10月20日
音楽を評価するうえで忌まわしい言葉の一つが「素敵」であり、「大人のように自分の耳を使え」。
アメリカの作曲家、チャールズ・アイヴズが生まれた日(1874年)。イェール大学で作曲を学ぶも、保険会社に務めながら日曜作曲家として活動。その経歴はユニークで、本業は保険会社の副社長。作曲は「趣味」で続けていた。グスタフ・マーラーやアーノルト・シェーンベルクらは彼の音楽を支持していたものの、存命中に彼の作品はなかなか理解されることが少なかったが、晩年から死後、アメリカの芸術音楽のパイオニアとしての評価が高まっていった。今では交響曲など、ヨーロッパをはじめ広く世界で演奏される。作品は実験精神に富みながらも郷土色の豊かな旋律を併せ持つ。アイヴズの音楽は、それ自体がアメリカ音楽史である
ハロルド・チャールズ・ショーンバーグDE DGG 2530 787 - Seiji Ozawa, Boston Symphony Orchestra – Charles Ives - Symphony No.4 / Central Park in the Dark
〝日曜作曲家〟アイヴズが生まれた日
チャールズ・アイヴズというアメリカの、隠れた偉大な作曲家がいる。彼は大きな保険会社の副社長を務めながら、その余暇に実験的な音楽をひっそりと書いた〝日曜作曲家〟だった。自分の作品が演奏されることを好まず、保険会社を勇退してからは世捨て人のような生活を送ったため、その作品は長く世に出ることがなかった。彼が作曲家として世に出るきっかけになったのは、1947年にピュリッツァー賞を受けたことだった。
受賞の理由となったのは、1904年に書かれたまま楽譜が納屋で眠っていた3番目の交響曲の初演(1946年)だった。この交響曲は3楽章から成り、その第1楽章は「昔馴染みが集まる」と名付けられ、賛美歌風の美しい調べによって、遠くに過ぎ去った友人たちとの日々が回想される。辛辣な批評で知られたハロルド・チャールズ・ショーンバーグは、「アイヴズの音楽は、それ自体がアメリカ音楽史である」と記している。今日は名声を嫌ったアイヴズが生まれた日。
いっさいの迷うこと無く書きたいように作曲したのがチャールズ・アイヴズです。アイヴズは音楽で生計を立てる必要がないので、聴衆の受けも、出版社の意向も、演奏者たちの顔色も、自分の芸術的評価も、自分の生活のことも特に気にする必要がありませんでした。
不協和音のために飢えるのはまっぴらご免だ
チャールズ・アイヴズは1874年10月20日にコネティカット州ダンベリーに生まれ。1954年5月19日ニューヨークに没したアメリカの革新的作曲家です。南北戦争時に軍楽隊でバンドマスターを務めた父親に初期の音楽教育を受けている。後にイェール大学で作曲を学び、交響曲第1番を在学中に創作するも、卒業後に音楽関係に進むことをせず、〝自分の理想の音楽を追究したい〟、〝不協和音のために飢えるのはまっぴらご免だ〟と言ってニューヨーク州の保険会社に入社、単身者用マンションに他の男性数人と共に同居生活をおくる。1899年から代理店チャールズ・H・レイモンド (Charles H. Raymond & Co.) に勤めるが、1907年に同社が倒産。10月にアメリカ合衆国で発生した金融恐慌の煽りでした。友人のジュリアン・マイリック (Julian W. Myrick) とともに自らの保険会社アイヴズ・アンド・マイリック (Ives & Myrick) を設立し、1930年に引退するまで副社長を勤め上げました。
完全に自己完結した世界で何も気にせず自由に作曲
彼のすべての作品はそうした彼の多忙なビジネスライフの間に作曲されたものです。マーラーと同じ日曜作曲家。余暇の合間に「趣味」で作曲を続け、結婚するまで、地元ダンベリーやニューヘイブン、ニュージャージー州ブルームフィールド、ニューヨーク市で教会オルガニストを務めた。保険業において目覚しい成功を収める傍ら、交響曲、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲などおびただしい量の創作を続けた。
アイヴズは、シェーンベルクよりも早く無調音楽に足を踏み入れ、ポリリズム、多調、微分音をシェーンベルク、ストラヴィンスキーやバルトーク、ミヨー、ハーバに先んじて、実験的に早く取り入れました。
アメリカ初の前衛音楽の作曲家と言えますが、彼が残したほとんどの作品は長く忘れ去られ、ようやく、約半世紀の後にその真価が再発見されました。
音楽を評価するうえで忌まわしい言葉の一つが「素敵」 (nice) であり、自分の耳で聴き、自分の言葉で語れ。
不協和音を実験し、しだいに多用していくアイヴズの傾向が、当時の音楽界の権威に好ましくないと受け取られたのである。主要な管弦楽曲におけるリズムの複雑さは演奏に当たって困難をともない、そのため、作曲から何十年以上も経ってさえ、アイヴズの管弦楽曲を演奏しようとする意欲が殺がれてきた。「アイヴズ問題の核心」と呼んで、大指揮者レオポルド・ストコフスキーが取り組んだ「交響曲第4番」の全曲初演(1965)したときはあまりに複雑すぎて副指揮者が二人必要だった。全曲初演から10年後くらいに小澤征爾がこれを一人で完璧に振って録音してしまいます。超高度な指揮技術と完璧なソルフェージュ能力がないとできない。オーケストラの能力も10年でだいぶ変わっただろうが、そこはストコフスキーと彼のオーケストラです。ストコフスキーほどの〝アメリカ・ナンバーワン〟の指揮者が一人では触れない高度な作品といったセンセーションがあったほうが大衆に、アイヴズを印象付けることができたのです。
一方で、アイヴズを小澤征爾が振りやすかった要素もわかるのです、彼の作品は前衛的なものですが、その音楽はその前衛性に反するかのように、作品にはさまざまなアメリカの民俗音楽(讃美歌、愛国歌、民謡)の要素が含まれます。作風は少年期に親しんだ讃美歌、愛国歌、民謡などが基盤にあり、どこか懐かしく優しく、温かい独自のヒューマニズムに満ちています。
アイヴズの初期の支持者にヘンリー・カウエルやエリオット・カーター、グスタフ・マーラーなどがいる。また1940年代には、CBS交響楽団の首席指揮者バーナード・ハーマンがアイヴズ作品の普及にとり組み、この間にアイヴズ作品の擁護者となった。現在では、アイヴズ作品は、ヨーロッパでは定期的にプログラムに組まれている。
そして音楽業界のビジネス面でも、アイヴズの素人的ともいえる、職業的作曲家として経済的に全く成り立たない、こうした非常に大胆な態度は、アメリカの作曲界の革新性を一気に押し上げることに貢献している。
プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)
- レーベルDeutsche Grammophon
- 楽曲
- 交響曲第4番
- 宵闇のセントラルパーク
- レコード番号2530 787
- 作曲家チャールズ・アイヴズ
- 演奏者(Symphony No.4) Chorus – Tanglewood Festival Chorus, Piano [Solo] – Jerome Rosen.
- オーケストラボストン交響楽団
- 指揮者小澤征爾
- 録音年月日1976
- 録音チーム
- Engineer – Hans-Peter Schweigmann
- Producer – Thomas W. Mowrey
- Recording Supervisor – Thomas W. Mowrey (Symphony No.4), John McClure (Central Park in the Dark)
- 録音種別STEREO
- 製盤国DE(ドイツ)盤
- レーベル世代ブルーラインレーベル
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