ドヴォルザークの超人気曲「スラブ舞曲集」を補完する、スラヴ的な詩情を湛えた名作『伝説曲』の決定盤 ― クーベリックには「その音楽は概して中庸で、素朴な味わい云々」といった評が付いてまわる。商業録音の成果に関して多く言われていたことで、音楽的特質においてクーベリックは一種ヴィルヘルム・フルトヴェングラー的な気質を持っていたとされ、個性的だが、あざとくないアゴーギグ。例え方を変えれば、演歌すれすれの泣き節。激しくも気高い情熱。心憎いまでの絶妙な間の取り方。そしてオーケストラとの阿吽の呼吸。ザックバランな言い方をすれば、ぶっ飛び破廉恥演奏ではないが、間違っても退屈な優等生演奏ではない。かえって要所要所で「おっ、おぅっ」と仰け反らされるテクニシャン。とはいえ、それも絶対的な安心感で身を任せていられる。全体的に湧き立つような早めの推進力のあるテンポが採られ、その中で野卑にならないギリギリのところで見事な緩急が付けられています。細部の彫琢は入念に整えられており、ちょっとした打楽器や木管のアクセント一つが意味深く響き、対旋律が埋没することなく絶妙なバランスで引き立つよう目配りされている。熱狂と哀愁とが絶妙に交錯する作品の本質を、あくまでも自然な流れの中で描き出す手腕は全盛期のクーベリックならではといえるでしょう。1973年12月に『スラヴ舞曲集』を録音し、フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤン、カール・ベーム、レナード・バーンスタインといったレコードでの人気指揮者が全曲盤を残さなかったにもかかわらず、LP初期から定盤とされる録音に恵まれてドヴォルザークの序曲と交響詩全曲を完成しました。1973~1976年、ミュンヘン、ヘルクレスザールにおけるバイエルン放送交響楽団とのステレオ録音でのプロジェクトの一環。ドヴォルザークの管弦楽曲というと『スラヴ舞曲』ばかりが取り沙汰されますが、一連の交響詩群もダイナミックな迫力と美しい旋律の双方を満たす親しみやすい作風なので、この作曲家の交響曲がお好きな方は聴いておいて損の無い作品が目白押しともいえる状態です。特に、このアルバムにおけるクーベリックの演奏は、たいへん優れた演奏として評価の高いもので、描写的性格はもちろんのこと、音響面での充実振りもかなりのものです。DE DGG 2530 785 ラファエル・クーベリック ドヴォルザーク・序曲集と同時発売されたスラブ舞曲集を補完する《伝説曲集》。クーベリックはチェコの人々にとって『スラヴ舞曲集』は極めて神聖な音楽であると語っていた。クーベリックの考え、音楽哲学がオーケストラ全体に行き渡っている。終始自信と確信に満ち溢れているがバランスのとれた安定感ある仕上がり、渋く落ち着いた弦楽器の音色に木管の潤いのある響きなどオーケストラは気品があってしなやかに歌い流している。本盤をはじめ、指揮者とオーケストラが作品を知り尽くし文字通り一体化していることが判ります。ポピュラーではないが優しいメロディへの安心感でしょうか。不安な日々、このようなシンプルでありながら優しい包容力を持つ曲が心に滲みる、《伝説曲》はドヴォルザークならではの美しい旋律にあふれた逸品で、民族色と洗練を同化させた稀有な演奏が聴ける。チェコ作品のエキスパートによる不朽の名盤です。
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アントニン・ドヴォルザークは西洋音楽史上、後期ロマン派に位置する作曲家である。この時代にはドイツ・オーストリア、イタリア、あるいはフランスといった音楽先進地域の外で国民楽派が勃興し、1歳年上のピョートル・チャイコフスキー(ロシア)、2歳年下のエドヴァルド・グリーグ(ノルウェー)らとともに、同楽派を代表する存在である。同時に、ベドルジハ・スメタナとともにチェコ国民楽派あるいはボヘミア楽派の創始者の一人として、ドヴォルザークはレオシュ・ヤナーチェクを初めとする以後の作曲家たちに大きな影響を与えた。ドヴォルザークはワーグナーの音楽に心酔し、徐々にワーグナーの影響下を脱していく。こうしたドヴォルザークの才能にいち早く着目したのがワーグナーと相対していたブラームスで、「ブラームス派」の音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックらの推挙によって作曲家としての地位を築いた。ドヴォルザークは先人たちの残した豊かな遺産を十全に活用し、ワーグナーから学んだドラマ性、ブラームスも着目する構成力を高い次元で兼ね備えた作曲家であった。しかも、ドヴォルザークの音楽をとりわけ魅力的にしているのは、シューベルトと並び賞される、その親しみやすく美しいメロディーである。『モラヴィア二重唱曲集』の出版で成功を得たジムロックは、1878年にドヴォルザークに対して、ブラームスのピアノ連弾のための『ハンガリー舞曲集』に匹敵するような『スラヴ舞曲集』の作曲を依頼した。この依頼に応えて作曲された作品集は、「神々しい、この世ならぬ自然らしさ」(ベルリン国民新聞)との絶賛を受け、ドヴォルザークの名はヨーロッパ中に広く知れわたった。このころのドヴォルザークはリストの『ハンガリー狂詩曲』をモデルにそのチェコ版を目指しており、チェコの舞曲や民族色を前面に押し出した作品を多く作曲する。また、この傾向は、そうした作品を期待する出版者や作曲依頼者の意向に沿ったものでもあった。《伝説曲(Legendy)》作品59、B.122はドヴォルザークのスラヴ時代の精華とも言うべき交響曲第6番ニ長調の完成直後、1881年初めに作曲された4手ピアノ用作品(B.117)を同じ年に管弦楽用に編曲したもの。原曲はエドゥアルト・ハンスリックに献呈された。全10曲 ― 1.ニ短調、2.ト長調、3.ト短調、4.ハ長調、5.変イ長調、6.嬰ハ短調、7.イ長調、8.ヘ長調、9.ニ長調、10.変ロ短調 ― からなる主題をもたない幻想的な組曲のような形態で、スラブ舞曲のようなリズム溢れる民族音楽でなく、そのスラブ舞曲にも内包されるリズムより哀愁メロディ優先の舞曲のようなものを集積した小品たちである。各曲に特別な伝説や詩物語があるわけではない。しかしメロディメーカーとしてのドヴォルザークの親しみやすい旋律が滔々と、どこまでも流れ止むこと無く続いていく。それがドヴォルザークへの愛情に満ちたクーベリックの労るような指揮に、透明感と自発性あふれるイギリス室内オーケストラによる軽めで透明感ある響きで奏でられるので、とっても身近に聴こえて、どの曲も暖炉のある部屋で、母親やお婆ちゃんの優しい物語をゆっくりと聴いているような感じなのだ。ドヴォルザーク(40歳)のリリカルで郷愁にあふれたメランコリックな小品の集まり。4手ピアノの作品としては2つの「スラヴ舞曲集」の間に書かれている作品であることから「スラヴ舞曲」で描ききれなかったスラヴ的なもの、メランコリックな気分や神秘的なものへの傾斜、深い情念の世界を描きだし舞曲集を補完するものと位置づけられている。この後の1883年に、古いフス派の聖歌を主題とする劇的序曲『フス教徒』が書かれた。
1976年6月、ロンドン、ヘンリー・ウッド・ホール録音。本盤はDE DGG 2530 785 ラファエル・クーベリック ドヴォルザーク・序曲集と同時発売された。
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