10月26日
バロック時代の作曲家、ドメニコ・スカルラッティが生まれた日(1685年)。バッハやヘンデルも同年に誕生している。創作についてはオペラや、また総数がおよそ555曲とも言われる、チェンバロ・ソナタを作曲したことで知られる。
〝近代クラヴィア奏法の父〟
ナポリ楽派の創始者である父アレッサンドロ・スカルラッティとともに、音楽史上に不滅の名をとどめているが、父アレッサンドロが主に歌劇、室内カンタータの分野において重要な業績を残しているのに対し、ドメニコは600曲にのぼるといわれるクラヴィアのための作品を作曲し、様式的にも、また演奏技法の面でも後世に大きな影響を及ぼし、「近代クラヴィア奏法の父」と呼ばれている。
歌劇の分野では『シルヴィア』他10数曲を残しているが、今日ではほとんど上演されない。ドメニコは若い頃からハープシコードの演奏に卓越していたと言われ、ヘンデルとオルガンやハープシコード演奏の技を競い、スカルラッティがハープシコードで、ヘンデルがオルガンで優勝して、以来このふたりの作曲家は親交を結んだという有名なエピソードが伝えられている。
― スペイン王家に嫁いだマリア・マグダレーナ・バルバラ王女についてマドリードに行ってまで書かれた個性溢れるチェンバリズムが繰り広げられる555曲の練習曲が、そのテーマ性と展開によって後に「ソナタ」と呼ばれて親しまれている。
ドメニコの才気あふれる作品をマリア・バルバラが夫の前で披露し、三者が音楽について語り合う場面が脳裏に浮かぶ。
スカルラッティは1685年、イタリアのナポリで生まれた。彼は音楽家の家系に生まれ、父親から手ほどきを受けたとされている。実はバッハやヘンデルと同じ年に生まれていることも注目である。父親はナポリ王室楽長であり、彼も同王室礼拝堂のオルガニストとなった。
しばらくして音楽修行としてイタリア内を旅した後、ポーランド王妃に招かれ彼女に仕えた。王妃が亡くなると、サン・ピエトロ大聖堂の楽長に就任したが、彼はまもなくその名誉ある地位を捨て、ポルトガルのジョアン5世に仕えた。この頃から、チェンバロの曲を書くようになったとされている。
ポルトガル王ジョアン5世と王妃マリア・アナは、結婚後3年たっても子供に恵まれなかった。そのためジョアンは、後継者となる子供を授かったら神に感謝の印として修道院を創設すると約束した。その後生まれたのがバルバラだった。マリーア・マグダレナ・バールバラ・ハビエル・レオノール・テレサ・アントニア・ホセファ・デ・ブラガンサ(María Magdalena Bárbara Xavier Leonor Teresa Antonia Josefa de Bragança, 1711年12月4日〜1758年8月27日)は、スペイン王フェルナンド6世の王妃。バルバラ・デ・ブラガンサとして知られる。
その後、ジョアン5世の王女 ― マリア・マグダレーナ・バルバラ王女がスペイン王子の下に嫁ぐ際、彼女に随行し、スペインのマドリードで死ぬまで過ごした。スカルラッティは鍵盤楽器のための曲を多く作り、現在も練習曲としても多く残されている。残念ながら彼の後進は育たなかったが、彼の残した膨大な曲が彼の存在を残していると言える。
バルバラは良い教育を受け、音楽を愛した。
彼女は当時有名な作曲家、チェンバロ奏者であったドメニコ・スカルラッティに教えを受けた。マリア・バルバラ王女がジョアン5世の一人娘として大切に育てられ、王女のための最高の教育の一環として優れた音楽教師を付けることを王自身が望んだとすれば、1719年、王女が8歳の時にリスボンに招聘されたドメニコが、そこでバチカンの楽長職を擲ってきたことを償って余りある待遇を受けた可能性は大いにある。複数の記録が伝えるところでは、王女の音楽の才能はすばらしいものであったという。スカルラッティの教えはそれを大きく開花させたに違いない。ドメニコがチェンバロ練習曲を書くようになった大きなきっかけが、ジョアン5世の王女マリア・バルバラに対するチェンバロ指導であったことはよく知られている。
彼女は1729年、2歳年下のスペイン王フェルナンド6世に嫁ぎ、ドメニコはこれに随行してマドリードへ永住し、彼女のために100曲ものチェンバロ・ソナタを作曲した。バルバラは決して美女とは言えず、初対面でフェルナンドがショックを受けたという噂すら流れた。しかし、2人は音楽という共通の趣味で結ばれた仲の良い夫婦となった。ドメニコの才気あふれる作品をマリア・バルバラが夫の前で披露し、音楽という絆でマリア・バルバラとスペイン王フェルナンドを固く結びつけたドメニコの、三者が音楽について語り合う場面が脳裏に浮かぶ。王と王妃、2人には子供がなかった。バルバラは生涯を通じて喘息に苦しみ、アランフェスで亡くなった。バルバラの死でフェルナンドは悲嘆に暮れたという。
ドメニコが没したのも故郷ナポリからは遠いそのマドリードの地だった。終生その人に仕え、もちろん実際にそのすべてがマリア・バルバラのために書かれたというわけではないが ― 555曲もの「練習曲」を捧げた。ドメニコがマドリードで没したのは1757年、マリア・バルバラが亡くなる前年だった。
FR Valois MB 983 - Huguette Dreyfus – Domenico Scarlatti – Pieces Pour le Clavecin
1964年の優秀録音です。見開きジャケット。
プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)
- レーベルValois
- 楽曲ソナタ集(全16曲)
- レコード番号MB983
- 作曲家ドメニコ・スカルラッティ
- 演奏者ユゲット・ドレフィス(チェンバロ)
- 録音年1964
- 録音種別STEREO
- 製盤国FR(フランス)盤
- レーベル世代青地に銀文字
CDや伝記本がamazonで購入できます。
CDや伝記本がamazonで購入できます。
ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)
- 商品番号3731112
- 盤コンディション良好です(MINT~NEAR MINT)
- ジャケットコンディション良好です(少々傷みあり)
- 価格11,000円(税込)
- 商品リンクhttps://www.lpshop-b-platte.com/SHOP/3731112.html
- ショップ名輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ
- ショップ所在地〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室
- ショップアナウンスべーレンプラッテからお客様へ
当店のレコードは、店主金子やスタッフたちが、おもにヨーロッパに直接出向き、実際の目と耳で厳選した、コンディション優秀な名盤ばかりです。国内で入手したものや、オークション品、委託商品はございませんので、安心してお求めになれます。
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