34-21087

商品番号 34-21087

通販レコード→独ブルーライン盤

ほとんど狂気とも言えるような意図の上に成立している。 ―  世界を微分すると最後は「数学」に至る。自然の曲線に対して、人工の直線。その交差にこそ宇宙の理があるのだろう。自然は常に揺らいでいる。音楽も本来そうだ。しかしながら、音楽を譜面に落とした時、それは直線的なものと化す。記号をいかに読みとるかが、人間の頭脳であり、また心だ。すべては曖昧でなければならぬ。一般的なクラシック音楽はモーツァルト、ハイドンが活躍した頃を指す。現代から300年ほど前のこと、日本では江戸幕府が繁栄していた。西洋音楽の歴史を遡って行くと、最初の作曲家はヒルデガルト・フォン・ビンゲンと名乗る女性。神秘家であり、40歳頃に「生ける光の影」(umbra viventis lucis)の幻視体験をし、女預言者とみなされた。50歳頃、ザルツブルクのベネディクト会修道士聖ルペルトの一族の所有地であるビンゲンにて自分の女子修道院を作ったことで、通称で呼ばれている。自己体験を書と絵に残したほか、医学・薬草学に強く、ドイツ薬草学の祖とされる。彼女の薬草学の書は、20世紀の第二次世界大戦時にオーストリアの軍医ゴットフリート・ヘルツカにより再発見された。才能に恵まれ、神学者、説教者である他、宗教劇の作家、伝記作家、言語学者、詩人であった。音楽に対する興味を突き詰めていくと、数の問題にぶち当たる。古来、ピュタゴラスの時代から、音楽は数学同様、哲人にとって必須の学問であった。それは、いたるところに顔を出す。ヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽、近代ではバルトーク・ベラや新ウィーン楽派の面々の創造する音楽に。20世紀前半の音楽史に重要な功績を残した新ウィーン楽派の作曲家たちのなかで、アルバン・ベルクはある意味で特異な存在だったと言えるだろう。後期ロマン派から無調へ、さらに12音技法の創始者として、時代を切り開いていった師シェーンベルク。師の世界をさらに推し進め、前衛の時代の絶対的な規範となった盟友ウェーベルン。しかしながら彼らの道のりは同時に、20世紀の音楽が抱えることになった問題、すなわち聴衆との断絶を広げるものだった。そのなかでベルクはオペラ《ヴォツェック》によって興行的な成功を手に入れ、ストラヴィンスキーの《春の祭典》が20世紀音楽の古典と呼ばれるのと同じく、ベルクの《ヴォツェック》は1925年のベルリン初演以来、20世紀オペラの古典と評される。また「あなたの様式なら、無調の音楽やそれに対する否定的なイメージについて、突破口となるものが書ける」という依頼から、《ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出のために」》が生まれたように、十二音技法の中に調性を織り込んだ作風で知られる。結果、ベルクの音楽は最も早くから受け入れられ、そして最も愛されるレパートリーとなってきた。ベルクの「3」という数への異常なこだわりとか、ひとたびそのことに理解が及んだとき、ベルクの音楽に対しての愛着がもてるようになる。知的でありながら、単純で整頓された数学的構造で作曲されている。しかも、彼の音楽は知性豊かなだけでなく、エロスさえ内在している。
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エルネスト・ショーソンのヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲(Concert)は現代的な「協奏曲」を指すのではなく、ジャン=フィリップ・ラモーやフランソワ・クープランの作品(コンセール)と精神的に通じるものである。実質的な楽器編成はヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏という六重奏で、ヴァイオリンとピアノが独奏楽器風に扱われる一方、弦楽四重奏がトゥッティの役割を果たす室内協奏曲ととらえることが可能だ。またヴァイオリン・ソナタやピアノ六重奏曲のような側面も持ち合わせている。楽器の扱いを考慮するならば「弦楽四重奏伴奏つきのヴァイオリンとピアノの二重奏曲」といえるだろう。アルバン・ベルクの音楽でも、「ヴァイオリン協奏曲」や「抒情組曲」は今後もヴァイオリンと弦楽四重奏の重要なレパートリーとして演奏されていくと思いますが、室内協奏曲はヴァイオリン・ピアノのソロに13の管楽器という特殊な編成でもあり、なかなか取り組みにくいものです。冒頭主題に登場する音形には、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンの名前が織り込まれている。深みのある美しさのある、この第1楽章の小節数は240、第2楽章も240、そして終楽章が480というように、音楽は数学的に整然と構成される。アルノルト・シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」でも超絶名演奏を聴かせたピエール・ブーレーズとダニエル・バレンボイム、そしてピンカス・ズッカーマンがベルクの室内協奏曲でも集中力に富む、決して機械的でない人間的色気のある音楽を創出する。第2楽章(アダージョ)の叙情、あるいは、第3楽章(ロンド・リトミコ)の闘争。どの瞬間にも、ベルクの知性と感性が行き届く名曲の、数学をベースにする妙味を面白く聴かせる。ブーレーズの音楽は最初の音から最後の音、いや休符に至るまで全く曖昧さを残さない。ブーレーズ(Pierre Boulez)は1925年3月26日、フランスのモンブリゾンに誕生。リオンで数学などを学んだ後、パリ音楽院に進んでオネゲル夫人に対位法をメシアンに和声を師事し、その後レイボヴィッツに12音技法を学びます。1945年ブーレーズは『ノタシオン」を作曲、翌1946年には『ピアノ・ソナタ第1番』、『ソナチネ』、『婚礼の顔』も書き上げています。この年ブーレーズは、プロとしての最初の本格的な仕事となるジャン=ルイ・バロー&マドレーヌ・ルノー劇団の音楽監督に就任します。仕事の内容は舞台演劇に音楽をつけるというものでブーレーズ自身、オンド・マルトノ演奏を行ったりギリシャ悲劇『オレスティア』のための音楽を作曲・演奏するなどして、1956年までの10年間に渡って活躍します。その間、『ピアノ・ソナタ第2番』、『水の太陽』、『弦楽四重奏のための書』などの他、代表作となる『ル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)」を作曲。この頃のブーレーズは過激な言動でも知られていた時期で、「オペラ座を爆破せよ」、「シェーンベルクは死んだ」、「ジョリヴェは蕪」、「ベリオはチェルニー」といった数々の暴言が現在のブーレーズからは信じられない刺激的なイメージを伝えてくれます。そして1954年10月、過激な時期のブーレーズによって創設されたのが室内アンサンブル「マリニー小劇場音楽会」で、この団体は翌年には「ドメーヌ・ミュージカル」と名前を変え、以後大活躍をすることとなります。
「ドメーヌ・ミュージカル」は当時のブーレーズが音楽監督を務めていた劇団の舞台でもあるパリのマリニー劇場を本拠地とし、件のジャン=ルイ・バローと、その夫人のマドレーヌ・ルノーがパトロンになって発足したもので創立者にはブーレーズと、この両名が名を連ねています。彼らは最初から現代音楽に特化したアンサンブルだったわけではなく、1954年のシーズンにはマショーやデュファイ、バッハといった古楽プログラム、ドビュッシー、シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルン、ストラヴィンスキー、バルトーク、ヴァレーズといった近代プログラム、シュトックハウゼン、ノーノ、マデルナなどの現代プログラムが3つの柱として存在しており、年を経るに従って現代プログラムの占有率が高くなっていきました。さらに、この団体の活動は演奏会の開催だけにとどまらず機関紙や研究書の発行にまで至り、ヨーロッパのみならず世界の現代音楽シーンに多大な影響を与えることとなります。作曲も順調で、『プリ・スロン・プリ』、『ストローフ』、『ピアノ・ソナタ第3番』、『エクラ』、『ストリクチュールⅡ』なども手がけています。その間、注目されることになったブーレーズは1960年から1963年にかけてバーゼル音楽アカデミーの教授を務めたりしましたが1967年には、フランス政府の音楽政策に抗議してフランス国内での演奏活動の中止を宣言、「ドメーヌ・ミュージカル」をジルベール・アミに託し(1973年に解散)、自らは指揮者としての活動に本腰を入れBBC交響楽団やニューヨーク・フィル、クリーヴランド管弦楽団を指揮して国際的に活動するようになります。ちなみに「ドメーヌ・ミュージカル」。ブーレーズ時代13年間の公演数は約80、登場する作曲家は約50名、作品数は約150曲といいますから、当時からブーレーズのレパートリーの広さにはかなりのものがあったことが窺われます。1967年以降のブーレーズは英米の他、バイロイトにも登場して指揮者としての名声を高めていますが、その間にも作曲は行っており、『ドメーヌ』や『即興曲 ― カルマス博士のための』、『カミングス、詩人』、『典礼 ― ブルーノ・マデルナの追憶』といった作品が書かれています。そうした声望を受け1976年にはフランスに設立されたIRCAMの所長に就任、同時に創設された現代音楽専門のアンサンブル「アンサンブル・アンテルコンタンポラン」の音楽監督も兼任し、1990年代まで現代音楽に集中的に取り組むようになり、『レポン』、『デリーヴ』、『ノタシオン管弦楽版』、『固定/爆発』といった自身の作品の発表を行います。1990年代初頭、国際的な指揮の舞台に復帰したブーレーズは1995年からはシカゴ交響楽団の首席客演指揮者となり、以後、欧米各国のオーケストラを指揮して数々のコンサートやレコーディングも実施。そのため作曲の方は少なくなりましたが、それでも『アンシーズ』、『シュル・アンシーズ』、『アンテーム1』、『アンテーム2』の他、80歳となった2005年には『天体暦の1ページ」を書くなど、継続的に作品発表を行っているのは流石です。
ベルク:室内協奏曲、クラリネットとピアノのための4つの小品 作品5、ピアノ・ソナタ作品1。1977年6月パリ、ミュチュアリテ・ホールでのギュンター・ブリーストのプロデュースで、クラウス・シャイベのエンジニア、ウォルフガング・ステンゲルによるステレオ録音。1978年発売。
DE DGG 2531 007 バレンボイム、ブーレーズ&ズ…
DE DGG 2531 007 バレンボイム、ブーレーズ&ズ…