34-21052

商品番号 34-21052

通販レコード→豪 "WORLD STEREO" グリーン黒文字盤

これは楽しい演奏です。 ― クルト・レーデルの「四季」は、イ・ムジチを始めとする、かつてのオーソドクスな演奏を逸脱した名盤の一つです。独奏ヴァイオリンを受け持つのは、オットー・ビュヒナー。カール・リヒターの『音楽の捧げ物』であれほど崇高・謹厳な響きを聞かせた彼が、ここではレーデルの棒の下で、自由闊達に歌いまくっています。ERATOにはジャン=フランソワ・パイヤール盤があったため、なかなか日の目を見ることの少ない録音ですが、飽きずに聴き続ける人がそこそこいるのではないでしょうか。些か原楽譜からの逸脱もあるようですが、この演奏でそういうことを言うのは野暮というものでしょう。四季の移ろいが、斯くも明るく楽しいものであったら、人生は実に気楽なものでしょう。リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団等の演奏で、バッハの『ブランデンブルク協奏曲』全曲を聴いて、大変慰められました。いつ聴いても、素晴らしい演奏です。特に改めて思いましたのは、ビュヒナーの演奏の素晴らしさです。以前から思っていたのですがその音色とテクニックには、いつも感動すら覚えます。あの完全主義者とも言うべきリヒターの下で首席ヴァイオリン奏者をずっと務められるのですから、演奏家としての能力は折り紙付きで、だからこそリヒターも高く買っていたのだと思います。ピリオド楽器全盛の今であるが、リヒターの演奏はモダン楽器云々ということを離れて今でも高い評価を受けているので、ぜひ聴いて置くことを推める。リヒター盤のビュヒナーのソロは、ものすごく滑らかで、音の1つ1つがくっきりと明瞭で輝いている。バロック音楽を演奏するのにはピリオド楽器が当時の音に忠実であるという風潮から、モダン楽器排斥ともいえる状態が続いているが、きっとバッハはこうした音楽を理想としていたのではないかと感じる。『シャコンヌ BWV1004』で、ビュヒナーはルントボーゲン弓を使用していた。ルントボーゲンとは建築用語で、半円アーチ型の様式を示します。普通、弦楽器の弓は2本の弦を同時に弾くことはテクニックで出来ますが、半円弓だと4本の弦を同時に弾く、不可能を可能にします。弦楽器による、そのようなポリフォニー演奏は、既に16世紀後半からあり、その後バッハと同時代のヴァイオリン奏者ヨハン・パウル・ヴェストホフ(1665~1704)がポリフォニーのための記譜法を開発、パガニーニ(1782~1840)は彼独自の記譜法を使って、ご存知、鬼神性を発揮しました。本盤は〝ヴィヴァルディの四季〟だが、バッハの話から始めたのは、今日のような古楽研究に基づいたものとはだいぶ違う、戯れる要素は一切ない、堅実なヴァイオリン・ソロで整然としている〝ドイツ・スタイル〟のヴィヴァルディ。その点ではカール・ミュンヒンガー盤とも、また一味違う武骨なくらいだ。急速楽章は、節度を保って音符の1つ1つを明確に聴かせる、緩抒楽章でも遅すぎず、切り立ったリズムが演奏の特徴。自由な即興性を楽しませるものではなく、ベートーヴェン以降の、きっちり作り込まれたロマン派のヴァイオリン協奏曲にも聴こえる。これも一興。
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イ・ムジチがリーダー交代の度に録音を重ねたように、指揮者としてのクルト・レーデル(Kurt Redel, 1918年10月8日〜2013年2月12日)は、このヴィヴァルディ『四季』を独奏者、オーケストラを変えての録音盤が多い。1988年12月に千住真理子さんの独奏で、イギリス室内管弦楽団と録音した時は、しなやかで繊細な細い千住のソロを、老練なレーデルが穏やかで柔和なトーンでつつみ込んで、千住のチャーミングさを引き立て、自由に飛翔するように様々な表情を見せる千住に魅了させられた。それまでレーデルの名前は知っていたけど、記憶にとどめて聴くようになる契機だった。レーデルは、1945年までドイツ領であったブレスラウ(現ポーランド領ウロツワフ)出身の指揮者兼フルート奏者。レーデルは1938年、20歳の時にマイニンゲン州立オーケストラの首席フルート奏者に就任。さらに1941年ミュンヘンのバイエルン国立オーケストラの首席に就任。1952年に、本盤でも演奏しているミュンヘン・プロ・アルテ室内管弦楽団を自ら創設し、音楽監督を務めた。数多くのコンサートを行い、1960年代にエラート・レーベルにバッハやハイドン、モーツァルトなどを数多くレコーディングし、各種レコード賞を受賞。またルルド音楽祭を自ら主宰して、20年間にわたって率いると同時に、ヨーロッパの重要なオーケストラとも共演。ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学やデトモルト音楽院で教授を務めた。それら20歳の若い時からで、カールハインツ・ツェラー、パウル・マイゼンにフルートを教えた。これらの長年の功労に対し、レコード大賞、パリ・オペラ座オルフェウス賞、エジソン賞、ドイツ連邦一等功労十字章が授与されている。
フランスのエラート・レーベルが最初に日本で紹介された時は、日本コロムビアからの発売だった。フランスに数多く残るバロック音楽ゆかりの宮殿での演奏会を再現した、空想音楽会のシリーズは忘れられない。その後、1970年代半ば、エラートの日本での発売権は RVC に移るが、移った当初は日本コロムビアのような輝きのあるエラートの音が作れず、エンジニアが苦労したと言われている。さらに、1990年代エラートはワーナー・ミュージック・グループの傘下となるが、ワーナー・ミュージック・グループでは1970年代初期音源のCD化にあたってはレコード時代の音質を復活させようとしてマスタリングを当時エラートを担当した日本コロムビアに依頼したという経緯がある。東京赤坂に当時「東洋一」と謳われた日本コロムビアの録音スタジオが完成したのは1965年。この録音スタジオとカッティング室が同一ビル内にあることから、1969年にはテープ録音機を介さず、録音スタジオとカッティング室を直結して、ミキシングされた音を直接ラッカー盤に刻み込むダイレクト・カッティングのLPを発売して音の良さで話題となった。奇しくも同時期に米国シェフィールド・ラボから発売された同じダイレクト・カッティングのLPが輸入盤として注目されていただけに、NHKの放送スタジオのレコードプレーヤーが同社製であることと日本コロムビアはレコード・ファンの好評を定めた。日本コロムビア録音部ではダイレクト・カッティングを経て、1972年のPCM録音機の導入以降、録音機の小型化、高性能化と並行して、様々なデジタル周辺機器の開発へ進む。その後、1981年にはハードディスクを用いたデジタル編集機の登場。そして、86年、日本から始まったCD化の波は世界中に波及し、CD工場を持たない国内外のレコード会社はこぞって日本にマスターテープを送り、CD生産を依頼してきた。しかし、会社経営母体が日立からリップルウッドに移り、スタジオの廃止は逃れられなかった。
エラート(Erato Disques, S.A.)は古楽録音で大きな実績をもつ最古参レーベルです。レーベル名はギリシャ神話に登場する文芸の女神・エラトーからとられている。独立系レーベルとして1953年にフランスで設立された。芸術責任者のミシェル・ガルサンの下、フランスのアーティストを起用した趣味性の高いLPを数多く制作し、クラシック音楽を中核とし、とりわけフランス系の作品や演奏家の紹介に努めてきた。その中心的なレパートリーはバッハ以前の古楽だった。日本ではバロック音楽すべてが含まれる場合もありますが「古楽」は、古典派音楽よりも古い時代の音楽=中世、ルネッサンス、ごく初期のバロック音楽の総称です。作曲された時代の楽器、演奏方法は、時代を経るにつれ変遷を遂げてきています。近年の「古楽」ジャンルの録音は、19世紀から20世紀にかけて確立されたクラシック音楽の演奏様式ではなく、現代の楽器とは異なる当時の楽器で、音楽史研究に基づいて、作曲当時の演奏様式に則った演奏によっています。但し、オリジナル楽器録音への取り組みはやや遅く、本格化するのはフランス系以外の奏者を積極的に起用するようになった1980年代以降。中心を担ったのはトン・コープマン、ジョン・エリオット・ガーディナー、スコット・ロスといった、グスタフ・レオンハルトたちよりも一世代後、かつフランス人以外の演奏家たちである。
オリジナル盤の初出は1961年10月。
AU WRC STE335 レーデル&ブフナー ヴィヴァルディ・四季
AU WRC STE335 レーデル&ブフナー ヴィヴァルディ・四季
ヴィヴァルディ : 四季 & 海の嵐 / レーデル & シモーネ
picc)、ピエール・ピエルロ(ob)(2)(3)セルジオ・ペナッツィ(fg) オット・ビュヒナー(vn)、ジャン=ピエール・ランパル(fl
BMGビクター
1987

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