DE DGG 2530 891 小澤征爾 ボストン交響楽団 レスピーギ リュートのための古風な舞曲とアリア
- Record Karte
- 演奏:小澤征爾指揮、ボストン交響楽団
- 録音:第3組曲(1975年10月)、第1組曲(1977年3月)、第2組曲(1978年4月)ボストン、シンフォニーホールでのセッション、ステレオ録音。
日本人指揮者では初めての国際的なレーベルからのリリース。聴き終わった後の満足感。響きの良さで知られるボストン・シンフォニーホールで行なわれた。小澤の録音のなかでも記念すべき名盤として知られる。
- 《イタリアに純粋音楽の復興を成した20世紀の名曲。》
ヨーロッパ全土からの影響を咀嚼して、現代的な音楽文化を成立させたレスピーギが目指したイタリア古楽の復興、そして古楽の再作曲・構成のために古い音楽を利用した20世紀の名曲。
目の覚めるような鮮やかな音質が好感触、こういうダイレクト感の強い鮮やかさは、この三部作では必須。デッカのマゼール盤を髣髴させる。 ― 日本人指揮者では初めての国際的なレーベルからのリリース。緻密なアンサンブルによる演奏で聴き終わった後の満足感。響きの良さで知られるボストン・シンフォニーホールで行なわれた。小澤征爾の録音のなかでも記念すべき名盤として知られる。20世紀は様々なものが楽器として登場しますが、大正時代末、まだ最新なものだった蓄音機をオーケストラのステージに上げた作曲家。一方で図書館に眠るルネサンスやバロック時代の手稿譜の研究を通じて、自国の音楽遺産への理解と愛情を深めていった結果、20世紀イタリアの器楽ルネサンスを興したレスピーギが、そうした古い時代のリュート作品をもとにして作曲したのが、3集からなる《リュートのための古風な舞曲とアリア》です。中でも《シチリアーナ》は平原綾香が自作詞をつけて歌うなど、第3組曲が最もよく知られています。その第3組曲を最初(1975年10月)に、その後に第1組曲(1977年3月)、第2組曲(1978年4月)を本拠地ボストンで録音していきます。その間の1977年10月に交響詩《ローマの松》、交響詩《ローマの祭り》、交響詩《ローマの噴水》の3部作を録音。足掛け4年をかける慎重なものでした。これらレスピーギの管弦楽曲の2枚のLPレコードは、2530 890(ローマ三部作)、2530 891(リュートのための古風な舞曲とアリア)とカタログ番号が連番だから、レーベルも録音に気合が感じられる。本盤は、1970年代に小澤がドイツ・グラモフォンに録音した20世紀の音楽作品。喧噪猥雑引き連れた旺盛な活力の一方で素朴なまでの敬虔さや甘美な夢見が入り混じり、多種多様なソノリティが響き交わす。“リュートのための…”とあるが弦楽合奏で演奏されリュートは登場しない。レスピーギはイタリア古楽の復興を目指していた。近代音楽は忘れられていた音楽から新しい音楽語法を模索してきたが、レスピーギは違っているのが20世紀音楽の面白さである。そこには、ロシア帝国劇場管弦楽団の首席ヴィオラ奏者としてペテルブルクに赴任し、イタリア・オペラの上演に携わり、ニコライ・リムスキー=コルサコフから5ヶ月におよぶ指導を受け、その精緻な管弦楽法に強い影響を受けたことは多いにあるだろう。くわえて管弦楽曲はとりわけフランス印象主義音楽 ― 特にクロード・ドビュッシー、モーリス・ラヴェル ― の影響を感じさせる。ふたつの要素に根ざしたレスピーギは小澤の、当時の得意にマッチする。そうしたレスピーギの自由な形式、拡張された和声法、音楽表現に見られる激しい振幅が作品を左右する要素となっている雑種感がてんこ盛りでありながら、その特色世界を小澤流ビビッドネスでぴたり楽しませる。《イタリアに純粋音楽の復興を成した20世紀の名曲。
オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879.7.9〜1936.4.18)は近代イタリア復古主義の一翼を担った作曲家。中世・ルネッサンス・バロックのイタリア音楽の要素と民族主義的立場を結びつけました。イーゴリ・ストラヴィンスキーやセルゲイ・プロコフィエフらに受け継がれていくムーブメントですが、初期の擬古典主義風潮の中で、レスピーギは流麗なオーケストレーションと甘美な旋律を特徴とし、フランスで六人組 ― ルイ・デュレ(Louis Durey, 1888〜1979)、アルテュール・オネゲル(Arthur Honegger, 1892〜1955)、ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud, 1892〜1974)、ジェルメーヌ・タイユフェール (Germaine Tailleferre, 1892〜1983)、フランシス・プーランク(Francis Poulenc, 1899〜1963)、ジョルジュ・オーリック(George Auric, 1899〜1983) ― が「新しい単純性」を、中でもウィーン古典派の軽やかさへの回帰を標榜したのに対し、レスピーギは古典派音楽以前の旋律様式や舞踊組曲などの音楽形式を ― 古楽の再作曲・構成のために古い音楽を ― 利用することで、近代的な和声法やテクスチュアと融合させている。「ローマ三部作」はそれぞれローマの名所旧跡めぐりといった様相を呈しており、全て聞き終えるとローマ小旅行をしたような気分を味わえる。《ローマの噴水》(Fontane di Roma)は印象主義的な叙景描写の曲であるのだが、ローマに数多くある噴水から田園地帯から、政治の中心地域までの4つの噴水を選び、夜明けから黄昏までを、それに重ねる。古代ローマ時代にはすでに、飲料水や大衆浴場などで大量の水を用いることから、ローマ水道と呼ばれる膨大な数の水道が建設されていたことを背景にドラマを感じさせる。《ローマの松》(Pini de Roma)は松に託したレスピーギの歴史的心象を音の絵として表現したもので、よりはっきりと葬儀やローマ軍の行進などという今現実には存在しない過去の事象の包している〝イメージ〟を、今も昔も同じ場所に生きていることを現存し、イタリア人に聖樹として大切にされている「松」を象徴的な主題として使って聴衆に共有してもらう手段としている。- 《小澤征爾の音楽武者修行》
- 1935年、中国のシャンヤン(旧奉天)生まれ。幼いころからピアノを学び、成城学園中学校を経て、桐朋学園で齋藤秀雄に指揮を学んだ。
- 1959年、ブザンソン指揮者コンクールで第1位を獲得。当時ボストン交響楽団の音楽監督であり、このコンクールの審査員であったシャルル・ミュンシュに翌夏タングルウッド音楽祭に招かれた。その後、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインに師事、ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者、シカゴ交響楽団ラヴィニア・フェスティバル音楽監督、トロント交響楽団音楽監督、サン・フランシスコ交響楽団音楽監督を経て1973年にボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任、アメリカのオーケストラ史上でも異例の29年という長期にわたって務めた。
ボストン響の音楽監督としてオーケストラの評価を国際的にも高め、1976年のヨーロッパ公演および1978年3月の日本公演で多大の成果を挙げる。1981年3月には、楽団創立100周年を記念して、アメリカ14都市演奏旅行を果たし、同年秋には、日本、フランス、ドイツ、オーストリア、イギリスを回る世界公演を実施。その後も1984年、1988年、1991年にヨーロッパ公演と198年、1989年、1994年、1999年には日本公演を行い、いずれも絶賛 を博す。 - 1978年には、中国政府の公式招待により、中国中央楽団と1週間にわたって活動したのをはじめ、1年後の1979年3月にはアメリカのオーケストラとしては初めてボストン響を率いて再度訪中し、意義深い音楽・文化交流を果たした。それ以来、中国とは深い関係を築いている。他にも、1973年6月にはサン・フランシスコ響を率いて、ソビエト連邦当時のモスクワを訪れ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチと共演している。
- 2002年秋には、東洋人初のウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任、2010年春まで務めた。
- 欧米での評価と人気は絶大なものがあり、これまでにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめとする多くのオーケストラ、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、フィレンツェ歌劇場、メトロポリタン・オペラなど主要オペラハウスに出演している。
- 日本においては、恩師・齋藤秀雄を偲び、没後10年の1984年に、秋山和慶らの仲間に声を掛け、メモリアル・コンサートを東京と大阪で開催。それを母体としてサイトウ・キネン・オーケストラへと発展させ、1987年、1989年、1990年にはヨーロッパ公演を、1991年にはヨーロッパ、アメリカ公演を行い絶賛を博した。1992年からは、芸術的念願であった国際的音楽祭〝サイトウ・キネン・フェスティバル松本〟へと発展させ、総監督に就任(心不全で亡くなるまで継続した)。その後もサイトウ・キネン・オーケストラは、1994年、1997年、2001年、2004年、2010年、2011年に海外ツアーを実施。フェスティバルは、2015年より、〝セイジ・オザワ 松本フェスティバル〟として新たなステージに踏み出した。
- また、1996年にサイトウ・キネンの室内楽勉強会から始まった室内楽アカデミー奥志賀を、アジア圏の優秀な学生に門戸をひろげる小澤国際室内楽アカデミー奥志賀として2011年にNPO法人化。一方で、実践を通して若い音楽家を育成するための〝小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト〟(2000年〜)、および〝小澤征爾音楽塾オーケストラ・プロジェクト〟(2009年〜)を公益財団法人ローム ミュージック ファンデーションの支援を受けて精力的に展開。2005年にはヨーロッパにおける音楽学生を対象にしたSeiji Ozawa International Academy Switzerlandをスイスに設立し、教育活動に力を注いでいる。その他、水戸室内管弦楽団とは1990年の創立時より親密な関係にあり、2013年からは同楽団の総監督を務めると共に水戸芸術館 館長も務めている。さらに、新日本フィルハーモニー交響楽団とは創立に携わり、長期にわたり活動を続けた。
- これまでに国内外で受賞した賞には、朝日賞(1985)、米国ハーバード大学名誉博士号(2000)、オーストリア勲一等 十字勲章(2002)、毎日芸術賞(2003)、サントリー音楽賞(2003)、フランス・ソルボンヌ大学名誉博士号(2004)、ウィーン国立歌劇場名誉会員(2007)、フランス・レジオン・ドヌール勲章オフィシエ(2008)、フランス芸術アカデミー外国人会員(2008)、日本国文化勲章(2008)、イタリア・プレミオ・ガリレ2000財団・金百合賞(2008)、ウィーン・フィルより日本人として初めて「名誉団員」の称号(2010)、高松宮殿下記念世界文化賞(2011)、渡邉暁雄音楽基金特別賞(2011)、ケネディ・センター名誉賞(2015)などがある。2016年、サイトウ・キネン・フェスティバル松本 2013で録音された小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラによるラヴェル:歌劇「こどもと魔法」のアルバムが、第58回グラミー賞最優秀オペラ録音賞を受賞。同年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、東京都名誉都民の称号を贈られる。2022年3月、日本芸術院会員に選ばれた。
幸福と孤独を抱えたパイオニア。その足跡。
- 小澤征爾は一度だけ辞任を考えたことがあると自伝「私の履歴書」に書いている。
タングルウッド音楽祭の講習会を改革した時だ。40年に当時の音楽監督セルゲイ・クーセヴィツキーが創設した際はボストン交響楽団の楽員が講師だった。なのに私的なつながりでポストが占められるようになり、僕の時代には一層ひどくなった。教える能力より人間関係が優先された。1997年、思い切って講師を全員辞めさせ、ボストン響の楽員を代わりに選んだ。僕の決断を「ニューヨーク・タイムズ」は痛烈に批判した。「失敗したら音楽監督は辞めるべきだな」と覚悟を決めた。この時、「セイジが正しい」とボストン響の理事たちを説得に来てくれたのが、ヴァイオリンのアイザック・スターン、イツァーク・パールマン、チェロのヨーヨー・マ、ピアノのピーター・ゼルキンらだ。ほとんどの理事と楽員の支持も得られた。在任中、僕は楽員の待遇をいつも気にかけていた。根底には日フィル(日本フィルハーモニー交響楽団)分裂時の苦い教訓がある。ストライキだけは絶対に避けたかった。理事長のネルソン・ダーリンに頼み、楽員の給料を上げてもらった。オーケストラとしては珍しく、彼は遺族年金の制度まで作ってくれた。
- 閑話休題、ヨーロッパで活躍してきた指揮者が、アメリカのオーケストラでレコード録音をするためにスタジオで思い通りに吹かない奏者に口説いくらい熱心にリハーサルをして、翌日いざ本録音は安心だ、と指揮棒を振り上げたら初めての顔が並んでいたという、こぼれ話が有る。ヨーロッパはまず書類選考があり、通った人のみオーケストラが招待状を出す方式だけど、アメリカは広くチャンスを与えるようになっているようだ。
- アメリカには〝League of American Orchestras〟という、労働組合と解釈して良い組織がある。ここは毎年全米のオーケストラの待遇一覧表を発行していて、最低賃金はもちろん、1週間のリハーサル数と本番数、年間の労働週、個人年金などの福利厚生はもとより、さらにはツアーに出た時は一人部屋かどうかなどまでオーケストラ毎に、こと細かく比較してある。文化芸術の創造活動に望ましい 雇用形態・労働環境とは何か。
- アメリカにはオーケストラという文化芸術の世界でも「成果主義」を導入しようという動きがある。2015年3月にCNNに発表された世界のオーケストラ・ランキングではニューヨーク・フィルハーモニックが一番だが、やはりビッグ6(ニューヨーク、フィラデルフィア、ボストン、クリーブランド、シカゴ、ロサンジェルス)とメトロポリタン歌劇場のオーケストラの賃金は高かった。ただ金額では若干ニューヨーク・フィルに劣るけれど、周りの物価が安いから全米一待遇の良いオーケストラはクリーブランド管弦楽団という説が有力。金管奏者に言わせると、全米のオーケストラでも随一の美味しいポジションはシカゴ交響楽団の第3トランペットだとか。というのも第3トランペットまで必要な曲は少ないから、ソロ活動をしていてもシカゴ響楽団員としての最低賃金は保証されている。
小澤らしさとは ― 〝メロディーとリズムの微妙なせめぎ合い〟は殆ど感じられない、工芸品の美しさ。
- 小澤征爾は2002年、ボストン交響楽団の音楽監督を離れた。就任から29年。アメリカのオーケストラの音楽監督として最も長い在籍期間だ。小澤は38歳の若さで1973年にボストン響の音楽監督に就任します。以来、その演奏は国際的なレーベル、ドイツ・グラモフォンから発売されるようになり、しかもこの国際的なレーベルから、その演奏が発売された日本人指揮者では小澤が初めてのことでした。大きなオーケストラに唯一人対峙する指揮者。欧米の名門オーケストラを若いうちから指揮する機会に恵まれたのは、小澤征爾が物珍しい東洋人であったからだろう。NHK交響楽団や日本フィルハーモニー交響楽団との事件は彼の指揮者として目指していくスタイルを確信させた。「世界のオザワ」がはじめて持った、「自分のオーケストラ」はトロント交響楽団で、1965年秋に音楽監督に就任した。欧米の名門オーケストラを若いうちから指揮する機会に恵まれたのは、小澤が物珍しい東洋人であったからだろう。遡ること、レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督と成っていた1960年。小澤はバーンスタインとパーティーで会うと、街に連れ出され、飲み明かした。明るくスマートでアクも少なく、リズムの扱いもていねいで好感が持てる。小澤には知らされていなかったが、この時点で彼をニューヨーク・フィルの副指揮者にすることが内定していた。このオーケストラは翌1961年4月下旬に日本公演を予定しており、話題作りとして日本人を起用してみようと考えたらしい。 欧米のクラシック音楽の中心にはドイツ音楽精神が根強い。小澤の得意のレパートリーは何か、何と言ってもフランス音楽、そしてこれに次ぐのがロシア音楽ということになるだろうか。それは近年の松本でのフェスティバルでもフランス音楽がプログラムの核であることでも貫かれている。ロシア音楽について言えば、チャイコフスキーの後期3大交響曲やバレエ音楽、プロコフィエフの交響曲やバレエ音楽、そしてストラヴィンスキーのバレエ音楽など、極めて水準の高い名演を成し遂げていることからしても、小澤がいかにロシア音楽を深く愛するとともに得意としているのかがわかるというものだ。小澤が着任した時のボストン響は、どちらかと言えばきれいで色彩豊かな音を出していた。かつての音楽監督シャルル・ミュンシュやよく客演していたピエール・モントゥーらフランス人指揮者の影響だろう。その代わり、ドイツ的な重みのある音楽はあまり得意じゃなかったように思う。しかし小澤自身はドイツ系の音楽もしっかりやりたい。例えばブラームス、ベートーヴェン、ブルックナー、マーラー。あるいはやはり重みが必要なチャイコフスキーやドヴォルザークもやりたかった。そこで重くて暗い音が出るように、弦楽器は弓に圧力をかけて芯まで鳴らす弾き方に変えた。だけど小澤が就任した時のコンサートマスターのジョセフ・シルヴァースタイン ― その後、彼は指揮者となり成功している。 ― はそういう音を嫌がり、途中で辞めてしまう。それでも辛抱強く時間をかけて、ボストン響はドイツの音楽もちゃんと鳴らせるようになった。それでいてベルリオーズの「幻想交響曲」といったフランス物も素晴らしい演奏ができる。フランスの洗練とドイツの重み、両面を持つ良いオーケストラになった。「メロディーとリズムの微妙なせめぎ合い」は殆ど感じられない、工芸品の美しさに人種の息吹を知るといったふうに小澤らしさとは、メロディーを奏するソロ奏者の手足を縛ったストイックさにこそあるといえる。1970年代に小澤がドイツ・グラモフォンに録音したベルリオーズの劇的音楽、ラヴェル、フォーレのフランス管弦楽曲、ロシア音楽のドビュッシー、プロコフィエフ、ストラヴィンスキーやレスピーギの20世紀の音楽作品は、アグレッシヴで瑞々しい感性を持ち合わせていた頃の小澤征爾の芸風を知るにも恰好の一枚です。
プロダクト・ディテール(オリジナル盤)
- オーケストラボストン交響楽団
- 指揮者小澤征爾
- 作曲家オットリーノ・レスピーギ
- 曲目リュートのための古風な舞曲とアリア
- 録音年月1975年10月(第3組曲), 1977年3月(第1組曲), 1978年4月(第2組曲)
- 録音場所ボストン、シンフォニーホール
- 録音レーベルDeutsche Grammophon
- レコード番号2530 891
- 録音種別STEREO
- 製盤国DE(ドイツ)盤
- レーベル世代ブルーラインレーベル
- 製盤年1979.
CDの購入はアマゾンからできます。
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