ピアノで弾かれた『恋人たち』 ― ピアニストとしての名声に加え、指揮者としてもその活動の幅を広げ、勢いに乗っていた29歳のバレンボイムによるブラームスの変奏曲集。構造・構成と全体の統合を音楽の要素として最重要視しているバレンボイムならではの造型感と美意識に貫かれた1枚。2017年はブラームス没後120年、本盤の原題は「ヴァリエーション・フォー・ピアノ」。オリジナルではなく他の作品から主題をとっている3曲の変奏曲集 ― 《シューマンの主題による16の変奏曲 嬰へ短調 op.9》の主題はロベルト・シューマンの《色とりどりの作品 作品99》の中の第4曲「アルバムブレッター第1番」、《ヘンデルの主題による25の変奏曲とフーガ 変ロ長調 op.24》の主題はヘンデルの《チェンバロ組曲》の「3つのレッスンの第1曲第2楽章の変奏主題」。そして《弦楽六重奏曲第1番による主題と変奏曲 ニ短調》は1860年 ― ブラームスが27歳の年に作曲した《弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調 op.18》の完成直後に、その中の変奏曲の形をとる第2楽章のアンダンテ・モデラートをピアノ独奏曲に編曲し、クララ・シューマンの誕生日に献呈したものであり、ブラームスの死後30年を過ぎた1920年に初めて出版されたという曰くがあるもの。ルイ・マル監督のフランス映画「恋人たち」に用いられ有名になった弦楽六重奏曲のメロディーは、若きブラームスの情熱と瑞々しい感性が溢れ、伸びやかに歌われるロマンティックな旋律です。よもや内緒のラブレターが未来で映画の主題歌になってしまうことをブラームスは思いもしてなかったでしょう。本盤発売より前には、今では当たり前の名曲になっているショパンの「別れのワルツ」や遺作のノクターンが次々登場していた時代でした。この映画で使用された《弦楽六重奏曲第1番》はアマデウス弦楽四重奏団員のレコードが素晴らしく、当時わたしの愛聴の曲となり、ヘビーローテーションで聴いていた頃の出来事を思い出させます。そうした同じ頃にピアノ独奏版があると知りました。それがバレンボイムの演奏との出会いと、その音楽性の虜になったのでした。この曲のレコード録音はこれが最初という事で、バレンボイムの音楽的構造を見事に際立たせた知的なピアノ演奏です。イングリット・ヘブラーと同じモーツァルテウム音楽院で、学んだバレンボイムは椅子を高くして、決して長くはない腕を斜めに下げた状態で鍵盤に腕ごと指を打ち下ろす。そうして生まれる粘着質で重々しいバレンボイム特有の分厚い重い音は、ドイツ系のピアニストのアラウやリヒター=ハーザーが持つ輝きを持つ重厚感とも、師のフィッシャーの音楽とも異質である。彼の弾くハンブルク・スタインウェイから放たれる音楽は、他のピアニストにはない粘りがある。
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ブラームスは生涯独身でしたが、ブラームスが《弦楽六重奏曲第1番》を書き始めた頃、彼には密接な関係を持った2人の女性がいました。第一は言わずと知れた大作曲家シューマンの妻クララ・シューマンです。ブラームスの14歳年上にあたるクララは当時ヨーロッパ中にその名をとどろかせた一流のピアニストでした。作曲も手掛けていたクララはまだ無名だったブラームスに様々な助言をし叱咤激励しました。生涯を通じて2人は800通もの手紙を交わしています。ブラームスはそんなクララを一人の音楽家として敬う一方、一人の女性として恋心を抱き始めたのです。されど、クララは人妻。ブラームスにとっては決して叶うことのない恋でした。やがてブラームスはクララのもとを離れました。新天地に移ったブラームスは間もなくしてアガーテ・フォン・ジーボルトと恋に落ちました。友人を介して出会ったアガーテはブラームスの2歳年下。人目を惹く美貌と甘く美しい声を持つソプラノ歌手でした。クララへの叶わぬ恋とは対照的にブラームスはアガーテとの現実的な恋愛を始めたのです。しかし、2人の明るい未来は訪れることはありませんでした。アガーテを別れ、間もなくして取り掛かり始めたのが《弦楽六重奏曲第1番》でした。ブラームスの心の中には再びクララへの熱い思いが沸々と沸きあがり始めていました。ブラームスは作品を書いてはクララに作品を送り助言を求め、また手紙にはクララへの素直な思いをつづりました。当時、室内楽の花形といえば弦楽四重奏。ハイドン、モーツァルト、ベートーベンなど大作曲家が数々の名曲を残してきたジャンルでした。偉大な作曲家たちが残してきた作品以上のものを書こうとしたブラームスでしたが、そのプレッシャーが重くのしかかり満足のいく弦楽四重奏を書きあげることができませんでした。そんな中、若きブラームスが挑んだのが弦楽六重奏。この弦楽六重奏曲はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロがそれぞれ二挺という特殊な編成の作品です。ミステリーとして読み解くのもまた面白そうなシンメトリカルな編成、この中低音の厚みが増した音楽への挑戦はブラームスの音楽が持つ独特の魅力を引き出すことに繋がっていきました。偉大な大作曲家たちの数々の名曲からの重圧から解き放たれ、若きブラームスがのびのびと作曲した弦楽六重奏曲。それはブラームスならではの重厚さと深い陰影をたたえた傑作なのです。
近年、クラシック音楽の新録はダウンロード配信だけのケースが増え、往年の大演奏家たちの活動の把握が難しいが2014年から新たな「エルガー・プロジェクト」をシュターツカペレ・ベルリンとスタートしている。バレンボイムは言うまでもなく現代を代表する指揮者であり、また長らく一流のピアニストであり続けている。短期間に膨大な演奏や録音をこなすことでも知られる。市場が縮小した今日においても、定期的に新譜を出せる数少ない指揮者である。ダニエル・バレンボイム(Daniel Barenboim, 1942年11月15日ブエノスアイレス生まれ)は演奏家である前に、独自の音楽観を持った音楽家であり、楽想そのものの流れを掴むことのできる稀有な才能の持ち主であろう。テンポの揺れは殆ど無く、凪の中で静かに時間が進み、色彩が移り変わっていく。全体的には厚めの暖かみのある音色で、煌めき度は高くなく沈んだ暖色系の色がしている。ピアニストからスタートして、もともとフルトヴェングラーに私淑していたこともあり、さらにメータ、クラウディオ・アバド、ピンカス・ズッカーマンなどとともに学びあった間柄で、指揮者志向は若い時からあったバレンボイム。7歳でピアニストとしてデビューしたバレンボイムの演奏を聴いた指揮者、イーゴリ・マルケヴィッチは『ピアノの腕は素晴らしいが、弾き方は指揮者の素質を示している』と看破。1952年、一家はイスラエルへ移住するが、その途上ザルツブルクに滞在しウィルヘルム・フルトヴェングラーから紹介状“バレンボイムの登場は事件だ”をもらう。エドウィン・フィッシャーのモーツァルト弾き振りに感銘し、オーケストラを掌握するため指揮を学ぶようアドヴァイスされた。ピアニスティックな表現も大切なことだとは思いますが、彼の凄さはその反対にある、音楽的普遍性を表現できることにあるのではないか。『近年の教育と作曲からはハーモニーの概念が欠落し、テンポについての誤解が蔓延している。スコア上のメトロノーム指示はアイディアであり演奏速度を命じるものではない。』と警鐘し、『スピノザ、アリストテレスなど、音楽以外の書物は思考を深めてくれる』と奨めている。バレンボイムの演奏の特色として顕著なのはテンポだ。アンダンテがアダージョに思えるほど引き伸ばされる。悪く言えば間延びしている。そのドイツ的重厚さが、単調で愚鈍な印象に映るのだ。その表面的でない血の気の多さ、緊迫感のようなものが伝わってくる背筋にぞっとくるような迫力があります。パリ管弦楽団音楽監督時代、ドイツ・グラモフォンに録音したラヴェルとドビュッシーは評価が高い。シュターツカペレ・ベルリンとベートーヴェンの交響曲全集を、シカゴ交響楽団とブラームスの交響曲全集を、シカゴ交響楽団及びベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とブルックナーの交響曲全集を2種、それぞれ完成させている。ピアニストとしてより指揮者として顕著さが出る、この時期のレコードで特に表出している、このロマンティックな演奏にこそバレンボイムを聴く面白さがあるのです。「トリスタンを振らせたらダニエルが一番だよ」とズービン・メータが賞賛しているが、東洋人である日本人もうねる色気を感じるはずだろう。だが、どうも日本人がクラシック音楽を聞く時にはドイツ的な演奏への純血主義的観念と偏見が邪魔をしているように思える。
1972年7月6、7日ロンドン、ロスリン・ヒル教会、ステレオ録音。
YIGZYCN
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