オーケストラの音色を活かしながら ― 有名作曲家のマイナーな作品には名演が多いという「アバドの法則」を既にメジャーデビュー2年目にして発揮した録音。しかし、最初に録音するブラームスの曲が、はっきり言って退屈な「セレナーデ第2番」という指揮者もたぶんいないだろう。アバドのブラームスの特徴は、その軽やかなサウンドにあります。後年、ブラームスの交響曲・管弦楽曲・協奏曲全集に発展するのは未知数だった頃だから、レコード会社のプロデューサーの意図が大きく働いていることは言うまでもないが新進のクラウディオ・アバドは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の音色を生かしながら、穏やかながらも要所をしっかり抑えたメリハリのある指揮で聴かせ、あえてこの曲を取り上げたことへの説得力を十分に感じさせてくれることになっている。「大学祝典序曲」は、明るい曲想とめまぐるしく移り変わる様々なモティーフの特徴や魅力をしっかりと表現しつくした上で高レベルで纏め上げた名演。アバドにとっては最も相性のいい曲のひとつと思う。指揮のスケールと説得力は20年後の、シュロモ・ミンツ独奏でのヴァイオリン協奏曲の余白での演奏には及ばないがオーケストラの音色はこちらのほうが個性的で、十分な存在価値がある。ご存じのとおり、当時ベルリン・フィルはヘルベルト・フォン・カラヤンとブラームス全集を完成していますが、その時はコントラバスは分厚く、金管は荒々しく輝かしく、という独特の鳴らし方をして、フレーズも低弦の出をずらし、ティンパニを深く打ち込むことで引き摺るように演奏していました。ブラームスのオーケストラ曲の響きは室内楽と管弦楽の混ざりあったようなもので、同じ時代に生きながらもブラームスはヴァーグナーとちがって、金管の使い方などが古風で、それだけに、木管が非常に重視されていた。それは誰しも知っている。だが、その木管の音色がブラームスではずいぶん地味な、艶消しをしたようなものであることには、必ずしも誰も気が付いているわけではない。例によって十年毎に録音をしているが、どこかのインタビューでカラヤンは楽譜を見るたびに新しい発見があると言っていた。指揮者の力量を図るのと同じように、中央ヨーロッパの管弦楽団の音色に実際にあたるべき、ブラームスの管弦楽曲の音の調整は比較的難しいことらしい。ところが、アバドはベルリン・フィルから腰が据わった重厚な響きを引き出しつつも、もっと横に軽やかに流線型に歌っていきます。アバドのこのやり方というのは、むしろフルトヴェングラーに近いような気がします。
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ブラームスには、ごく一般的な意味でのメロディー愛好家的な側面があったらしい。ドヴォルザークのくずかごを漁れば交響曲が一つ出来上がると言ったり、ヨハン・シュトラウス二世の「美しく青きドナウ」を残念ながら私の書いた曲ではありませんがと称賛し、ハンガリー舞曲集を作るなど、メロディー愛好家であったところはワルツ集や、弦楽六重奏曲には噴出している。そういうところは交響曲第1番の第4楽章、ヴィオラが入るところに、このカラヤンのものでは最も印象的な場面に出会う。懐の深いひなびた音色は、難渋な憤怒と隣り合わせになっている音響の一方で、ブラームスの音楽はまた、その旋律も魅力である。20世紀有数の音響家であり、旋律家であったヘルベルト・フォン・カラヤンにブラームスはうってつけの作曲家であるのだが、案外にその出来栄えは不安定である。カラヤンのブラームスは、大きくわければ響きのバランスを統御しつくすことに注力した1950年代、1960年代のものと、「うねり」を再確認する1970年代以降に分けられる。ただし、その進展は未発達だった音楽解釈が練達していったというのではない。最早フィルハーモニア時代から、ブラームスの音響の形を実現しようとしているところは垣間見えていて、それはほとんど出来上がってすらいた。のちのベルリン・フィルと度重ねた録音との違いはフィルハーモニア管弦楽団と、録音設備がとらえた音響であろうが、オーケストラとスタジオから得られる元来の味わいを消すことなく可能なかぎり透明にしたカラヤンの手腕は称賛できるし、あの高貴で瑞々しいブラームスは、やはり魅力的であることに変わりない。つづくベルリン・フィルとの第一回の全集は、あの手法をそのままベルリン・フィルハーモニー管弦楽団でやった、重心が一段階下がっている感じ。ここはやはりベルリン・フィル、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの薫陶を受けた暗い霧と強い高弦が織りなす不安な濃厚な、かおりが充満する世界である。顕著なのが第1番で、横の隙無く、滞りなく、数多くあるカラヤンのブラームスの中で最も精巧に制御されているものでもある。カラヤンの1960年代のブラームス交響曲全集は、ブラームスの音楽とは何かという問いの答えを見ることができる玄関口にあたるわけである。フルトヴェングラーが突然死んでしまいベルリン・フィルの第4代主席指揮者がカラヤンに決まって、西ドイツの威信を欠けたアメリカツアーは確実に成功させなければならなかったこと、レコードを重視するカラヤンとEMIレコードの利害が一致し各方面に圧力を及ぼしたこと、など商業的な成功とは裏腹に、内部的な問題と芸術上の評価の問題が常に付きまとう。
カラヤン的な仕上げが施されつくされている1950年代の第4番は、カラヤンのブラームスの中で最高の出来であるように思う。さらにカラヤンは、フルトヴェングラーを慕うベルリン・フィルの楽団員に悩まされ、フルトヴェングラーの亡霊に付きまとわれた。1964年、78年、87〜89年の3回の全集があるが、カラヤン帝国に引き入れるのに尽くした1960年代のブラームスと比べると、それ以降のものは楽々と旋律が呼吸しているように感じられる。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのものは例外としたいし、演奏会ではレパートリーとして度々取り上げているが、2回目の全集録音まで14年間必要としており、この間にクラウディオ・アバドとベルリン・フィルのブラームスの録音が登場する。カラヤン存命中のベルリン・フィルとのブラームスの全集は、カラヤン時代のようなティンパニや弦の出方が随所に現れたりしますが完成度が高い。全体としては至極全うな音楽で、たとえばレナード・バーンスタイン&ウィーン・フィルのような大河のようなロマン性には欠けますが、時折大きなうねりを作るベルリン・フィルの音響は魅惑的。アバドのこのやり方というのは、むしろフルトヴェングラーに近いような気がします。同時期に録音されたカラヤンの3回目の全集では、フルトヴェングラーの設計図である楽曲の構成に従った「うねり」による音楽構成も採用して見る価値の再確認に至ったのだろう。つまり、フルトヴェングラーの即興的荒れ狂いがブラームスの目指していたところなのかもしれない。その一方で音響はむやみに膨らみ続けた。どうもカラヤンは、あの音のふくらみがブラームスには不可欠の要素であるということは生涯信じ続けていたことは確からしい。そこで、ウィーン・フィルとのものは例外と見た方が妥当のように感じる。カラヤンはじめ多くの指揮者が低弦重視のマッシブな響きを作りますが、アバドはヴァイオリンの旋律を強調します。ゆえに、力強さ、ゲルマン的な無骨さより、しなやかで北ドイツ風なクールな悲壮感が出てきます。ブラームスはAという旋律に対抗的なBをつくり、両者を対話させる。そこでアバドは躊躇うことなく晦渋な構造をしっかり組み立て、また熱気を煽らず立派に締めています。アバドはギリギリのところでアンサンブルのバランスを整えてきますから、これまであまり聴こえてこなかった声部や旋律が何とも魅惑的に耳に入ってくるのでカラヤンが演出過剰と思えるほど。もっとも、クリスティアン・ティーレマンはワーグナーにしてもブラームスにしてもベートーヴェンの管弦楽法から大きく離れることはしなかったと言っているが、いずれにしてもブラームスの音の絶対性が微妙な位置にあると、はっきり感じるところに端を発しているように感じる。
クラウディオ・アバド(Claudio Abbado)は1933年6月26日、イタリア・ミラノ生まれの指揮者。ヴェルディ音楽院の校長を務めた父のもとで育ち、1954年からウィーン音楽アカデミーで学ぶ。父のミケランジェロ・アバドはイタリア有数のヴァイオリンの名教育者であり、19歳の時には父と親交のあったトスカニーニの前でJ.S.バッハの協奏曲を弾いている。オペラ監督のダニエル・アバドは息子、指揮者のロベルト・アバドは甥である。1959年に指揮者デビューを果たした後、ヘルベルト・フォン・カラヤンに注目されてザルツブルク音楽祭にデビューする。ベルリン・フィルやウィーン・フィル、シカゴ、ドレスデンなどの桧舞台に早くから客演を重ね、確実にキャリアを積み重ねて、1968年にミラノ・スカラ座の指揮者となり、1972年には音楽監督、1977年には芸術監督に就任する。イタリア・オペラに限らず広大なレパートリーを高い質で提供しつつ、レコーディングにも取り組んだ。1990年、マゼールなど他に様々な有力指揮者らの名前が挙がった中、カラヤンの後任として選出されベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督に就任し、名実共に現代最高の指揮者としての地位を確立した。アバド時代のベルリン・フィルについて、アバドの音楽的功績や指導力については評価はかなり様々であるが、在任年間の後期の成熟期におけるベルリン・フィルとの録音として、ベートーヴェン交響曲全集(2回目・3回目)や、ヴェルディのレクイエム、マーラーの交響曲第7番・第9番、ワーグナー管弦楽曲集、等々がある。現代音楽もいくつか録音されており、世界最高の名器たる実力を余す所なく披露している。楽曲解釈は知的なアプローチをとるが、実際のリハーサルではほとんど言葉を発さず、あくまでタクトと身体表現によって奏者らの意見を募る音楽を作っていくスタイルだという。その点がアルゲリッチの芸風と相性が良いのだろうか、マルタ・アルゲリッチとも多くの録音がある。比較的長めの指揮棒でもって描かれる曲線は力強くかつ繊細であり、自然なアゴーギクとともに、色彩豊かな音楽を表現するのが特徴である。
1967年11月ベルリン、UFAスタジオでの録音。オーストリアプレス。
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