聴く人のための演奏 ― を標榜する指揮者アンドレ・コステラネッツは、アメリカの一般大衆にクラシックをはじめとする音楽の素晴らしさを伝え、〝ミスター・ミュージック〟と敬愛された。当時ヨーロッパの音楽の中心に成長しつつあったロシア時代のサンクトペテルブルク ― のちのレニングラードに生まれ育ち、同地の音楽院に学んだ後アメリカに渡って、最初はオペラの伴奏ピアニストを務めていたこともある等、声楽と古き好きヨーロッパ音楽、ことに19世紀から20世紀に初頭のウィーン音楽に深い理解を持っていることは、このレコードにもはっきりと現れている。コステラネッツはムード・ミュージックの先駆者でもある。またラジオにおいてクラシックとポピュラーをひとつにしたプログラムのシリーズを放送した最初の指揮者でもある。そしてレコード吹き込みにおいても同じ方向をとっている。即ち、クラシックとポピュラーの間の壁を取り除き、両者を結合させることが、彼の理想なのである。従って彼のレパートリーは実に多方面に広がっている。それでいて、いつの場合にもそこにはコステラネッツだけが持つ個性がある。アメリカのニューズウィーク誌は、コロムビアでのレコード生活20年を祝って、続けてコロムビアと長期契約を結んだ1960年に、彼についての記事を扱い、その見出しに〝レコードのチャンピオン〟と記して、次のように述べている。『彼は長年ベスト・セラー・リストのトップを占めている。3,500万枚を越えるコステラネッツがこれまでに売り上げたレコードを、もし全部積み上げたとしたら、その高さはエンパイア・ステイト・ビルディングの125倍か、またはエヴェレスト山6つ分に相当するものになる。レコードの仕事と同時に彼はコンサートにおいても豊富な経験と知識を持っている。全米の大手120社の新聞による投票で、クラシックとセミ・クラシックの両部門で選ばれている唯一人のミュージシャンであり、またベスト・セルング・レコードのリストでは毎年〝シンフォニック〟〝オペラティック〟〝ポピュラー〟の3部門で第1位を獲得している。』1957年10月号のエスクワイア誌は『コステラネッツの音楽界への貢献に比較しうるものは、レオポルト・ストコフスキを唯一人あげうるのみで、他には見当たらない』と述べている。コステラネッツは、レコード吹込に当っては、マイクロフォンのセッティングを自由に行い、数多くのマイクを使用する利点を主張し、特殊な音響学によるスタジオ内での空気の状態 ― 温度や湿度などの影響を認めた最初の一人である。彼はまた、レコーディングに際して技師たちは前もって指揮者と、オーケストラの各部門のバランスについて入念に検討し、スコアを見ながら仕事をしなければならないと常に言い続けてきた。従って技師たちは、他のどんな指揮者よりも、コステラネッツからより細やかな指示を受ける。レコーディングに於ける彼はまったくの凝り屋である。慎重な彼は自分が望む結果が確実に得られるまでは決して満足しない。かつて「10番街の殺人』を吹込んだ時、ピストルの音が必要だったが、彼は実に63発目に初めてOKを出したほどである。このようにして吹込まれたレコードを、発売される前にコステラネッツは、特別あつらえの機械、普通のプレーヤー、旧式の音のかすれた機械と3つの違った電蓄で聴くことにしている。レコードは秀れたセットにかけて素晴らしい音が出ると同時に、旧式のプレーヤーでも結構聴けるものでなければならないというのが、彼の特徴なのである。このレコードも常に新しい音響の可能性を追求したコステラネッツが、「カルメン組曲」ではなく、全4幕のドラマを取り上げて描いたものである。歌ではない肉感的な表現のないインストルメンタルの世界、アレンジの良さには編曲との違いも同時に感じさせ、全てのシーンの絵が浮かんでくる。コステラネッツの非凡な才能を示したものです。彼は自分でテーマを創作し、管弦楽曲を作るよりもこのような通俗的なメロディーをテーマとし、之を堂々たる管弦楽曲に編曲し、演奏したほうが遥かに一般的に親しまれるし、又同時に大衆を音楽的に向上させることになるという信条のもとに、専ら編曲に専念して居ますが、彼の場合の編曲は作曲と同時に頗る独創的です。此の点に関し、彼は『テーマの持つ本質的なものをあくまで尊重すること』をモットーとし、此れが為の苦心を重ねているのである。従って、この編曲の仕事は、即ち又、彼の芸術と観て差し支えないものです。
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Andre Kostelanetz Und Seinem Orchester, G.Bizet – Carmen
- Side-A
- Act I
- Act II
- Side-B
- Act III
- Act IV
- Record Karte
- Recorded at Columbia's 30th Street Studio New York City, October 30 and November 6, and 13th, 1953
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