伝統的スタイルに則った堂々たるベートーヴェン演奏で、『田園』は特に名演として知られ、息長い人気を保っていました。 ― スケール大きく頑健なフォルムをオーケストラの美音が埋めてゆくという、特別この時期の共演盤に現れる、カール・ベームがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したときの相乗効果ともいうべき共同作業の成果が示されたベートーヴェン演奏。演奏はテンポの設定、造形ともこの当時のもっとも正統的なもので、特別変わった鳴り方がする箇所はない。ウィーン・フィルのベートーヴェン:交響曲全集としては、ハンス・シュミット=イッセルシュテット盤に次ぐものだったか。この後、同じドイツ・グラモフォンからレナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルでもベートーヴェンの交響曲全集が出たが ― そちらはライヴ中心ということで演奏にはバラつきがあるものの、興趣に溢れ、本盤を含むベームの演奏・録音はウィーンでのセッションゆえ安定しているものの、安全運転に過ぎ、飛びぬけた魅力では一歩をゆずる、という評価が定着し、以後、この全集は、ずっとバーンスタインの後塵を拝していた。然し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や、シュターツカペレ・ドレスデンではなく、ウィーン・フィルを振っているためか偶数番はどの曲も見事。「田園」は同曲の中でもトップクラスの演奏。そして、1960年代の厳しくかっちりしたベームの緻密な音楽と異なり、やや緩くなったのは否めないが、早めのテンポに乗って弾むように、1970年代半ば以降は、ウィーン・フィルの個性も相まって愉悦と微笑みに満ちた音楽も聴かれるようになった。昔風のゆったりとした演奏、古典的な演奏を好む方にはお勧め。
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流線型のヘルベルト・フォン・カラヤンや全身全霊のヴィルヘルム・フルトヴェングラーとは違う、なにか古き良きドイツ=オーストリアの雰囲気を感じられるカール・ベームの指揮。フルトヴェングラーは時の経過につれて奥深さを痛切に感じるのは聴き手として、わたしが歳を重ねたことにあるのか。今となってはベームの音楽がわからなくなっている。カラヤンを際立てるために同時代にあったのだろうか。膨大なレパートリーの印象がカラヤンにはあるが、1945年以後の音楽には関心がないと明言している。ベームのレパートリーはどうだっただろう。『現在ドイツ、オーストリアに在住する指揮者としては、フルトヴェングラー亡きあと最高のものであろう。』とカラヤンとの人気争奪戦前夜の評判だ。『その表現は的確で、強固なリズム感の上に音楽が構成されている。メロディを歌わせることもうまいが甘美に流れない。彼は人を驚かすような表現をとることは絶対にないが、曲の構成をしっかり打ち出し、それに優雅な美しさを加え、重厚で堂々たる印象をあたえる。まったくドイツ音楽の中道を行く表現で、最も信頼するにたる。レパートリーはあまり広くはないが、彼自身最も敬愛しているモーツァルトや生前親交のあったリヒャルト・シュトラウスの作品はきわめて優れている。しかしブラームス、ベートーヴェンなども最高の名演である。』これが1960、70年代の日本でのカラヤンか、ベームかの根っこになった批評ではないか。
1971年5月ウィーンでの録音。
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