351664
  • Record Karte
    • チェザーレ・シエピ(ドン・ジョヴァンニ)、ビルギット・ニルソン(ドンナ・アンナ)、レオンタイン・プライス(ドンナ・エルヴィラ)、チェザーレ・ヴァレッティ(ドン・オッターヴィオ)、フェルナンド・コレナ(レポレロ)、ハインツ・ブランケンブルク(マゼット)、ユージニア・ラッティ(ツェルリーナ)、アーノルド・ファン・ミル(騎士長)
    • エーリヒ・ラインスドルフ(指揮)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団
    • 1959年6月11〜24日ウィーン、ゾフィエンザール録音。4枚組。
2025年4月はベーレンプラッテ(Bärenplatte)で取り扱いのあるオリジナル盤から選んで100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコードを紹介します。
〝リーダーの形が変わってきている〟〜ノイエ・ザハリッヒカイトの旗手による整然たるモーツァルト。 ― 世界で初めて楽譜の指示通りに全楽章のリピートを実施した「ジュピター」に代表される、史上初のモーツァルトの交響曲全曲録音を成し遂げたエーリヒ・ラインスドルフ。彼はアメリカでボストン交響楽団との活躍が長かったせいかアメリカの指揮者のようなイメージがあるが、実はウィーンの生まれで、モーツァルトをはじめとするウィーン古典派は最も得意とするレパートリーだった。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とは名歌手を率いてオペラ「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロの結婚」の名盤を残しているし、ラインスドルフのオーケストラ・ビルダーとしての巧みな手腕が100%発揮された切れ味鋭い名演。この《ドン・ジョヴァンニ》全曲はボストンに行く前にオペラ制作の職人芸の意気込みを見せつけたラインスドルフの代表作。丁寧で堅牢なカッチリした枠組みの、テクスチュアの見通しのいい、それでいて人肌の温もりを感じさせるような、腰の落ち着いた安定感のある演奏です。英デッカのジェームス・ブラウンをエンジニアに据えたり、プロデューサーに一連のイシュトヴァーン・ケルテスのウィーンもの録音を担当したレイ・ミンシャルを採用、音響効果の素晴らしいウィーンのゾフィエンザールでの録音セッション等々英デッカと米RCAの偉大な融合と呼べるべき成果。アクを感じさせない凛々しいモーツァルトを、精緻でかつ鮮やかに彫琢してみせたものでした。閑話休題。2016年4月の熊本地震で被災して修復工事が進む熊本城・大天守の外観工事が終わり、地震から3年半ぶりに〝日本三名城〟といわれる勇壮な姿が甦った。地震後は石垣が崩れるなどして城内に立ち入れなかったが、令和元年10月5日には天守閣の前まで近寄れる特別公開ルートで城内見学が部分開業された。熊本城の石垣はそのほとんどを加藤清正が造ったものです。清正は日本一の石垣名人と言われているほど、石垣造りの実力が高く、清正は名古屋城天守台石垣を、二代目の忠広の時代には江戸城・大坂城の天守台の石垣を造っています。熊本城は、いわば日本一高い技術で造られた石垣を直接見られる貴重な場所だともいえます。加えて、熊本城が400年以上の風雪や自然災害に耐えてきたのは、清正の優れた築城技術だけが理由ではない。飯田丸五階櫓は江戸時代より存在していたが、明治初期の西南戦争の折に旧日本陸軍により撤去され、砲台が置かれていた。そのため、復元されたのは平成17年とつい最近のことである。不幸なことにそれから10年も経たないうちに震災の被害を受けてしまったのだ。石垣の大部分が崩落したが、奇跡的に角の石垣は崩れなかったため建物自体は崩壊を免れた。この石垣は「奇跡の1本石垣」と呼ばれている。天守閣は、明治10年の西南戦争の直前に、大小の天守両方が焼失したが、1960年に熊本国体を契機として一般市民の寄付金により鉄骨鉄筋コンクリート造で外観が復元され、復元建造物となった。大天守の瓦はかなりの部分が剥がれ落ち、落城の様相だ。空撮された天守閣の写真を見て、鯱がないと判った時の熊本市民の動揺は大きかった。熊本地震で落下し破損した熊本城天守閣の鯱は、ひび割れが発見されていたこともあって、2007年の築城400年に合わせて宇城市の鬼瓦職人、藤本勝巳さん(故人)が製作したものでした。地震の揺れからのみでなく、落下する瓦によっても土台の石垣は崩落している。さて、熊本城の石垣は1889年(明治22年)の明治熊本地震でも崩れている。89年地震は7月28日に発生し、震源は熊本市西部の金峰山付近で、推定マグニチュードは6.3。この地震による石垣の被害・修復箇所と、3年半前の熊本地震の被害箇所が約8割重複していることが分かっている。熊本市の熊本城調査研究センターが宮内庁に保管されていた旧陸軍による「震災ニ関スル諸報告」を分析して判明した。
熊本城の石垣は1889年(明治22年)の明治熊本地震(マグニチュード6.3と推定)でも崩れている。城内に駐屯していた陸軍第六師団が被害状況をまとめた『震災ニ関スル諸報告』によると、この地震では城全体の約1割にあたる8900平方メートルの石垣に被害が出た。 ― 地震から3日後の7月31日に第六師団監督部長から陸軍大臣に提出された「震災損害届」によると、石垣の大規模な破損は激烈な震動であったこともあるが、明治10年(1877年)の西南戦争で天守や御殿が火災となり石材が焼けて石質が脆くなっていたこと、さらに6月からの長雨で雨水が土中に浸み込んで地盤が緩んでいたことが崩壊の原因と結論しています。火災で脆弱となった石材は現在でも天守周辺の各所で確認できます。本来角ばっていた石材の周縁がタマネギの皮を剥ぐように落下して丸く変形していて、こうした石材は今回の平成28年(2016年)地震でも震動によって擦れ合ってパリパリと簡単に剥離して落下しています。地震後の第六師団の対応をみると、崩壊の可能性がある危険な石垣は押し崩すなどして対応していましたが、9月ごろには多額の修理費にもかかわらず従来通りの城に修復するための復旧に着手します。10月には城内の石垣修築の請負募集がありましたが、業者間では「従来の石材をそのまま用いて修理せよ」という条件であるが、(熊本城の石材は)大石で普通の作業員ではとても不可能だという噂が立っています。当時の石垣は技術的には江戸時代の石垣技術の延長にありましたが、清正による築城期の石垣(自然石を粗割りした不揃いの大きな石材を使用)とは大きく異なり、「間知石」と呼ばれる立方体や四角錘状に加工した規格材を積み上げる技術に変貌していました。こうした石材は小型化が図られていて重量も軽いので扱いやすく、形状が単一であるため熟練度が高くなくても手早く積めるという利点がありました。明治となり陸軍が駐留することになった熊本城では古い石垣も大事にされましたが、駐屯地に必要な新規の石垣工事も行なわれています。その好例となるのは明治8年頃に陸軍病院の玄関前(現熊本医療センター駐車場南斜面)に構築されている高さ12m天端長16m根元長26mの石垣です。この石垣は前述の間知石を使ったもので、反りを持たせた石垣となっていて、明らかに清正時代の石垣をモデルに再現したものです。熊本鎮台の熊本城に対する熱い思い入れをうかがわせます。地震で崩壊した石垣の修理はこの明治時代の石積み技術が用いられています。清正時代の石垣とははっきりと区別できるので、明治の崩壊箇所の8割が今回の地震の崩壊箇所と重複することが判っています。小天守穴蔵、数寄屋丸御門、奉行丸南東隅、櫨方北側などの石垣では、元の高さに戻さずに高さを少し省略し、南大手門の東側櫓台のように通行の利便を考慮して根元から石垣を撤廃した事例もあります。それでも6年後には復旧を完了したとみられ、実績を示す写真も7枚ほど残されています。この時の第六師団の頑張りがなければ、特別史跡となる現在の熊本城跡は存在しなかったでしょう。 ― 熊本城 復興に向けて<8>明治22年「金峰山地震」からの復旧(市政だより2017年12月号掲載)
明治22年の明治熊本地震では、市内を震度6程度の揺れが襲った。熊本城は明治初期から陸軍の駐屯地でした。軍事機密などの理由から、新聞記事や行政資料には、詳細な状況が記録されていなかった。明治時代に起きた地震による熊本城の被害をまとめた記録資料は、当時駐屯していた陸軍第6師団が作成したもので、宮内公文書館で保存されていた。熊本市が確認した記録によると、石垣や塀、櫓など具体的な被害箇所や面積が詳細に記されていた。この陸軍による修理箇所は、熊本城の石垣全体の7~8%という、大きな割合を占めています。石垣や塀といった69カ所が崩れ、被害面積は約1万平方メートルに上る。現存しない石垣2カ所の記録もあり、地震後に撤去された可能性がある。被害の出た69カ所のうち53カ所は、平成28年の熊本地震でも崩落などが起きたという。地元では「加藤清正公の技術は明治の技術をも上回っていた」といわれた。しかし、2016年4月14日の前震で被害があった石垣は6面だけだったのは、明治の修復がしっかりしていたからかも知れない。

録音史に残る名録音 ― LIVING STEREO
フリッツ・ライナー=シカゴ交響楽団のRCAレーベルへの録音は、1954年3月6日、シカゴ響の本拠地オーケストラ・ホールにおけるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」のセッションで始まりました。この録音は、その2日後に録音された同じリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と並び、オーケストラ・ホールのステージ上に設置された、わずか2本のマイクロフォンで収録された2トラック録音にも関わらず、オーケストラ配置の定位感が鮮明に捉えられており、録音史に残る名録音とされています。ステレオ初期のカタログではセミ・プロ仕様の2トラック、19センチのオープンリール・テープは数が限られていましたが、その中でもミュンシュ=ボストン交響楽団のRCAレーベルへの録音は比較的多く存在していました。これ以後、1963年4月22日に収録された、ヴァン・クライバーンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番まで、約10年の間に、モーツァルトからリーバーマンにいたる幅広いレパートリーが、ほとんどの場合開発されたばかりのこのステレオ録音技術によって収録されました。ヤッシャ・ハイフェッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン、エミール・ギレリス、バイロン・ジャニスなど、綺羅星の如きソリストたちとの共演になる協奏曲も残されています。何れもちょうど円熟期を迎えていたライナー芸術の真骨頂を示すもので、細部まで鋭い目配りが行き届いた音楽的に純度の高い表現と引き締まった響きは今でも全く鮮度を失っていません。これらの録音「リビング・ステレオ」としてリリースされ、オーケストラの骨太な響きや繊細さ、各パートのバランス、ホールの空間性、響きの純度や透明感が信じがたい精度で達成された名録音の宝庫となっています。

プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)

  1. 演奏者
    • チェザーレ・シエピ
    • ビルギット・ニルソン
    • レオンタイン・プライス
    • チェザーレ・ヴァレッティ
    • フェルナンド・コレナ
    • ハインツ・ブランケンブルク
    • ユージニア・ラッティ
    • アーノルド・ファン・ミル
    • ウィーン国立歌劇場合唱団
  • オーケストラ
    ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  • 指揮者
    エーリヒ・ラインスドルフ
  • 作曲家
    ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
  • 曲目
    歌劇「ドン・ジョヴァンニ」
  • レーベル
    DECCA
  • レコード番号
    6.35352
  • 録音年月日
    1959年6月11-23日
  • 録音チーム
    • RCA側プロデューサー: レイ・ミンシャル、エンジニア: ゴードン・パリー
    • DECCA側プロデューサー: エリック・スミス、エンジニア: ジェームス・ブラウン
  • 録音場所
    ウィーン、ゾフィエンザール
  • 録音種別
    STEREO
  • 製盤国
    DE(ドイツ)盤
  • レーベル世代
    Blue Decca Label
  • ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)

    1. 商品番号
      351664
    2. 価格
      22,000円(税込)
    3. 商品リンク
      https://www.lpshop-b-platte.com/SHOP/351664.html
    4. ショップ名
      輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ
    5. ショップ所在地
      〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室
    6. ショップアナウンス
      べーレンプラッテからお客様へ
      当店のレコードは、店主金子やスタッフたちが、おもにヨーロッパに直接出向き、実際の目と耳で厳選した、コンディション優秀な名盤ばかりです。国内で入手したものや、オークション品、委託商品はございませんので、安心してお求めになれます。

    CDはアマゾンで購入できます。
    Mozart;Don Giovanni
    Leinsdorf
    Decca
    2001-02-13


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