通販レコード→独ブルー・ラベル黒文字 ROYALSOUND盤
DE DECCA SXL21169B オトマール・スウィトナー R.シュトラウス・メタモルフォーゼン
商品番号 34-14716
《エサ=ペッカ・サロネンが面白く聴かせたこの曲は、ヒンデミット事件の果てに、問題渦中のこのヒンデミットがアメリカに逃れて作曲した題材とは、そのヒトラーのお気に入りの作曲家絡みだった。》ガルミッシュ・パルテンキルヒェンのシュトラウスハウスには『グントラムの墓』がある。シュトラウスハウスは観光客が押し寄せ、シュトラウスの子孫が静かに暮らせなくなったため子孫は他に移り、今はもう見ることはできない。「シュトラウスさんの家は誰も死んでいないのに、あれは誰の墓だろう」と近所から思われていた、その墓標には「ここに尊敬し誇り高き若者が眠る、グントラム(ミンネゼンガー)。彼の父のシンフォニーオーケストラによって打ちのめされた。安らかに眠れ…」と言うような事が書いてある。この〝父〟はシュトラウス自身で、〝若者〟はグントラム。グントラムとは、若きシュトラウスの最初のオペラで、台本も彼自身が手がけました。しかし、上演は大失敗に終わり、存命中は二度と上演される事がなかったそうです。そのためシュトラウスは自宅の庭の片隅にお墓を作って葬ったのです。そうしたシュトラウスのユーモアや作品に対する思いやりがわかります。ナチスが台頭しつつあったドイツ。ヒトラーはヒンデミットの歌劇「その日のニュース」の中で女性歌手のヌードシーンがあることを心よく思っておらず、ユダヤ人音楽家と演奏活動をしていたヒンデミットを排除したいと考えていました。当時ヒンデミットは帝室音楽院の顧問。さらに歌劇「画家マティス」の準備を進めており、劇中の間奏曲を集めたものを構成して交響曲「画家マティス」を1934年3月12日にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮をヴィルヘルム・フルトヴェングラーで初演し大成功を収めます。しかし排除を決定していたナチスはこの最終的な歌劇上演を認めず、ヒンデミットの作品はナチスから演奏禁止の処分を受け〝ヒンデミット事件〟の発端となった。当時もっともリベラルな新聞「ドイチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング」にヒンデミットを擁護するフルトヴェングラーが論考を発表。その論考のタイトルが「ヒンデミット事件」。著書『音と言葉』にこの文章が載っています。政治による芸術への干渉を非難したフルトヴェングラーの尽力もむなしくバッシングの標的にされた作曲家は、1938年にドイツを去ってスイスに移住し、1940年にアメリカへ渡る。そして振付師レオニード・マシーンから、ウェーバーのピアノ作品をバレエ用に編曲してほしい、と依頼されたのをきっかけに『ウェーバーの主題による交響的変容』を書き上げた。オトマール・スウィトナーの明るく軽快で躍動感溢れる音楽作りが、の世界に誘ってくれる。シルクのようなシュターツカペレ・ドレスデンの美しい響きも絶品。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とよく似た格調高い響きだけれど、音符を完璧に弾き切るシュターツカペレ・ドレスデンのオーケストラの実力には凄みすら感じさせ、ウィーン・フィルよりもやや落ち着いた輝きが全体によく溶け合ってとてもいい。緩徐部分ではじっくりと落ち着きをみせて、ソロ奏者の妙技がじっくり味わえます。音楽が息づいているというのはこんな感じを指すのであろう。
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