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愛娘のエレーナ・ギレリスと録音した、一本の短編小説が想像出来るようなシューベルト ―  「幻想曲ヘ短調」は、シューベルト最期の1828年に作曲されたピアノ連弾曲です。シューベルトの30曲以上ある連弾曲の中でも、とりわけ高い音楽的内容をもつ傑作と言われています。連弾とは2人のピアニストが1台のピアノを低音と高音に役割を分担し演奏します。シューベルトの連弾曲の殆どはエステルハージー伯爵令嬢のマリーとカロリーネのピアノのレッスンのために作曲されています。この「幻想曲ヘ短調」はシューベルトが恋心を抱いた伯爵令嬢カロリーネのために自分の思いを込めて作曲し、カロリーネに献呈されています。曲は全体的にやや暗い雰囲気の中に哀愁帯びたメロディとその変奏で全曲が進みます。単一楽章形式ですが全体は大きく4つの部分で出来ていています。静かに始まるイントロから、ドラマチックで訴えかけてくるような旋律が惜しげもなく繰り出され、約18分半の長尺曲であるにも関わらずあっというまに過ぎ去ってしまいます。歌曲王のシューベルトだけあって、メロディだけのピアノ曲であっても物語性が濃厚なせいか、一本の短編小説が想像出来るような造りになっています。昨日のモーツァルトの「2台のピアノのための協奏曲」をさらに親密になっているようで、シューベルトの音楽を挟んで、数々の思い出話を対話しているようだ。エミール・ギレリスが愛娘エレーナと連弾を披露した1978年録音。飾っておきたいほどだ、ジャケットの表情が微笑ましい。2人の対話が弾んでいるようなだけでなく、「ラルゴ」から「アレグロ・ヴィヴァーチェ」へアップテンポ且つ熱情的に展開する箇所でもギレリス・デュオの息はピッタリで、ピアノ連弾の面白さが堪能出来ます。誰が言い出したのか、ギレリスのピアノは〝鋼鉄〟と比喩され、彼の演奏は常にそのイメージ、いや先入観をもって聴かれてしまったように思います。しかしながら、この〝鋼鉄〟は、あまりにも一面的な評価にすぎません。ギレリスのピアノ演奏は、その内面からくる音楽解釈の深さと卓越した技巧により常に私たちを魅了し続けており、現在でも多くの音楽ファンは楽曲の本質的な演奏をギレリスに求めています。名ピアニストの故ギレリスは強靱なタッチで迫力ある演奏を聴かせるばかりでなく、とっても繊細でロマンティックな所もあり、その対比が絶妙で実に素晴らしい。ギレリスが亡くなった齢はまだ69歳で、演奏旅行に出かける直前の予防注射の接種ミスとも言われる不幸な事故での急死だった。米ロの冷戦の最中、西側登場以前、以後ともに豊富な録音が残されていますが、ギレリス50歳代後半、まさに脂の乗り切った絶頂期の録音で若い時から比類ないと云われてきた完璧なテクニック、ピアノを豪快に鳴らしきった明快な音はそのままに表現は一層深みを増している感じ。
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Emil Gilels, Elena Gilels ‎– Franz Schubert / Fantasie F-moll (F-Minor) - Andantino Varie H-moll (B-Minor) - Grand Rondeau A-dur (A-Major) - Ecossaises
  • Side-A
    1. Andantino Varie H-moll D. 823,2 – Aus "Divertissement A La Francaise"
    2. Grand Rondeau A-dur D. 951
  • Side-B
    1. Fantasie F-moll D. 940
    2. 6 Ecossaisen – Nach Op. 18a - D. 145
エミール・ギレリス(Emil Gilels, 1916年10月19日〜1985年10月14日)は、ソビエト連邦・ロシアのピアニスト。20世紀を代表する世界的奏者の一人である。1947年からヨーロッパで演奏旅行を始める。西側で自由に活動することをソ連政府から許された最初の芸術家だった。ロシアの自宅では、アップライトピアノで練習していたといわれている。日本にも何度か来訪した。両親は共に音楽家。妹のエリザヴェータはレオニード・コーガンの妻。また、娘のエレーナもピアニストで、父娘で4手ピアノ(連弾や2台ピアノ)デュオの録音を多く残している。ギレリスはスターリンのお気に入りだった。ソ連政府からは、1946年にはスターリン賞、1961年と1966年にはレーニン勲章、1962年にはレーニン賞をそれぞれ受賞している。そのせいでソ連体制に比較的従順だったピアニストと見られがちだが、それは誤っている。1941年、ゲンリヒ・ネイガウスが逮捕された時、釈放させるべくスターリンに直談判したのは、ほかならぬギレリスである。ネイガウスはギレリスの師匠だったが、この師弟は全くソリが合わなかった。にもかかわらず、水面下で行動を起こしたのである。また、リヒテルやラザール・ベルマンのことを、自分よりすぐれたピアニストとして西側に紹介したのもギレリスだったといわれている。彼はそのことについて一度も語ったことはなかった。誰かを助けることを好んだが、それを人前で明らかにすることはなかった。多くの人たちが、助けられたことを今もって知らない。人助けをした時には、他人に口外するものではないこれはギレリスの言葉である。ギレリスは、鋼鉄のタッチと通称される完璧なテクニックに加えて甘さを控えた格調高い演奏設計で非常に評価が高い。バロック時代のスカルラッティやバッハ、ロマン派のシューマンやブラームス、さらにはドビュッシーやバルトーク、プロコフィエフといった20世紀音楽に至るまで幅広いレパートリーを持っていた。プロコフィエフからはピアノ・ソナタ第8番を献呈され、1944年12月29日にはこの作品を初演してもいる。とりわけベートーヴェンの解釈と演奏においては、骨太で男性的な演奏で「ミスター・ベートーヴェン」と呼ばれるほどであった。1970年代からドイツ・グラモフォンで録音を開始し、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、グリーグ等の作品を録音。晩年には骨太な表現が鳴りを潜め、力を抑えた枯淡の境地と言える表現に変わっていった。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音に力を入れていたが、5曲のソナタを残したまま1985年10月14日にモスクワで急逝した。演奏旅行に向かう前に病院で予防注射を受けている際、看護師が誤って異なる薬を入れてしまいその結果心臓麻痺を起こしたリヒテルはブルーノ・モンサンジョン著の「リヒテル」で語っている。その死によって、全集は完成されずに終わったが、ギレリスの晩年の境地を示す録音である。
1978年録音。Producer – Günther Breest, Recording Supervisor – Cord Garben, Engineer – Klaus Scheibe
DE DGG 2531 079 ギレリス親子 シューベルト・フランス…
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