10月31日
ロシア人作曲家、アレクサンドル・ボロディンが生まれた日(1833年)。モデスト・ムソルグスキー、ミリイ・バラキレフらと共に、ロシア五人組のひとりであり、ロシア音楽の発展に貢献した。交響詩『中央アジアの草原にて』などで知られる。また、ボロディンは化学者としての顔も持つ。ペテルブルク大学で教鞭を執った。
〝仕事に忙殺されて作曲する時間のなかったロシア5人組〟ボロディン
アレクサンドル・ボロディン(Alexander Porfir'evich Borodin, 1833.11.12 〜 1887.2.26、ロシア)は〝ロシア5人組〟の一人。化学者としても優れ、多くの研究論文を著している。1856年にムソルグスキーと会い、その後バラキレフと知り合って、ロシア国民音楽建設の使命を自覚し、1869年「交響曲第1番」を発表した。この曲は後にリストの援助を得て国外にも紹介され、一躍、国際的に知られるようになった。1880年には東洋的色彩と詩情に満ちた交響詩「中央アジアの草原にて」を作曲。1869年以来構想を練っていた歌劇「イーゴリ公」を完成せずに、1887年、突然世を去った。
これは、のちにリムスキー=コルサコフとグラズーノフの手で完成されたが、ロシア国民主義歌劇の代表作になっている。3曲の交響曲、2曲の弦楽四重奏曲、ピアノ曲、歌曲などがあるが、特に、〝5人組〟の他の作曲家たちが手を染めなかった交響曲、弦楽四重奏曲が優れている。
ボロディンは本職や公務に忙殺されて作曲する時間がなかった。
化学者としては、ボロディン反応に名を残している。これはハロゲン化アルキルの合成法で、ハンスディーカー反応の別名で呼ばれることが現代では一般となってしまった。また、求核付加反応の一つであるアルドール反応を発見したとされる。
- グルジア皇室の皇太子ルカ・ゲデヴァニシヴィリのご落胤という出自だが、ピアノの稽古を含めてすぐれた教育を受け、化学を専攻した。転じて、サンクトペテルブルク大学の医学部に入る。
- これを最優秀で卒業後は、陸軍病院に勤務、24歳の時に医学の会議の出席のためにヨーロッパにも長期出張した。
作曲は1863年にミリイ・バラキレフと出会うまで正式に学んだことがなかった。ボロディンは、作曲家としてその道に秀でていたにもかかわらず、いつも化学者として収入を得ており、化学の世界においては、とりわけアルデヒドに関する研究によって、非常に尊敬されていた。結果的に「日曜作曲家」を自称することになり、同時代人ほど多作家ではなかったものの、抒情美をたたえて人気の高い「夜想曲」で有名な《弦楽四重奏曲 第2番》は室内楽曲は聞かない人でもクラシック音楽だとは思わないで魅了されているに違いない。これは、ボロディンの数々の作品を改作して創られたミュージカル「キスメット」の成功による功績が大きい。
ボロディンの作品は、力強い叙事詩的性格と豊かな和声が特色である。交響曲や弦楽四重奏曲のスケルツォ楽章は、ボロディンがメンデルスゾーンの作風を熟知していたことをうかがわせる。
DE EMI 1C 063-02 317 - Gennady Roshdestwensky, Orchestre de Paris – Alexander Borodin/Nikolai Rimsky-Korssakoff/Modest Mussorgsky – Polowetzer Tänze/Capriccio espagnole, Russische Ostern Ouvertüre/Eine Nacht ouf dem kahken Berge
華麗な色彩感、土俗的な迫力、めくるめくオーケストラの響き
― パワフルな音楽性と統率力を発揮するロジェストヴェンスキーとフランスの名門パリ管弦楽団。意外とも思われる組合せによる豪華絢爛な音楽作りを堪能できる。
ロシア音楽の饗宴
フランスの名指揮者、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)がその最晩年に持てるエネルギーの全てを注いだのが、パリ管弦楽団の創設と育成でした。ミュンシュは音楽が持っているストーリー性を、物語の様な視点で語りかけてくる。それが度を越すケースが多いのだけど、熱を持って表現する。パリ管弦楽団は巨匠の叱咤激励のもと覇気に燃える新生オーケストラの息吹を捉えたのです。
1967年6月、フランス文化相アンドレ・マルローと文化省で音楽部門を担っていたマルセル・ランドスキのイニシアチブにより、139年の歴史を誇りながらも存亡の危機を迎えていた名門パリ音楽院管弦楽団の発展的解消が行われ、新たに国家の威信をかけて創設されたのがパリ管弦楽団で、その初代音楽監督に任命されたのがミュンシュでした。第2次世界大戦前にパリ音楽院管弦楽団の常任指揮者を務めていたミュンシュ以上にこの新たなオーケストラを率いるのにふさわしい指揮者はおらず、同年10月2日からの綿密なリハーサルを重ねてむかえた11月14日の第1回演奏会は、国内外に新しいフランスのオーケストラの誕生をアピールする大成功を収めたのでした。
その1年後、1968年11月、パリ管弦楽団の北米ツアーに同行中にリッチモンドで心臓発作のため急逝するまで、ミュンシュは30回ほどの共演を重ねるとともに、EMIにLP4枚分の録音を残しました。そしてリリーフとして指名されたヘルベルト・フォン・カラヤンは、音楽監督の人は辞退し音楽顧問として中堅フランス人指揮者にパリ管弦楽団を委ねることを奨めました。1975年にダニエル・バレンボイムが受け継いだパリ管弦楽団の感性豊かな響きは15シーズンの長い円熟の期間を迎えます。
一期一会の奇蹟
本盤はロシアを代表する名指揮者であるゲンナジー・ロジェストヴェンスキーがパリの名門、パリ管弦楽団を率いた名盤。音楽顧問カラヤンから後任の音楽監督、ゲオルグ・ショルティに代わった1972年1月の録音。このコンビの録音が、この1枚だけで終わってしまったのが本当に惜しいと思わせる、まさに「一期一会の奇蹟」とも思える名盤です。
収録曲は4曲と少ないのですが、1曲1曲自体が10分以上あるので聴き応えはあります。ボロディン:だったん人の踊り(リムスキー=コルサコフ編曲)、リムスキー=コルサコフ:序曲『ロシアの復活祭』 op.36 がロジェストヴェンスキーの芸風とパリ管弦楽団の音色が相乗効果で美しい絵巻に早変わり。「リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲 op.34」や「ムソルグスキー:交響詩『禿山の一夜』(リムスキー=コルサコフ編曲)」の管楽器の音色の素晴らしさは秀逸の一言で、精力的な指揮と、オケの明るく華やかな音色のバランスが最高。パリ管弦楽団からロシアの土臭いロマンティシズムとダイナミズムを生み出したロジェストヴェンスキーのオーケストラ・コントロールを堪能できる。ただ、ロシアのオーケストラで聴くような金管バリバリの演奏とはいえず、パリ管弦楽団の繊細なサウンドと、ロジェストヴェンスキーらしい壮大なスケールの大きな音楽となっています。
優秀録音。ステレオ録音。
プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)
- レーベルEMI/ELECTROLA
- 楽曲
- ボロディン/「だったん人の踊り」
- リムスキー=コルサコフ/「スペイン奇想曲」、「ロシアの復活祭」
- ムソルグスキー/「禿山の一夜」
- レコード番号1C 063-02 317
- 作曲家
- アレクサンドル・ボロディン
- ニコライ・リムスキー=コルサコフ
- モデスト・ムソルグスキー
- オーケストラパリ管弦楽団
- 指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
- 録音年月1972年1月
- 録音種別STEREO
- 製盤国DE(ドイツ)盤
- レーベル世代金地にスタンプニッパーレーベル
CDや伝記本がamazonで購入できます。
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