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カラヤンとしても最も充実し、ベルリン・フィルとも最高のつながりを示していた頃のものです。

カラヤンはこの交響曲を5回録音していますが、これは4回目の収録です。

70歳前後の演奏で、ヘルベルト・フォン・カラヤンとしても最も充実し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とも最高のつながりを示していた頃のものです。ロシアの土着的な演奏とは違った、音楽的な美しさとダイナミズムを前面に押し出しているかのよう。チャイコフスキーらしいかどうか、それはチャイコフスキーの音楽に求めているものが聞き手それぞれだからなのだけれども、この演奏は鳥肌モノ。1970年代のカラヤンとベルリン・フィルの豪快で凄く立派なチャイコフスキーの音楽になっています。ダイナミックスの幅が広く鮮やかで迫力満点。牧歌的な部分から迫力ある部分まで表現の幅が広く、リズムも引き締まっています。奏者の誰もが全身全霊で弓を動かし、管を吹き、打楽器を打ち鳴らしていた。音のひとつひとつが生命力をもつと同時に、ほかのすべての音と一体になっていた。自己陶酔している表情を見せる指揮姿の表紙。どんなにロマンティックかとレコード針が盤面をトレースすると、いきなり金管が超弩級のファンファーレで迫る。期待したチャイコフスキーのロマンティックは消し飛んでしまう。カラヤンはチャイコフスキーの3大バレエ組曲だけでなく、数多くの舞台音楽も録音しているが、どれもシンフォニックで合奏が完璧な生きたサウンドをオーケストラに求めている。・・・そこがまたカラヤン節とも言える。音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルでカラヤンの個性が濃厚で面白い。カラヤンのチャイコフスキー(に限らないかも知れないが)には一定の「節度」を感じる。メランコリーはあるが、それにのめり込まずメロディの美しさが強調される。ベルリン・フィルは劇的な表現でも「激烈」にはならず、オーケストラのバランスは崩れない。全体が調和とともに最大のボルテージに達する。チャイコフスキーは聴かせどころ満載で、両者の交互の相克はスリリングである。そこがまたカラヤン節とも言える。音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルでカラヤンの個性が濃厚で面白い。カラヤンのチャイコフスキー(に限らないかも知れないが)には一定の「節度」を感じる。メランコリーはあるが、それにのめり込まずメロディの美しさが強調される。ベルリン・フィルは劇的な表現でも「激烈」にはならず、オーケストラのバランスは崩れない。全体が調和とともに最大のボルテージに達する。チャイコフスキーは聴かせどころ満載で、両者の交互の相克はスリリングである。カラヤンにとってチャイコフスキー後期交響曲は何度も演奏会で取り上げ、何度も録音した十八番中の十八番。この絶頂期70年代には4〜6番だけでなく、演奏会ではプログラムにしなかった1〜3番も録音して全集として発売し、チャイコフスキー前期交響曲の受容にも大きな役割を果たしました。カラヤンがベルリン・フィルを完璧に掌握していたこの時期ならではの、一音一音まで美をとことん追求した珠玉の名演です。演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、それにオーケストラも応えている。それはカラヤンと演奏を作り上げていくのが楽団員みんなが楽しくて仕方がなさそうだ。とにかくダイナミックスの幅が広く鮮やかで迫力満点。ベルリン・フィルの総合力の良さが分かる。機能性あるベルリン・フィルから、美しさと華やかさを引き出した仕上がりとなっている。

生きたサウンドを満喫するなら絶対これ。

戦後ナチ党員であったとして演奏を禁じられていたヘルベルト・フォン・カラヤンの為に、1945年、イギリスEMI社のプロデューサーだった、ウォルター・レッグは自ら創立したフィルハーモニア管弦楽団を提供し、レコード録音で大きな成功を収めた。それから10年、ウィーンやベルリンでの演奏が出来ずにレコードだけで音楽を創りあげるだけの年月をカラヤンはおくる。ようやくウィーン国立歌劇場の責任者の席は得るが、指揮することはことごとくヴィルヘルム・フルトヴェングラーの妨害にあった。しかし1954年にドイツ音楽界に君臨していたそのフルトヴェングラーの急逝にともない、翌55年にカラヤンは、ついにヨーロッパ楽壇の頂点ともいえるベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者の地位に登りつめた。ここでレッグとカラヤンの関係は終止符を打つが、この約10年間に残したレッグ&カラヤン&フィルハーモニアのレコードの数々は、正に基準となるようなレコードであったと断言出来る。演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルで、完全主義者だったレッグとうまが合ったのは当然といえば当然で、出来栄えも隙が無い。決して手抜きをしないのがカラヤンの信条であったという。レッグからノウハウを吸収したと自覚があったカラヤンは、自分だけで信条を貫き始める。カラヤンの野望は、永遠にカラヤンの演奏が基準として聴かれ続けていくために全てのレパートリーをレコードにすることだった。カラヤンのレパートリーの守備範囲は広く、ベートーヴェン、ブルックナーに限られた指揮者だったら、やがて表面化するオーケストラとの関係破綻を回避できただろう。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のチャイコフスキー演奏は、オーケストラの創成期にさかのぼります。作曲家チャイコフスキーは最初のふたりの首席指揮者、ハンス・フォン・ビューローとアルトゥール・ニキシュを知っており、その演奏を評価していました。続くヴィルヘルム・フルトヴェングラー、ヘルベルト・フォン・カラヤンも、優れた演奏を残しています。カラヤンとチャイコフスキーは相性が合う。カラヤンは、1929年1月に20歳でプロの指揮者としてデビューした時に、交響曲第5番を指揮しています。初めての《悲愴》は、その4年後に、ウルムで振りました。その演奏会の後、彼は両親に「終演後、聴衆は10秒間打ちのめされたようにただ座っていました。そして直後にサッカー場のようなブラボーが起こったのです」と興奮した様子がわかる。ベルリン・フィルとの最初のチャイコフスキーは、1939年の《悲愴》の録音で、これは彼がベルリン・フィルにデビューした1年後のことでした。数ヶ月違いで録音したフルトヴェングラーがレコーディングに一ヶ月もかかる手こずっていたことに対して、カラヤンはただ一回の演奏でレコードを仕上げてしまった。それが悔しかったようだ。フルトヴェングラーは『音楽と言葉』の第6章『音楽と生命力』で、『レコード向きの演奏がコンサートホールに持ち込まれるようになった結果、音楽にヴィタミンが欠如するようになってしまった』と持論を展開している。しかし、今読むと陳腐で、カラヤンにレコーディングの才能を見てしまった、ドイツ楽壇に君臨する自分が持ち得ない技術を30歳も若い新人が持っていることへの、やっかみだなと気付かされて読んでいると人間味を感じてフルトヴェングラーが可愛く思えてしまう。


  • Record Karte
  • 1974年ベルリン、フィルハーモニー録音。

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  1. DE DGG 2530 699 ヘルベルト・フォン・カラヤン チャイ…
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チャイコフスキー:交響曲第4番、弦楽セレナード
ヘルベルト・フォン・カラヤン
Universal Music
2023-09-06



商品名DE DGG 2530 699 ヘルベルト・フォン・カラヤン チャイコフスキー「交響曲第5番」
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商品名DE DGG 2530 699 ヘルベルト・フォン・カラヤン チャイコフスキー「交響曲第5番」