10月18日
フランスの作曲家、シャルル・グノーが没した日(1893年)。ゲーテの戯曲を元にしたオペラ《ファウスト》や、歌曲《アヴェ・マリア》でも知られる。グノーがオルガニストを務めていたサン・トゥスタッシュ教会には、画家のピエール=オーギュスト・ルノワールも所属していた。グノーはルノワールの歌手としての才能を見出し、両親にルノワールをオペラ座の合唱団に入れることを提案したが、断られたという逸話も残っている。
GB DECCA LXT5657 CHRISTMAS WITH LEONTYNE PRICE
数ある聖歌集の中で屈指の名盤。
― 英デッカの高音質録音も大きな魅力・屈指のオーディオファイル盤。クリスマス・アルバムの定番として古くから親しまれ、その清澄な美しさは今も色あせない。
1960年代に圧倒的な声の威力で絶大な人気を誇ったレオンティン・プライスが、ヘルベルト・フォン・カラヤンと共演した聖歌集。プライスの清らかで澄み切った歌声が聴かれ、数あるクリスマス曲集のなかでも英国人好みの有名曲を集めて最高の名盤として名高いものです。
曲の配列にはカラヤンの意志も感じられる組曲のようにメドレーするアレンジのアイデアも良く、クリスマス・ショーの雰囲気のある録音も良く。カラヤンによるキャスティングのセンスの良さを感じさせられる。これは数多あるクリスマス企画盤の中でも、カラヤンのクリスマス・ショーのようなレコード。
リリコ・スピントのプライスがクリスマスの名曲を歌うのは、少し重いものになりそうなものだが。それが、カラヤンとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバー、ウィーン楽友協会合唱団の完璧な伴奏にのって、若き日のプライスが清らかな声がブレンドして、聴きごたえがある。一般的な日本人が求めるバラエティーなショーではなく、じっくり一曲一曲をコンサート会場か教会で聴くような制作方針であったと思われる。
「おさなごイエス」は無伴奏で歌い、そこから「アヴェ・マリア」「オ・ホーリー・ナイト」と続く流れの、聴いていて震えが来るほどの美しさは、空前絶後。カラヤンの盤歴のなかでも、最高傑作の一つではないだろうか。
「おさなごイエス」は無伴奏で歌い、そこから「アヴェ・マリア」「オ・ホーリー・ナイト」と続く流れの、聴いていて震えが来るほどの美しさは、空前絶後。カラヤンの盤歴のなかでも、最高傑作の一つではないだろうか。
英デッカによる鮮明な高音質録音も、本盤が特別な魅力を保ち続けている大きな理由の一つ。プロデュースと録音は、ゲオルグ・ショルティのワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》製作者のジョン・カルーショー、ゴードン・パリー、そしてセッションは音響抜群のムジークフェラインザール。他の同様の企画盤をまるで寄せ付けず、長らくファンに愛され続けてきました。ジャケットには録音風景の写真がいろいろ使用されていて、この当時にミュージックビデオがあったら、きっと映像付きで発売されていたでしょう。
第二次世界大戦は日本軍の無条件降伏、ポツダム宣言で集結したが終わっていない戦いもあった。戦後、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの勢力下、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で演奏することさえ制限されたカラヤン。
そこへ救いの手を差し出したのが英EMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグだった。カラヤンのレコーディング専用オーケストラ、フィルハーモニア管弦楽団でたくさんのレコードを発売。劇場での指揮は出来ずとも、レコードでカラヤンの名前は全世界に知られるようになる。
そこへ救いの手を差し出したのが英EMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグだった。カラヤンのレコーディング専用オーケストラ、フィルハーモニア管弦楽団でたくさんのレコードを発売。劇場での指揮は出来ずとも、レコードでカラヤンの名前は全世界に知られるようになる。
ただカラヤンの悪い虫が騒いだというのか、オーディオへの関心を深めることになった。そして彼はステレオ録音を希望したが、折り悪くイギリスEMIの経営首脳陣はステレオ録音に懐疑的だった。不満を払拭できないままカラヤンはEMIとの契約更新を曖昧に引き伸ばしていた。そうこうしていると、フルトヴェングラーが急死。カラヤンはウィーン・フィルに復帰できた。以来、名門ウィーン・フィルとも生涯深い関係を築く事になったが、ところがウィーン・フィルは英デッカと専属関係にあったので、カラヤン指揮ではレコードを作れない。そこに接近してきたイギリス・デッカ社では、1959年にEMIと契約の切れたカラヤンと契約。そのことでカラヤンは、この愛すべきオーケストラとの録音をドイツ・グラモフォンではなく、英デッカと行いました。
その録音セッショッンの合い間にカルーショーは有名管弦楽曲の録音。何れも全体に覇気が漲っていて、弦も管も美しく技巧的にも完成度は高い名盤を量産。斯くて、1965年まで英デッカ&カルーショーが後世に伝えるに相応しいカラヤン&ウィーン・フィルの名盤をこの6年間で製作することになる。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバー、ウィーン楽友協会合唱団。1961年6月、プロデュースと録音はショルティの《ニーベルングの指環》製作者のジョン・カルーショー、ゴードン・パリー、そしてセッションは音響抜群のゾフィエンザール。
1961年、ウィーン・ゾフィエンザールでの優秀録音。(1A/1A)
カラヤンの多くのLP中でも、非常に珍しいアルバムです!
戦争兵器の技術がもたらした音楽の快楽。
― 世界大戦への気配の最中、潜水艦ソナーのために開発された〝Hi-Fiサウンド〟はレコード・マニアに大いに喜ばれ「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
ステレオ録音黎明期1958年から、FFSS(Full Frequency Stereophonic Sound)と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国DECCAレーベル。第2次世界大戦勃発直後の1941年頃に潜水艦ソナー開発の一翼を担い、その際に、潜水艦の音を聞き分ける目的として開発された技術が、当時としては画期的な高音質録音方式として貢献して、レコード好きを増やした。
英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。1945年には高域周波数特性を12KHzまで伸ばしたffrr仕様のSPレコード盤を発売し、1950年6月には、ffrr仕様の初のLPレコード盤を発売する。
特にLPレコード時代には、この仕様のLPレコードの音質の素晴らしさは他のLPレコードと比べて群を抜く程素晴らしく、その高音質の素晴らしさはあっという間に、当時のハイファイ・マニアやレコード・マニアに大いに喜ばれ、「英デッカ=ロンドンのffrrレコードは音がいい」と定着させた。
日本では、1954年1月にキングレコードから初めて、ffrr仕様のLPレコード盤が発売された。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLPレコード3枚分の録音が同月28日まで続いた。
繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。
1958年にヨーロッパや米RIAAのステレオ・レコードの規格として45/45方式を採用したのを期に、DECCAは自社で開発したV/L方式を断念し、ステレオ・レコードの標準規格となった45/45方式による同社初のステレオ・レコードを7月には、発売。
その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてFFSSが使われた。ffrr技術を受け継いだffss(Full Frequency Stereophonic Sound, 全周波数立体音響)を発表。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売。そのハイファイ録音にステレオ感が加わり、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。Hi-Fiレコードの名盤が多い。
録音自体は早く1955年7月、世界初のステレオによるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」全4部作を録音を皮切りに、米RCAビクターへの録音をステレオで開始してLiving Stereoシリーズは大成功する。
レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。
英DECCAは、1941年頃に開発した高音質録音ffrrの技術を用いて、1945年には高音質SPレコードを、1949年には高音質LPレコードを発表した。1945年には高域周波数特性を12KHzまで伸ばしたffrr仕様のSPレコード盤を発売し、1950年6月には、ffrr仕様の初のLPレコード盤を発売する。
特にLPレコード時代には、この仕様のLPレコードの音質の素晴らしさは他のLPレコードと比べて群を抜く程素晴らしく、その高音質の素晴らしさはあっという間に、当時のハイファイ・マニアやレコード・マニアに大いに喜ばれ、「英デッカ=ロンドンのffrrレコードは音がいい」と定着させた。
日本では、1954年1月にキングレコードから初めて、ffrr仕様のLPレコード盤が発売された。その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英DECCAはLP・EPにて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でもLPレコード3枚分の録音が同月28日まで続いた。
繰り返し再生をしてもノイズのないレコードはステレオへ。
1958年にヨーロッパや米RIAAのステレオ・レコードの規格として45/45方式を採用したのを期に、DECCAは自社で開発したV/L方式を断念し、ステレオ・レコードの標準規格となった45/45方式による同社初のステレオ・レコードを7月には、発売。
その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとしてFFSSが使われた。ffrr技術を受け継いだffss(Full Frequency Stereophonic Sound, 全周波数立体音響)を発表。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売。そのハイファイ録音にステレオ感が加わり、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。Hi-Fiレコードの名盤が多い。
録音自体は早く1955年7月、世界初のステレオによるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」全4部作を録音を皮切りに、米RCAビクターへの録音をステレオで開始してLiving Stereoシリーズは大成功する。
レコードのステレオ録音は、英国DECCAが先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。この技術は1968年ノイマンSX-68を導入するまで続けられた。
プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)
- レーベルDECCA
- 楽曲
- きよしこの夜(グルーバー、メイヤー編)
- 天には栄え(メンデルスゾーン、メイヤー編)
- われらは3人の王(ホプキンス/メイヤー編)
- あら野の果てに(民謡/メイヤー編)
- もみの木(民謡/メイヤー編)
- ともに喜びすごせ(民謡/メイヤー編)
- あめなる神には(ウィリス/メイヤー編)
- 高き天から(バッハ/メイヤー編)
- おさなごイエス(民謡/マックギムゼイ編)
- アヴェ・マリア(シューベルト/サバティーニ編)
- オ・ホーリー・ナイト(アダン/トットザウアー編)
- アヴェ・マリア(バッハ、グノー/サバティーニ編)
- アレルヤ K.165(モーツァルト)
- レコード番号LXT5657
- 演奏者
- レオンティーン・プライス(ソプラノ)
- ウィーン楽友協会合唱団
- オーケストラウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
- 指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン
- 録音種別MONO
- 製盤国GB(イギリス)盤
- レーベル世代オレンジ地に銀文字レーベル
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