DE EMI STA91299/91303 ルドルフ・ケンペ ジェス・トーマス エリーザベト・グリュンマー ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ワーグナー ローエングリン
- Record Karte
DE 金地に白ニッパー・レーベル, 解説書にトーマス&ルードヴィッヒのサイン入りです。若き日のトーマス&ルードヴィッヒはじめ、その頃のベストキャストで挑んだ名盤です! 優秀録音。ボックス入り。
- ルドルフ・ケンペ(指揮)
- ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
- ジェス・トーマス
- エリーザベト・グリュンマー
- ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
- クリスタ・ルートヴィヒ
- ゴットロープ・フリック
- オットー・ヴィーナー
- 1962年11月23〜30日、12月1〜5日、1963年4月1〜3日オーストリア、アン・デア・ウィーン劇場でのセッションステレオ録音。
オペラ入門の第一歩に ― 白鳥の騎士の物語にふさわしい高貴さと神秘性を兼ね備えた最高の名盤。
- ― 名匠ルドルフ・ケンぺの代表作と言っていい盤が、本盤であろう。ケンペはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団からシルクの様に繊細で美しく、且つ雄大で力強い音楽を引き出している。各声部の透明で豊かな響きと冴えたリズム感が際立った演奏だ。それは、まさに「ロマンティック・オペラ」の真髄を表しているといると思う。そして、歌手陣も豪華ラインナップであり、オペラ「ローエングリン」を代表する名演であり名盤である。ケンペはオーボエ奏者でもあったことから、内声部に沈みがちな木管楽器をセンシティヴに鳴らす独特のバランス感覚を持つ指揮者だった。ジェス・トーマスが歌うタイトルロールが、身分を証す「ローエングリンの名乗り」は気品高く聴いていて身震いする。それも歌の背景でのウィーン・フィルの繊細を極めた美しいサウンドが、その場に居合わせた民衆の心の震えを感じ取らせてくれる、手応えに満ちたドラマを描き出している。ケンペの特長は正統的、標準的な演奏で、しかもオーケストラは十分歌っている。ドイツ人らしく重厚で、しかも若々しい力もある。ただ聴衆をうならせる圧倒的な個性の迫力が乏しい。当時の日本でのレコード批評の関心事には向かなかったようだ。だが、歌劇場での活動に支えられた劇的表現といった積極的要素に富んでいて説得力の高いものです。ケンペは会った相手がイギリスの女王であっても、タクシーの運転手であっても、誰でも、その物腰の柔らかい丁寧な応対は変わらず、また若い音楽家に対しても常に真剣で優しかったために、ジェネレイション・ギャップなども感じさせなかったと言われている。そのような人柄であったため、晩年になって、ようやく花が咲いたのには、ある程度うなずけよう。エリーザベト・グリュンマー、クリスタ・ルードヴィッヒ、トーマス、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ、ゴットロープ・フリック、オットー・ヴィーナーといずれもこの役の理想的な歌唱であり、この録音以外にも何度か顔を見せているバイロイト音楽祭の常連たち。いずれもこれ以上の歌唱を想像することすら難しい。歌手の錚々たる顔触れ。コーラスもまことに充実した素晴らしい演奏で、その美しくて泣けてくるような場面が至るところにある。
作品の深い読みあっての堅固な構成感、また各声部の透明で豊かな響きは、もともとオーボエ奏者であった感性から来るものだ。ベルリン・フィルに潜在する伝統的音楽を引き出して、優れたバランス感覚と表現豊かにワーグナーを聴かせてくれる。
- ― 1972年11月29日、ドイツ正統派の守護神として黄金期を迎えつつあったケンペ&ミュンヘン・フィルはデュッセルドルフで障害者の福祉を目的とした慈善演奏会に出演しました。そしてこのコンサートの収益及び実況を収めたレコードの売上は、時の大統領夫人ヒルダ・ハイネマンの名を冠した基金に寄贈されることになっていたのです。大統領夫妻が臨席した当日のコンサートは、晴れやかな雰囲気の中、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』前奏曲により堂々と開始されます。ケンペの微妙にテンポを揺らした柔軟なアプローチとミュンヘン・フィルの明るく充実した響きが快適です。アメリカの会員制の通信販売会社(出版社)であったリーダーズ・ダイジェスト社は、ステレオ初期に自社企画のクラシックLPも取り扱っており、数々の名盤を世に送り出したのは有名な話。コンサート・ホール・レーベルと似ていますが、最も異なるのはその音質。クラシックのLPを、高いステイタスを持つアイテムとして捉え、サウンド・クオリティを重視したリーダーズ・ダイジェスト社は、その制作を高音質で知られた米RCAに依頼したのです。ケンペの評判と人気の程は、これらのエピソードからも伺える。
- ルドルフ・ケンペ(Rudolf Kempe)は1910年ドレスデン近郊ニーダーポイリッツに生まれ、1976年チューリヒで死去したドイツの指揮者。1949〜52年ドレスデン国立歌劇場の音楽総監督、1952〜54年バイエルン国立歌劇場の音楽総監督のほか、ウィーン国立歌劇場、ロイヤル・オペラ、メトロポリタン・オペラ、バイロイト音楽祭などの指揮台に数多く登場したほか、1961〜63年と1966〜75年にかけてロイヤル・フィルハーモニーの首席指揮者、1965〜72年にチューリヒ・トーンハレ管、1967〜76年にはミュンヘン・フィルハーモニーの首席指揮者を歴任しました。1955-56年に一時病気のため演奏活動を中断、病から復帰後、新たな意欲を燃やしてベルリン・フィルやウィーン・フィルを指揮してEMIへの録音を盛んにおこなうようになり、精力的で一気呵成なものから、巨匠的な雄大なアプローチまで、多彩なケンペの音楽をセッション録音することになります。
- ステレオ録音では、ベルリン・フィルとの有名な『英雄』や『幻想交響曲』『新世界より』『ドン・キホーテ』、などなど。 ケンペ独特の語りかけるようなフレージング、アーティキュレーションは、時として「あれっ?」と思うものの、それが人間味なのでしょう。その音楽の優しさ、潤いに感動。端正でオーソドックスなようでスケールが大きく大胆、心意気がオーケストラの楽員みんなのすみずみまで行きわたっているのが手に取るようにわかります。ケンペといえば、渋い、地味、本格派、といったイメージで見てきた。はたしてそれであっているかしら。
端正でオーソドックス。ケンペ自身の人柄の良さから来ている音楽の深みを感じる。人間味と録音の良さが評判となった。
- ラファエル・クーベリック、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ルドルフ・ケンペがヨハン・ゼバスティアン・バッハの「4台のピアノのための協奏曲」で共演するリハーサル映像は、片手に屈指したいほど良い。繰り返されるフレーズにメリハリを付けて退屈した音楽にならないように全体を見晴らすクーベリックに、サヴァリッシュは脇にいるコンサートマスターと何度もひそひそ話を繰り返していたが、4人のピアノの配分を変更することを提案する。それをクーベリックが同意すると、サヴァリッシュはケンペに丁寧に説明していた。ずっとケンペは周りに従うようで、30分のリハーサルは終わるのかと思ったら最後の最後、みんなに語りかけて「本番もこれで行こう」と場のムードが整う如くみんなが散開してリハーサルは終わった。普段ピアノを弾く姿を見ないであろう大指揮者たちの共演だから、握手ぐらいするかと思ったが個性が良く出ていると思った。表面から感じる印象はごく一部の彼しか捉えたとしか云えず、ケンペの持つ本質は、堅固な構成感、優れたバランス感覚、そして作品の深い読み、どれをとっても抜群で、しかも表現力豊かなのがわかる。また各声部の透明で豊かな響きは、もともとオーボエ奏者であった感性から来るものだ。ピアニストとしてモーツァルトの協奏曲のレコードがヒットしていたり、名歌手たちのピアノ伴奏を務めたリサイタル盤もある指揮者、元ヴァイオリニスト、ヴィオリスト出身の指揮者が居たくらいに、当時の演奏家の凄さを思い知らされるのは、1929年、ケンペはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のオーボエ奏者で、同時にブルーノ・ワルターが指揮者、シャルル・ミュンシュがコンサートマスター、フランツ・コンヴィチュニーが首席ヴィオラ奏者だった、今から思えば雰囲気はどうだったのだろうかと妄想広がるという事実からである。客演・録音したオーケストラは多数にわたり、初期のフィルハーモニア管弦楽団、その後のロイヤル・フィルハーモニーやBBC交響楽団、ロンドン交響楽団、さらにはベルリン・フィル、バンベルク交響楽団、バイエルン放送交響楽団、そしてシュトゥットガルト放送交響楽団、ミュンヘン・フィルと数えしれない。他にもウィーン・フィルやアムステルダム・コンセルトヘボウ交響楽団にも客演した。そしてなんといってもシュターカペレ・ドレスデンとは特に頻繁に客演、録音も多く残した。渋く派手さはないが醸し出す音楽は、十分に思考を重ねられたうえでの音の発露であり、聴けば聴くほど感銘に値する。あらゆる人から尊敬され愛された人であったらしく、さらなる音楽の深みはケンペ自身の人柄の良さから来ているのだろう。
- 閑話休題。映画「地獄の黙示録」ヘリコプターの戦闘シーンで効果的使われたことでシングルカットされるという偉業となった、「ワルキューレの騎行」がワーグナーと紐付けて認識されている一番でしょう。日本では毎日1,800組が結婚していますが全世界で毎日、ワーグナーの『結婚行進曲」が聴かれているのか計算出来ないでしょう。しかし、「第3幕への前奏曲」や「結婚行進曲」といった有名ナンバーがオペラ「ローエングリン」の音楽と知っているのはどのくらいでしょう。美しい音楽で飾られた荒唐無稽なドラマ展開。民衆の畏敬が伝わってくる、文句なしに美しい叙情劇の世界。神は登場しない。聖なるものの守護者であるだけの主人公。国民がいたいけな王女の生き死にを判断しなければならない。今にも殺されそうなのに他人事のような少女エルザ。救世主然として登場したものの、超能力を発揮するでなく印籠を出して人々を従わせる力も示さない。オペラが進展する先々で民衆は何をしたらいいのか不安を掻き立てられるばかりで、まるで人々を不幸にするためにやってきたように見えるローエングリン。魔法で白鳥に姿を変えられたゴットフリート王子は、最後に人間の姿で帰ってくるが一言も発しないし、当然アリアはないのでレコードだけだと存在はないようなものだ。ローエングリンのジェス・トーマスもエルザのエリーザベト・グリュンマーも立派な歌手です。しかし、ケンペ盤を聴く要所は、悪役夫婦が重要だ。まずクリスタ・ルートヴィッヒが素晴らしい。魔女の系譜となっているオルトルートは、ワーグナーのオペラの中で最高に希代の悪女。彼女にそそのかされて王座を手に入れるために、継承権を持つ王子、王女を葬ろうとするテルラムント伯フリードリッヒのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウが最高に素晴らしい。この歌唱には雄々しさも女々しさも全て入っていて、切れば血の吹き出る人間の歌という感じがする。
- 深読みするほどにフリードリッヒだけが唯一まともな人間のようだ。ここまで人間は卑屈になるのか。絶望の淵でプライドも全てなげうって、敵であるエルザに頭を垂れて頼み事をする場面、痙攣で顔の筋肉がぴくぴくと動くのを目の当たりにするような、凄まじい歌唱。一人の人間としての虚栄も含めた誇りと隠しようのない不安、畏れに身震いしそうになる。前後で歌われるローエングリンの歌よりももっと、はるかにかっこよく聴いていて痺れる思いがする。ここはワーグナーの書法も天才的な冴えを見せている。オペラ「ローエングリン」の幕開けから純白の無垢な王女エルザに同情が集中する。オルトルートは異教を奉じる魔女とありますが、それはキリスト教社会から見た話で北方の多神教信仰が北上してきたキリスト教に負けてしまった、その負い目と憎しみを強く秘めているのがオルトルートという存在なのです。暗い闇を描いた第2幕は、舞台神聖祝典劇「パルジファル」の2幕と同じく呪術的な世界なわけでありますが、そこでオルトルートは、最高神ウォータン(オーディン)と愛・魔法・死をつかさどる女神フライアの名を呼んで、復讐の祈りを捧げます。10世紀頃の中世アントワープが、この物語の時代ですが暗黒の中世といわれるくらいに異教徒は異端であったり、魔女狩りが行われたりとマイノリティとして片隅に追いやられてしまうので、そうした意味ではオルトルートも気の毒な存在だったわけです。オルトルートはエルザにローエングリンに対する疑念を植え付け、亭主も使ってその疑惑をさらにけしかけ巧みな心理戦に持ち込み、やがてこらえきれなくなったエルザは禁断の問い掛けを発してしまうので、オルトルートの勝利となるのが、このオペラのある意味での結末。ことの決着は禁じられたローエングリンの名前を執拗に問うて困り果てたローエングリンが素性を歌うと、その神々しさに心打たれてエルザはこと切れる。ローエングリンは立ち去る前に白鳥をゴットフリート王子に戻して国は安泰を得る。夢への憧れ。バイエルン国王ルートヴィヒ2世はローエングリンを契機にワーグナーに心酔し、国庫を空にしてしまうほどにワーグナー投資を行った。もうひとり、夢を現実化しようと妄想した男、ヒトラー。ヒトラーは若い頃から、ワーグナーに心酔し自身がドイツの白馬の騎士になることを夢見てしまった。でも、青春時代は絵画や文学もたしなみ、純真な芸術好きの青年だった。ゴットフリートは「ローエングリン」の台詞のなかで〝Führer〟(総統)と述べられていて誰しも、あのアドルフ・ヒットラーを思い浮かべることだと思うが、いずれにしても彼こそこのオペラの中の最大の貴種であり、そもそもこのオペラというのは如何なる苦難を経て〝Führer〟がドイツを統一したか、という物語なのである。
長く曲がりくねったワーグナーの無二の旅
- ワーグナーは1813年、ドイツのライプツィヒに生まれた。彼の父親は警官だったが、ワーグナーが生まれて半年後に死んでしまい、翌年母親が、俳優であったルートヴィヒ・ガイヤーと再婚した。ワーグナーは、特別楽器演奏に秀でていたわけではなかったが、少年時代は音楽理論を、トーマス教会のカントル(合唱長)から学んでいた。これが後の彼の作曲に大きな役割を果たすことになる。23歳の時には、マグデブルクで楽長となり、ミンナ・プラーナーという女優と結婚した。1839年ワーグナー夫妻はパリに移り、貧困生活を味わった後、彼のオペラ「リエンティ」の成功で、ザクセン宮廷の楽長となった。しかし幸せは長く続かず、ドレスデンで起こった革命に参加した罪で、彼は亡命を余儀なくされる。スイスに逃れた彼は、友人の助けで作曲を続け、1864年、やっとドイツに帰国することが出来た。とはいえ、仕事もなく、彼は借金まみれになってしまった。そのときバイエルンの国王で彼の熱烈な崇拝者だったルートヴィヒ2世が救いの手を差し伸べてくれた。彼らの友情は長続きしなかったが、その後ワーグナーはスイスに居を構え、1870年リストの娘であるコジマと再婚し(ミンナは少し前に死去)、バイロイト音楽祭を開くなど世界的な名声を得た。彼のオペラはそれまで付録のようについていた台詞を音楽と一体化させるという革命的なもので、多くの作曲家に影響を与えた。しかし、第2次大戦中ナチスによって彼の作品が使用されたため、戦中戦後は正当な評価を受けることが出来なかった。
- 乙女を危機から救い出す白馬にまたがった騎士ならぬ、白鳥の騎士。弟王子殺しの濡れ衣を被せられ刑場の露と消えるところだったエルザ姫を救いに現れた騎士は白鳥の引く船に乗っているコミカルな登場で、国を転覆させるために王子は魔法で白鳥の姿に変えられている。外題役が聖杯守護騎士の由来をもつパルジファルの息子、ローエングリンよりも上に置かれます。ハインリヒ王の出番は決して多くはありません。しかし、領主であるハインリヒ王の監督下におかれる神明裁判、その治世下であるということが「ローエングリン」の物語を読み取る上で重要です。もちろん、作曲者とそのパトロンであったルートヴィヒ2世の庇護を重ねてみることもできるかもしれません。その生活の困窮より救い出し、バイロイトの出現という国家を動かして、のちのナチスと不幸な歴史を辿ったことを思えば、その萌芽がすでに「ローエングリン」のもつロマンティックで深淵な音楽にあったかもしれません。王の道楽も「ローエングリン」に題材をとってますし王の助力なしに、バイロイトの成功はありえませんでした。白鳥と森、聖杯伝説が一緒になって、寝物語調。白鳥そのものはチャイコフスキーがバレエ「白鳥の湖」で描いたヨーロッパの伝説とも、その根源は共通するもの。この白鳥説話も歴史が古く、これがただの白鳥ではなく、人間に戻る、異類婚姻譚などにもつながっています。「ニーベルングの指環」の劇詩を贈られて感想を求められたショーペンハウアーが「彼は詩人ではあるが、音楽家ではない」と書いているが、一音楽家の創造物を超えて、世界音楽となっていく原動力。その劇中の音楽がすべて劇中の詩的表現や描写に供している。〝ドイツの芸術を称えよう〟のオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の世界観以上に、たとえばイタリアでも ― 数多いイタリア・オペラの恋愛劇でも同じシチュエーションはないと思えるありのままに婚姻における、男女が求める愛の行き違いとして楽しみやすいことも理由でしょうが ― 「ローエングリン」だけは採り上げられる。結婚初夜にして別れが待っているというのに「結婚行進曲」はおごそかに響き、プラシド・ドミンゴも声を荒らしつつも外題役に取り組むほどです。喜劇王チャーリー・チャップリンの映画『独裁者』では、そのファシズムが危険な方向に向かうのが揶揄されるのに「ローエングリン」の音楽が姿を替え登場し、最後の大演説では前奏曲が浄化するように響きます。
プロダクト・ディテール(オリジナル盤)
- レーベルEMI
- レコード番号STA91299/91303
- 作曲家リヒャルト・ワーグナー
- 楽曲
- ジェス・トーマス
- エリーザベト・グリュンマー
- ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
- クリスタ・ルートヴィヒ
- ゴットロープ・フリック
- オットー・ヴィーナー
- オーケストラウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
- 指揮者ルドルフ・ケンペ
- 録音年月日1962年11月23〜30日、12月1〜5日、1963年4月1〜3日
- 録音場所オーストリア、アン・デア・ウィーン劇場
- 録音種別STEREO
- 製盤国DE(ドイツ)盤
- レーベル世代金地に白ニッパーレーベル
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