34-19806

通販レコード→DE ブルーライン盤

DE DGG 2707 044 ヘルベルト・フォン・カラヤン グンドゥラ・ヤノヴィッツ クリスタ・ルートヴィヒ フリッツ・ヴンダーリヒ ウェルナー・クレン ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ ワルター・ベリー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン楽友協会合唱団 ハイドン・天地創造

商品番号 34-19806


カラヤン=ベルリン・フィルは20世紀クラシック界最高の組合せでした。1956年ベルリン・フィルの終身常任指揮者に就任して以来、カラヤンはこの超一流オーケストラを完全に手中に収め、素晴らしい名演を世に送りつづけます。

音楽が分かり易く総天然色。カラヤンが最も輝いていた60年代 ― 音楽をいかに美しく響かせるかを考えながらも聴衆の望むものや楽曲の伝統を未来へ継承するべく、その録音の全てにはカラヤン芸術の魅力が溢れています。

初版はフランスで限定15,000セットがプレスされた。その初版のボックスには通し番号が入っている。643 515~6、139 282~3、2707 044、2815 004、410 951-1、413 483-1 とカタログ番号の遍歴が有る(マトリックス番号は 643 515~6 )。それほど特別なレコードだ。
録音時期は1966年2月と68年9月の2回に分けられる。それは録音中の1966年9月にフリッツ・ヴンダーリヒが亡くなったため。ウェルナー・クレンが残りの歌を補う形で2年後に追加録音を行い、ヴンダーリッヒの三回忌に発売された。ウェルナー・クレンで録り直しをしなかったのは、ヘルベルト・フォン・カラヤンの信条か。カラヤンの録音を振り返るときには欠かせない存在のレコードです。
1965年にザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を振った録音が現在ではCD化されていて、ヴンダーリッヒの歌唱は全曲聞くことができますが。オーケストラをベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に差し替えて翌年セッション録音に着手したものの、ヴンダーリッヒの急死によりカラヤンにはショックだったでしょう。
いまやこの曲はもっと小編成で演奏するのが普通で、カラヤンのように大規模なオーケストラ、合唱を起用するのは19世紀の伝統的スタイルを聴くことが出来るべっぴんです。まさに豪壮な響きと精緻で迫力に溢れたウィーン楽友協会合唱団には、最後まで圧倒されました。
旧約聖書の天地創造に基づき、第1日から第6日まで、それにアダムとイヴの話までを壮大な音楽にしたもので、大成功したというのは納得できます。ザロモンの依頼で作曲した『天地創造』は、たしかにハイドンの傑作の森に聳えています。そうした広く親しまれた名曲を最高の演奏でレコード化することに情熱を傾け続けたカラヤンの姿勢は、このアルバムにも端的に示されています。
とにかくダイナミックスの幅が広く鮮やかで迫力満点。牧歌的な部分から迫力ある部分まで表現の幅が広く、リズムも引き締まっています。演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルで出来栄えも隙が無い。50歳代の後半を迎えた壮年期のカラヤンとベルリン・フィルハーモニーの覇気溢れる瑞々しい演奏。
当時は初期のステレオですが、なかなか臨場感があり、カラヤンも颯爽としたときのもので、 前任者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの時代の余韻の残るオーケストラと、推進力あふれるカラヤンの指揮が見事にマッチした演奏です。そのカラヤンの演奏スタイルは、聴かせ上手な解釈を代表する。
まだ、自分のスタイルに固執していない1960年代のカラヤンは、音楽をいかに美しく響かせるかを考えながらも、まだ聴衆の望むものやその音楽が持ってきた慣例との公約数をしっかり維持している。
ある対談の中でカラヤンは、『自分が指示を出さない時にオーケストラが群れをなす鳥のように天空を羽ばたく瞬間がある』と言っています。このレコードでも命令に従う集団以上の自発性がベルリン・フィルにはあり、指揮者もある程度それを楽しんでいる。
ただ、カラヤンの理想の振り幅の中にあるから、カラヤンの音楽になっている。カリスマ的芸術性と器用な職人気質を併せ持ったカラヤンは、一回性の熱情と、それに相反する録音芸術としての綿密な音楽設計を両立できた指揮者でした。
ある録音でホルン奏者の音の上ずりに気がついたエンジニアが、録り直しを確認したらカラヤンは、その自然さを良しとした話が象徴している。1960年代はちょうどドイツ・グラモフォンの音質が飛躍向上した時期にあたり、迫力と精細さが見違えるものとなった。
ベルリンのダーレム地区にあるイエス・キリスト教会を終戦直後から1970年代にかけてベルリン・フィルの録音場所としてたびたび使われました。外装の印象とは裏腹に内装は大分こじんまりとしている建物で、大きすぎないことが録音に適していたのかもしれません。ここで数々の名録音が生み出されました。
フルトヴェングラー亡き後、上昇気流に満ちたカラヤンとベルリン・フィルは、実際の演奏と併行してレコード制作の意義として完成度を『この一枚』という思いで見せつけたかったのかもしれない。

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