豊かな音楽性に裏打ちされた堂々たる演奏で見事にカラヤンの期待に応えているムターは、カラヤン&ベルリン・フィルの鉄壁の演奏に支えられながら伸びやかに歌っています。 ― ヴァイオリンの音色といい、容姿といい、妖艶な香りをふりまく近年のアンネ=ゾフィー・ムターが、ヘルベルト・フォン・カラヤンに見い出され弱冠14歳時のドイツ・グラモフォンでデビュー盤がモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番と第5番でした。意外なことに、これはカラヤンにとって唯一のモーツァルトのヴァイオリン協奏曲セッション録音です。若年無名でメジャー・レーベルで行われた、このデビュー録音は、14歳とは信じられない豊かな天分を感じさせる名演で今もなお現役盤として人気の高い録音ですが、それで終わらず、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブルッフを一年間隔でリリース、そしてブラームスを18歳で、当時カラヤンの秘蔵っ子として独墺の有名ヴァイオリン協奏曲を、いずれもオーケストラは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と画期的なシリーズ録音が実現した。ベルリン・フィルにおけるブラームスの演奏の伝統は、1887年にブラームスの友人だったハンス・フォン・ビューローがベルリン・フィルの芸術監督に就任したときにさかのぼります。カラヤンがしばしば好んで語ったように、ブラームスの音楽の解釈について、ブラームスとビューローの考えは常に一致したわけではありませんでした。ビューローが正確なテンポに価値を置いたのに対し、ブラームスはより緩急のある感情表現を好んだからです。後に芸術監督となるヴィルヘルム・フルトヴェングラーはブラームスの考えに共感し、優れた解釈で名をなしました。最近の新しいブラームス像をつくろうとする演奏では、やや失われた感がある。その豊かでほの暗いオーケストラの響きと、テンポへの自由な扱いといった演奏スタイルは、カラヤンも受け継ぐことになります。第一印象。カラヤンは協奏曲になると遅いことが殆どだが、この演奏は速め。とは言え速過ぎはしないのだが、ブラームスらしいとされる重厚さとは違った、全体に厚みのある美しさがある。ここでもカラヤンらしく得意のレガート奏法が聴かれるも、ひかえめ。その昔のクリスチャン・フェラスとカラヤン指揮ベルリン・フィルのLPでは、フェラスを自分の楽器のようにして、あげく使い捨てたみたいに言われてから約20年、今度は18歳のムターを起用したカラヤン3度目の《ブラームス・ヴァイオリン協奏曲》。カラヤン中心に聞こうとしていたのを、ムターがものの見事に打ち砕いてくれました。若いとはいえ技巧はすでにきわめて高く、しかも存在感もしっかりとアピールしていて後年の大成を予感させる内容。18歳で、このブラームスの演奏は、やはりとんでもない才能です。基本的に濁らない音質の持ち主であるものの、かなり意識してブラームスらしい厚い響きをよく表現している。同じ美音のイツァーク・パールマンがカルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団と録音したLPとの比較をするならば、パールマンはブラームスであっても誰の曲であっても、とにかく自分の美音を活かそうとするし、評価に価する。しかしながらムタ-の弓使いのテクニックは若いだけ有って非常に端切れが良い。美音に拘らず、健康的で明るく、女性的で優しい『ブラ-ムス』です。天才少女が大人になった豊潤な音色を聴かせてくれます。ブラームスらしさを追求しているように思える表現の多様性はブラームスから学び、自分から身体を合わせていくようだ。この録音に採用されている、ヨアヒムのカデンツァの歌いまわしなんかは、ただただ絶句して陶酔していました。若さの勢いも感じさせてくれますし、若さゆえの感情の振幅の激しさも嫌みがなく、素直に受け止めることができます。たっぷり歌わせるヴァイオリンは、この楽器を聴く楽しみを十二分に満足させてくれるものです。ここではパールマンより強弱のメリハリがあり、男性的、女性的という表現が適切かどうかはさておいて、この演奏を聴くと、パールマンやアイザック・スターンよりよほど男性的である。豊かな音楽性に裏打ちされた堂々たる演奏で見事にカラヤンの期待に応えているムターは、今やヴァイオリン界の女王として貫禄十分の彼女の若き日の記録である。カラヤンの指揮は先に書いた第一印象通り、ドッシリとして重厚であり、若いソリストをしっかりと支えている。このコンビのレコードは、何度聴き返しても聴こえてくる音楽は変わらない。このブラームスの協奏曲に限って、こうした仕上がりになったのはムターのせいなのか、カラヤンが仕込んだのか、思いだけが頭のなかを支配する。このセッションを終えると、1981年10月にカラヤンはベルリン・フィルと通算7回目の来日公演を行なった。カラヤン自身は9度目の来日となる。またベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」のソリストにカラヤンにその才能を認められた天才少女ヴァイオリニスト、当時18歳のムターを迎えることで大変注目を浴びその公演チッケトは早々に完売した。そのときのカラヤンは記者会見上わざわざムターについて推薦のことばを述べるという熱の入れようだった。当時の彼女の愛用のヴァイオリンは「エミリア」と名付けられたストラディヴァリウスで、西ドイツ政府が彼女に永久貸与したもの。この公演はTBSテレビが「カラヤンとベルリン・フィルのすべて」と題し民放としては珍しく2時間半特別枠で放映している。
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デビュー当時のジャケットのヘルベルト・フォン・カラヤンとのツーショットを見ると、まさにふくよかな女子高生っていう感じで巨匠と笑顔を交わしている若いアンネ=ゾフィ・ムター(Anne-Sophie Mutter, 1963.6.29, 西ドイツ・バーデン生まれ)。高名なヴァイオリンの名前が踊ることなくムターのヴァイオリンは無名だ。レコードに針を降ろして、ワクワク動機が高ぶるリズムを刻む前奏と同期してソロの登場を待つ。そして聴いたムターのヴァイオリンの自身に満ちた魅力的な歌いまわし。華やかな話題のデビュー盤を聴いて、及第点止まりだった天才少女、いつの間にかフェードアウトしていた天才少年のレコードは、数多聴いてきた。天才少女として、カラヤンのバックアップのもと華やかにデビューした彼女だけれど、その後の活躍を見ると、決して期待を裏切っていないことが判る。それは、カラヤンと録音したすべての協奏曲に言えるものだが、カラヤン、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演であることが、このディスクの存在価値を高めている魅力である。ムターはカール・フレッシュ門下のエルナ・ホーニヒベルガー、アイダ・シュトゥッキに師事。11歳でドイツ青少年音楽コンクールに優勝。1976年のルツェルン音楽祭のデビュー演奏会を聴いたカラヤンに認められ、翌年ベルリン・フィルと共演して一躍世界の注目を浴びた。カラヤンはムターの演奏をオーディションで聴き「奇跡のようなヴァイオリニストを発見した」と絶賛し、その場でカラヤンが主宰するザルツブルクの聖霊降臨祭音楽祭への出演が決まった。当時のカラヤンは優秀なヴァイオリニストを探していた。帝王の情報網に「13歳のすごい少女がいる」との噂が引っかかったのだ。1977年5月、初共演したモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番は大成功した。これが大きな反響を呼び、翌1978年には初録音をカラヤン指揮ベルリン・フィルの伴奏で行った。この時、ムターは僅かに14歳だったが、デビュー・アルバムとなった「モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番、5番」で、すでに彼女は揺るぎのない安定した技術と大家のような風格を持っていた。以後、帝王はこの少女しかソリストに起用しなくなるのだ。そして、ムターは20歳になるまでカラヤンとベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、ブルッフ、チャイコフスキーといった超有名協奏曲を録音していった。当時、いまだハイティーンであったムターに対して、カラヤンは同曲を弾きこなせるようになったら録音しようと宿題を出したとのことである。しかしながら、懸命の練習の結果、同曲を弾きこなせるようになったムターであったが、その演奏をカラヤンに認めてもらえずに、もう一度宿題を課せられたとのことである。それだけに本演奏にはムターが若いながらも一生懸命に練習を積み重ね、カラヤンとしても漸くその演奏を認めるまでに至った成果が刻み込まれていると言えるだろう。
ヘルベルト・フォン・カラヤンは、協奏曲録音においては、とかくクリスチャン・フェラスやアレクシス・ワイセンベルクなどとの演奏のように、ソリストがカラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏の一部に溶け込んでしまう傾向も散見されるところだ。しかしながら、十代のアンネ=ゾフィー・ムターとの演奏では、もちろん基本的にはカラヤンのペースに則った演奏ではあるが、ムターの才能と将来性を最大限に引き立てようとの配慮さえ見られると言える。カラヤンの録音で一番充実しているのは1970年代後半から1980年代前半の録音。「ベルリン・フィルを使って残しておきたい」と念願込めて再録音の多いチャイコフスキー、ドヴォルザーク、ベートーヴェンと1970年代の演奏は緊張感が違うと思う。円熟してカラヤン節の極みとでも言える。レコード録音の壺を先天的に把握していたカラヤンのオーケストラの鳴らしっぷりは、ダイナミック・レンジが非常に大きい。ノイズに埋もれないレコード録音の理想を手に入れて、弱音部では繊細きわまりない音楽を作り出し、強奏部分では怒濤の迫力で押してくる。その較差、落差と云ってもいいのかな、他の指揮者ではなかなか見られないカラヤン流の演出。ベルリン・フィルの迫力も頂点に達している。個々の楽器が当然のように巧いし、全体がよく揃っている。カラヤン&ベルリン・フィルは本演奏の当時は正にこの黄金コンビが最後の輝きを見せた時期でもあったが、それだけに重厚にして華麗ないわゆる〝カラヤンサウンド〟を駆使した圧倒的な音のドラマは本演奏においても健在であり、ムターのヴァイオリンをしっかりと下支えしているのが素晴らしい。
ピュアナチュラルなオーディオ装置で堪能したい、美しい音量の均等化を成した録音。 ― 当時ヘルベルト・フォン・カラヤンの秘蔵っ子としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団といくつも協奏曲を録音した中の一つ。アンネ=ゾフィー・ムター18歳のときの録音で、スケールの大きな堂々たる演奏を聴かせてくれます。デジタル最初期の録音ですが高音質です。ドイツ・グラモフォン社は試験的にカラヤン最初のデジタル録音としてモーツァルトの歌劇「魔笛」全曲、ワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」全曲を行った1980年以後、録音はすべてデジタルで行われ、1982年以降の新譜はLPとともにCDでも発売されるようになりましたが、当然CD発行枚数が圧倒的。今となっては貴重なCD時代の貴重なLP。勿論、録音秀逸なのも付加価値高めています。ギュンター・ヘルマンスは〝カラヤンの耳を持つ男〟と言われ、カラヤンの絶大なる信頼のもとに、彼の録音のプロセスを行ってきました。カラヤン専属録音技師。カラヤン晩年の映像作品「レガシーシリーズ」を録画した、テレモンディアル社の録音も手がけた、レコーディング・エンジニア。ドイツ・グラモフォンのトーンマイスター。カラヤンとベルリン・フィルの来日に伴って来たときなど、マイク、スピーカー、ミキサーは日本で用意させ、パワーアンプだけ持って来たとのことです。重低音にこだわっていたカラヤンのサウンドに不可欠で、これはアンプは重要だと考えているためでしょう。
オーストリア生まれの大指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan, 1908〜1989)はその魅力的な容貌と優雅な身のこなしでたちまちにして聴衆の人気をとらえた。たんにこの点から言ってもその人気におよぶ人はいない。しかも彼の解釈は何人にも、そのよさが容易に理解できるものであった。芸術的に高度のものでありながら、一種の大衆性をそなえていたのである。元来レパートリーの広い人で、ドイツ系の指揮者といえば大指揮者といえども、ドイツ音楽に限られるが、カラヤンは何をやってもよく、その点驚嘆に値する。ドイツ、オーストリアの指揮者にとって、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスは当然レパートリーとして必要ですが、戦後はワーグナー、ブルックナーまでをカバーしていかなくてはならなくなったということです。カラヤンが是が非でも録音をしておきたいワーグナー。当初イースターの音楽祭はワーグナーを録音するために設置したのですが、ウィーン国立歌劇場との仲たがいから、オペラの録音に懸念が走ることになり、彼はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をオーケストラピットに入れることを考えました。カラヤンのオペラにおけるイギリスEMI録音でも当初はドイツもの(ワーグナー、ベートーヴェン)の予定でしたが、1973年からイタリアもののヴェルディが入りました。そこには、EMIがドイツものだけでなく広く録音することを提案したようです。この1970年代はカラヤン絶頂期です。そのため、コストのかかるオペラ作品を次々世に送り出すことになりました。この時期に録音した、オーケストラ作品はほとんど1960年代までの焼き直しです。〝ベルリン・フィルを使って残しておきたい〟というのが実際の状況だったようです。この時期、新しいレパートリーはありませんが、指揮者の要求にオーケストラが完全に対応していたのであろう。オーケストラも指揮者も優秀でなければ、こうはいかないと思う。歌唱、演奏の素晴らしさだけでなく、録音は極めて鮮明で分離も良く、次々と楽器が重なってくる場面では壮観な感じがする。非常に厚みがあり、〝美〟がどこまでも生きます。全く迫力十分の音だ。そして、1976年にはウィーン・フィルから歩み寄り、カラヤンとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は縒りを戻します。カラヤンは1977年から続々『歴史的名演』を出し続けました。この時期はレコード業界の黄金期、未だ褪せぬクラシック・カタログの最高峰ともいうべきオペラ・シリーズを形作っています。
ヘルベルト・フォン・カラヤンは、レコード録音に対して終生変わらぬ情熱を持って取り組んだパイオニア的存在であり、残された録音もSP時代からデジタル録音まで、膨大な量にのぼります。その中でも、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との結び付きがいよいよ強固なものとなり、続々と水準の高い録音が続々と行われた1970年代は、カラヤンの録音歴の中でも一つの頂点を築いた時代といえます。ヨーロッパの音楽界を文字通り制覇していた「帝王」カラヤンとベルリン・フィルと、ドイツでの拠点を失ってしまった英H.M.V.の代わりとなったドイツ・エレクトローラとの共同制作は、1970年8月のオペラ『フィデリオ』の録音を成功させる。カラヤンのオーケストラ、ベルリン・フィルの精緻な演奏は、ヘルガ・デルネシュ、ジョン・ヴィッカースの歌唱を引き立てながら繊細な美しさと豪快さを併せ持った迫力のある進め方をしています。有名なベートーヴェンのオペラが、ただオペラというよりオラトリオのように響く。カラヤンは1972~76年にかけてハイドンのオラトリオ『四季』、ブラームスの『ドイツ・レクイエム』、さらにベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』という大曲を立て続けに録音しています。ドイツ、オーストリアの指揮者にとって、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスは当然レパートリーとして必要ですが、戦後はワーグナー、ブルックナーまでをカバーしていかなくてはならなくなったということです。カラヤンが是が非でも録音をしておきたいワーグナー。当初イースターの音楽祭はワーグナーを録音するために設置したのですが、ウィーン国立歌劇場との仲たがいから、オペラの録音に懸念が走ることになり、彼はベルリン・フィルをオーケストラ・ピットに入れることを考えました。カラヤンのオペラにおける英EMI録音でも当初はドイツもの(ワーグナー、ベートーヴェン)の予定でしたが、1973年からイタリアもののヴェルディが入りました。英EMIがドイツものだけでなく、レパートリー広く録音することを提案したようです。この1970年代はカラヤン絶頂期です。そのため、コストのかかるオペラ作品を次々世に送り出すことになりました。オーケストラ作品はほとんど1960年代までの焼き直しです。「ベルリン・フィルを使って残しておきたい」というのが実際の状況だったようです。この時期、新しいレパートリーはありませんが、指揮者の要求にオーケストラが完全に対応していたのであろう。オーケストラも指揮者も優秀でなければ、こうはいかないと思う。歌唱、演奏の素晴らしさだけでなく、録音は極めて鮮明で分離も良く、次々と楽器が重なってくる場面では壮観な感じがする。非常に厚みがあり、「美」がどこまでも生きます。全く迫力十分の音だ。ベルリン・フィルの魅力の新発見。そして、1976年にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団から歩み寄り、カラヤンとウィーン・フィルは縒りを戻します。カラヤンは1977年から続々『歴史的名演』を出し続けました。この時期はレコード業界の黄金期、未だ褪せぬクラシック・カタログの最高峰ともいうべきオペラ・シリーズを形作っています。カラヤンのレコードでは、芸術という大目的の下で「人間味」と「完璧さ」という相反する引き合いが、素晴らしい相乗効果を上げる光景を目の当たりにすることができる。重厚な弦・管による和声の美しさ、フォルティシモの音圧といった機械的なアンサンブルの長所と、カラヤン個人の感情や計算から解き放たれた音楽でもって、音場空間を霊的な力が支配しており、聴き手を非現実の大河へと導く。
- Record Karte
- 1981年9月にベルリンのフィルハーモニーでの録音。エンジニアはギュンター・ヘルマンス、プロデュースはギュンター・ブリーストによる。
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