11月2日
イタリア人指揮者、ジュゼッペ・シノーポリが生まれた日(1946年)。音楽院で作曲を学んだが、他にも脳神経外科、精神分析、哲学、考古学を修め、こうした学問的視座を持って音楽の作品分析を行なっていた。2001年、ベルリン・ドイツ・オペラでヴェルディのオペラ《アイーダ》を指揮の最中に心筋梗塞に見舞われ、オーケストラピットで最期を迎えた。
NL PHILIPS 411 469-1 ジュゼッペ・シノーポリ ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ヴェルディ オペラ序曲、前奏曲集
- Record Karte
NL シルバーレーベル, 1983年の優秀録音です。
- ジュゼッペ・シノーポリ(指揮)
- ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
- 録音は1983年12月19-22日ウィーン、ムジークフェラインザールでのデジタル・セッション。
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指揮台で本番中に逝った指揮者はフェーリクス・モットル、ヨーゼフ・カイルベルト、そして、ジュゼッペ・シノーポリ。
死の到来を予感して指揮した悲劇の前奏曲!
- 洋の東西を問わず、俳優は「舞台で死ねたら本望」と言う。舞台に賭けた人生の最期を、演技をしながら終えたいという心意気を示しているわけだが、そんなドラマティックなことはそうは起こらない。しかし、指揮台上で亡くなったマエストロがいる。ジュゼッペ・シノーポリというイタリア出身の指揮者だ。名指揮者と称賛されるようになって円熟期を迎えていた2001年、ベルリン・ドイツ・オペラでヴェルディの人気オペラ《アイーダ》を指揮中に心筋梗塞に襲われ、そのまま亡くなった。54歳。
- ― 2001年4月20日、ジュゼッペ・シノーポリはベルリン・ドイツ・オペラにおいてヴェルディの歌劇「アイーダ」を指揮中、アイーダがラムセスに「逃げよ!」と叫んだまさにその瞬間に指揮台に崩れ落ち、そのまま不帰の客となりました。
- 奇しくもその公演は、シノーポリの論敵 ― シノーポリの音楽については毀誉褒貶が激しいものがありました ― であった同劇場総監督ゲッツ・フリードリヒの追悼公演であり、シノーポリは当日のプログラムに寄稿文を寄せて、フリードリヒとの和解、そして指揮台に立った経緯を記した後に、フリードリヒの亡霊が、彼を指揮台に導き、ソフォクレスの「コロノスのオイディプス」からの引用文を曳いて、フリードリヒの功績を讃えていました。しかし、逃れ難い運命の導きによって、それは彼自身への追悼文となってしまったのでした。
- 壮麗壮大な「凱旋の場」があまりに有名だが、悲劇のヒロイン、アイーダを表す繊細で高雅な旋律と、エジプトの祭司たちを表す重々しい旋律を主にした《前奏曲》の音楽は、荘厳なエレジーのように聴こえる。幕があがる前の音楽を指揮している時、精神医学も修めたシノーポリは、間もなく来る死を予感していたであろうか。
Giuseppe Verdi
ヴェルディの活動はイタリア・オペラに変革をもたらし、現代に至る最も重要な人物と評される。
- (1813.10.10 〜 1901.1.27、イタリア)
- イタリア歌劇最大の作曲家。パルマ地方のロンコーレという寒村の小さな宿屋の息子として生まれ、15歳で作曲をはじめ、18歳のときすすめられてミラノ音楽学校の給費生を受験したが、年齢が多すぎたため落第し、スカラ座のチェンバリストのラヴィナから作曲とピアノそれにソルフェージュを学んだ。26歳のときスカラ座で上演された最初の歌劇「オベルト」を皮切りに25曲の歌劇を書いた。最初はなかなか認められず、彼の名声が確立したのは、33歳に書いた「リゴレット」、40歳の「トロヴァトーレ」と「椿姫」などが相次いで発表されてからである。
- 彼は大器晩成型で、それからさらに49歳で「運命の力」、54歳で「ドン・カルロ」、58歳で「アイーダ」、73歳で「オテロ」そしてなんと79歳で「ファルスタッフ」を完成している。
イタリア統一運動への影響
- ジュゼッペ・ヴェルディの幼少時代は、多くの謎に包まれている。その大きな理由の1つに、彼の故郷であるロンコレ村はとても小さな村で、偉人の誕生の理由のために多くの逸話や証言が作られたことから事実の証拠が曖昧だからである。ともあれ、彼の生家は貧しい宿屋をしていたが、村の名士から援助を受け、そのおかげで彼は音楽の勉強をすることができたと言われている。
- ヴェルディは当時、最先端の考えを持っていたわけでも、特別奇人だったわけでもなく、古くからの伝統的な、家、家族、名誉、国といったものを大切にしていた。そのため、彼の音楽は当時、政治的に苦しい立場であったイタリア人に、愛国心を抱かせるものであったと言われている。ヴェルディを語るとき、一般的に彼が無教養な音楽家であったと言われる。例えば、三拍子は決まりきった形で、ロッシーニには行進曲風な強調を馬鹿にされもした。彼はフーガなどの対位法などはマスターしていたが、後に「オーオケストレーションは誰も私に教えてくれませんでした」と述べているように、技術は無かった。しかし、後にはマーラーなども彼のオーケストレーションから学ぶことになるレベルまで自分の力だけで身に着けていったのである。そして、彼のオペラは世界中に伝わり、19世紀末にはブラジルでも演奏されていたほど有名になったのである。
- 後年、ヴェルディは「国民の父」と呼ばれた。しかしこれは、彼のオペラが国威を発揚させたためではなく、キリスト教の倫理や理性では御せないイタリア人の情を表現したためと解釈される。歌劇『ナブッコ』第3幕のコーラス曲「行け、我が想いよ( Va, pensiero )」は第2のイタリア国歌とまで言われるが、ヘブライ人奴隷が同胞の救いを神に感謝し歌う「賛美歌( Immenso Jehova )」に感銘した観客は追放される奴隷の悲嘆に触れて国家主義的熱狂にかられ、アンコールを求めたのが「行け、我が想いよ」であった。当時の政府から厳しく禁止されていたアンコールを求めた行動は非常に意味深いものへ進展する。その頃は、ピウス9世が政治犯釈放の恩赦を下したことから、1846年夏に始まった「ヴェルディの音楽が、イタリアの国家主義的な政治活動と連動したと確認される事象」の拡大期にあったことは偶然とはいえないが、ヴェルディの歌劇がイタリア人に新しい観点をもたせたことは確かだ。
ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ、略歴
- 1813年イタリアにて生まれる
- 1823年オルガニストに就任
- 1825年バレッツィの支援で音楽レッスンを受ける
- 1832年ミラノ音楽院に落ち、ラヴィーニャから個人的に学ぶ
- 1836年音楽教師になる、マルゲリータと結婚
- 1839年ミラノへ旅立つ
プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)
- レーベルPHILIPS
- レコード番号411 469-1
- 作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ
- 楽曲
- Side-A
- 運命の力
- アイーダ
- アッティラ
- ルイザ・ミラー
- 椿姫
- Side-B
- 椿姫
- 仮面舞踏会
- ナブッコ
- シチリア島の夕べの祈り
- Side-A
- オーケストラウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
- 指揮者ジュゼッペ・シノーポリ
- 録音年月日1983年12月19-22日
- 録音場所ウィーン、ムジークフェラインザール
- 録音種別STEREO DIGITAL
- 製盤国NL(オランダ)盤
- 製盤年1984
- レーベル世代シルバーレーベル
ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)
- 商品番号372827
- 盤コンディション良好です(MINT~NEAR MINT)
- ジャケットコンディション良好です
- 価格6,600円(税込)
- 商品リンクhttps://www.lpshop-b-platte.com/SHOP/372827.html
- ショップ名輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ
- ショップ所在地〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室
- ショップアナウンスべーレンプラッテからお客様へ
当店のレコードは、店主金子やスタッフたちが、おもにヨーロッパに直接出向き、実際の目と耳で厳選した、コンディション優秀な名盤ばかりです。国内で入手したものや、オークション品、委託商品はございませんので、安心してお求めになれます。
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