。のちの三大オペラに比較すると、たしかに〝音が多すぎる〟という初演当時の評価には頷ける気がする。モーツァルトが活躍した当時、流行の「トルコ風」のリズムや旋律が多用される打楽器の絢爛たる活躍も聴きものだ。台詞の部分を歌手でなく舞台俳優が担当しているのは、ドイツ・グラモフォンの定石。生き生きとした演劇的気分を生みだそうとしているのだろう。カール・ベームの指揮は、哲学的な意味を含んで演奏していると云うよりは、歌劇場と云うよりは芝居小屋に相応しい感じで話が進む。ベームならではの引き締まった表現を聴かせている。隅々までしっかりと分厚く音を鳴らしている。いつものようにテンポは遅め、意識して喜劇性を強調しているところはないが劇的なところは遠慮なく音を出す。オーケストラがシュターツカペレ・ドレスデンということもあり、ウィーンの甘さは有りませんし、人によっては堅苦しく感じるかもしれませんが、ドレスデンのオーケストラから引き出しているのは、ベルリンやウィーンのそれとはちょっと違う、木質の溌剌とした明るい響きが感じられる。それらを増幅しているのが配役だ。のびのびとした美声のペーター・シュライアー、品格とスケールのあるアーリン・オジェーに、一度聴いたら忘れられない、その声自体にコケティッシュな魅力の溢れるレリ・グリスト。ドレスデンの響きの豊かなルカ教会は、表情豊かにヨハン・ゼバスティアン・バッハのカンタータをよく録音していた歌手たちには親しみある場所。全体的に極めてドイツ的な演奏で、それが逆にドラマの真実味が向上したかのような迫真性を感じさせます。わたしは《後宮からの誘拐》を聴く度に、オペラ革命の軍配をモーツァルトに上げたくもなる。やっぱり音楽こそ魅力の根源で、舞台装置や演出の妙はそれがあってこそ生きるものだと思いを強くするからだ。
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ベルモンテという貴族が、トルコの太守の宮殿に捕らわれているコンスタンツェを救出しに行くというオペラ・ブッファです。だから後宮からの「誘拐」というよりも、「奪還」することになるわけです。この作曲の当時、モーツァルトには恋人がいて、上演後に結婚したその女性の名前はコンスタンツェです。ちょうど「結婚しようかな」という時期にこのオペラをつくって、大成功を収め、無事に結婚する。非常に印象的ですね。さらに、オペラのヒロインのコンスタンツェ役がカヴァリエリという歌手だったのですが、この女性はサリエリの生涯にわたる愛人でした。サリエリは、モーツァルトが進出してくるのはヤバイと思っていたはずです。皇帝ヨーゼフ二世は、ドイツ語オペラを創作上演する『国民劇場』運動を推進していました。宮廷音楽家に抱えていたモーツァルトに作曲を要請。モーツァルトは宮廷歌劇場の一流の歌手たちを自由に使えるのでお気に入りの歌手を集めて「ぴったり仕立てた」アリアを盛り込むことに、無我夢中になって作曲するわけです。父への手紙の中で「僕の情熱はあげてオペラに向けられ、3曲を1日で作曲し、1日半で完成」と書いています。モーツァルトの時代はオペラ上演が、各地で再演されることは考えられていませんでした。初演時の歌手、オーケストラの編成、技量に最適化され、再演時に歌手が変われば、その歌手に相応しいアリアを追加しています。モーツァルトは、歌手カヴァリエリによって創造力をかきたてられた。そのために3つの長大なアリアを作曲しているのです。第一幕、第6曲のアリア『私には恋人がありました』、第二幕、第10曲のレチタティヴォ『わが幸福の消えた日から何と大きな苦しみが』とアリア『あなたから引き離され』、第二幕、第11曲のアリア『どんな責め苦があろうと』。なかでも、第10曲は最も深い感情に満ちていて一番の聴き所です。
クラシック音楽演奏のメインストリームを牽引した、流線型のヘルベルト・フォン・カラヤンや全身全霊のヴィルヘルム・フルトヴェングラーとは違う、なにか古き良きドイツ=オーストリアの雰囲気を感じられるカール・ベームの指揮。フルトヴェングラーは時の経過につれて奥深さを痛切に感じるのは聴き手として、わたしが歳を重ねたことにあるのか。今となってはベームの音楽がわからなくなっている。カラヤンを際立てるために同時代にあったのだろうか。膨大なレパートリーの印象がカラヤンにはあるが、1945年以後の音楽には関心がないと明言している。ベームのレパートリーはどうだっただろう。『現在ドイツ、オーストリアに在住する指揮者としては、フルトヴェングラー亡きあと最高のものであろう。』とカラヤンとの人気争奪戦前夜の評判だ。『その表現は的確で、強固なリズム感の上に音楽が構成されている。メロディを歌わせることもうまいが甘美に流れない。彼は人を驚かすような表現をとることは絶対にないが、曲の構成をしっかり打ち出し、それに優雅な美しさを加え、重厚で堂々たる印象をあたえる。まったくドイツ音楽の中道を行く表現で、最も信頼するにたる。レパートリーはあまり広くはないが、彼自身最も敬愛しているモーツァルトや生前親交のあったリヒャルト・シュトラウスの作品はきわめて優れている。しかしブラームス、ベートーヴェンなども最高の名演である。』これが1960年代、70年代の日本でのカラヤンか、ベームかの根っこになった批評ではないか。
カール・ベーム指揮ドレスデン・シュターツカペレ、ライプツィヒ放送合唱団、コンスタンツェ:アリーン・オジェー(ソプラノ)、ブロンデ:レリ・グリスト(ソプラノ)、ベルモンテ:ペーター・シュライアー(テノール)、ペドリロ:ハラルド・ノイキルヒ(テノール)、オスミン:クルト・モル(バス)。1973年ドレスデン、ルカ教会での録音。3枚組。
DE  DGG  2740 203 ベーム  モーツァルト・後宮から…
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