10月24日
イタリアの作曲家、ルチアーノ・ベリオが生まれた日(1925年)。代々音楽家の家庭でピアニストを目指すも、徴兵された軍隊で右手を負傷したため断念し、作曲と指揮を学んだ。アメリカで電子音楽に触れ、そこに自身の作曲手法を織り交ぜながらこの分野の先駆的な存在となった。独奏楽器の可能性を追究する「セクエンツァ」シリーズなどが知られる。
現代音楽の航海者。
― 戦後の前衛音楽に独自のポジションを占め、多彩な作品を産み出してきたルチアーノ・ベリオ。多言語の問題をはじめ、言葉や身振りの音楽的処理、電子音楽の発展への寄与、民俗音楽への着目、そしてエーコやカルヴィーノとの共同作業と、その活動は多岐にわたり、「セクェンツァ」シリーズでは現代曲の充実に多大な貢献をはたしている。きわめて今日的なテーマに取り組みつづけてきた、注目すべき作曲家。
器楽演奏の極北、極限技巧の見本市。
世紀末、世の終わりの逼迫した興奮と熱情が絡み合って、本当にロマンテックな雰囲気に満ちていた後期ロマン派の音楽。肥大した大管弦楽編成の音楽は瀟洒な響きに身を委ねているだけでも心地よかった。拡大したハーモニーは、20世紀に入ると、緊張は第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て落ち着きに向かっていった。次第に個を見つめる時間を持つ。19世紀から、20世紀、ピアノに限らず、木管楽器、金管楽器の機能の拡張は、器楽曲の発展の歴史において、演奏技巧の高度化に重要な役割を持っていたことは申すべくもないことでしょう。すでに様々な可能性が試みられた名人芸の、一層の飛躍への願いを込めて、半生を通じてベリオが追求し続けた連作が『セクエンツァ』です。
ベリオは1925年、イタリア、インペリア県オネーリャの音楽家の家庭に誕生。祖父と父はともにオルガン奏者で作曲家であり、音楽の手ほどきも最初は彼らから受けています。12歳のとき、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』にインスパイアされたピアノ曲を書いたといわれるベリオですが、パルチザンとして活動していた19歳のとき、銃の暴発事故で右手を負傷し、ピアニストへの道を断念。そのため本格的に作曲家を志すようになり、第二次世界大戦後、ミラノのヴェルディ音楽院でゲディーニに作曲を、ジュリーニに指揮を師事。その後、アメリカに渡り、タングルウッドでイタリア出身の作曲家ダラピッコラに12音技法を学んでいます。1955年、友人の作曲家ブルーノ・マデルナとともにミラノに電子音楽スタジオを設立。最初は電子音楽の作曲家として認められ、1974年から80年にはブーレーズが設立したIRCAMの電子音響部門の責任者を務めてもいました。録音した音を使ってコラージュ的に作品を仕上げる手法、〝ミュジック・コンクレート〟を電子的な合成音と融合させようというベリオの試みは、すぐれたテープ音楽作品『テーマ/ジョイス賛』(1958)や『ヴィザージュ』(1961)に結実。両作品とも、「歌唱は知性が90パーセント、声が10パーセント」と力説するアルメニア系アメリカ人メゾ・ソプラノ歌手、キャシー・バーベリアンの歌を前面に押し出したものでした。ベリオとバーベリアンは、1950年、ミラノのヴェルディ音楽院で出会って間もなく結婚、緊密な共同作業によって声の可能性を追求する作品をつくっていきます。バーベリアンは並外れた才能と感受性をもった歌手で、ベリオは彼女のために『サークルズ』、『リサイタルI』、『セクエンツァⅢ』などといった作品を作曲。《フォークソングズ Folk Songs》(1964)や、ビートルズの《ミッシェル Michelle》(1968)など編曲を手がけていたが、彼女が1983年の3月6日に亡くなったときには『キャシー・バーベリアンのためのレクイエム』を捧げています。
ベリオの名前は『シンフォニア』(1968)と『セクエンツァ』(1958)によって広く知られています。前者でのマーラーの『復活』をメインにした数々の有名作の引用に基づくコラージュ技法の面白さは無類であり、インパクトの強さにもすごいものがありました。また、後者での多彩をきわめた奏法、記譜法上の革新などさまざまなアイデアの数々は、ベリオの作曲技法の集大成というにふさわしいものとなっています。当然ながら、どの曲も目も眩むほどの超絶技巧や特殊奏法のオンパレードで、アイデアの豊かさと、極限の技巧にのみよって達せられる、斬新なサウンドの面白さ、放出されるエネルギーの強さには圧倒されます。ルチアーノ・ベリオが34年に渡って書き続けた『セクエンツァ』シリーズには、ベリオの音楽のエッセンスが詰まっています。フルート、ハープ、女声、ピアノ、トロンボーン、ヴィオラ、オーボエ、ヴァイオリン、クラリネット、トランペット、ギター、ファゴット、アコーディオン、チェロに作曲された、『セクエンツァ』中の多くの作品は、ソロ演奏に際して高い技量やスタミナを要するだけでなく、各楽器の演奏技術の枠を超えた新機軸も内包しています。作品内容の幅は広範囲にわたり、歌手キャシー・バーバリアンのために書かれた抽象的な音楽劇『セクエンツァⅢ』といったものから、諧謔味を帯びていてしかも心を打つ、ファゴットのための『セクエンツァⅦ』といったものまで及びます。代表作を生み出す時は慎重で、クオリティの維持には拘り続け、ホルン独奏、打楽器独奏の個人委嘱によるセクエンツァの依頼が先延ばしになっていたが、2003年、作曲者が死去したことにより、全14曲となっている。シリーズ中の最終曲であるチェロのための『セクエンツァXⅣ』は、スリランカの民族打楽器カンディアンに影響を受けた内容の濃い作品です。
それでも、晩年まで旺盛で生涯多作家だったベリオ。現代曲の動きへの反応は迅速で、シューベルトの《未完成交響曲》を番号なしにするかの議論が持ち上がったときには、シューベルトの《交響曲第10番》を素材にした《レンダリング Rendering》(1990)は、愛聴曲。
NL PHILIPS 6500 101 - Marie-Françoise Bucquet – Stockhausen / Berio - Klavierstücke Ⅸ & Ⅺ / Cinque Variazioni, Sequenza Ⅳ
マリー=フランソワーズ・ビュケ
1937年仏・モンティヴィリエ生まれの女流ピアニスト、マリー・フランソワーズ・ビュケ。5歳からピアノを始め、16歳でパリ音楽院を卒業した。その後ウィーン音楽院でピアノを学び、ヴィルヘルム・ケンプ、アルフレート・ブレンデル、エドゥアルト・シュトイアーマン、マックス・ドイチュらの薫陶を受けた。 1960年代初頭から演奏活動をはじめ、ピエール・ブーレーズ、ヤニス・クセナキス、ルチアーノ・ベリオ、カールハインツ・シュトックハウゼン、ベッツィ・ジョラスらと親交を結び、彼らの音楽を積極的に紹介した。クセナキスの「エヴリアリ」を献呈、初演している。 1986年からパリ音楽院で教鞭をとる。
フランスに於いて、ビュケにピアノを師事したピアニストは少なくない。最近はロマン派初頭のエラール・ピアノでシューマンのヴァイオリン・ソナタを録音したエミール・ホルムストロム、プレイエル・ピアノでベートーヴェンの協奏曲を録音したことで注目されたニコラ・アンゲリッシュの師として名前がよく出てくる。演奏者として日本においてはヴァンサン・ダンディの《フランスの山人の歌による交響曲》(ポール・カポロンゴ指揮、モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団、PHILIPS、1971年録音)のレコードが知られている。1960〜70年代のフィリップスレーベルはスターピアニスト目白押しで、レパートリーは戦々恐々、現代音楽の演奏、録音に貢献していたビュケのレコードはマニアック路線ながら、「ビゼー ピアノ曲集」「ストラヴィンスキー ピアノ曲集」も聴きものです。
プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)
- レーベルPHILIPS
- 楽曲
- ピアノ曲IX、ピアノ曲XI
- 5つの変奏曲、セクエンツァIV
- レコード番号6500 101
- 作曲家
- カールハインツ・シュトックハウゼン
- ルチアーノ・ベリオ
- 演奏者マリー=フランソワーズ・ビュケ
- 録音種別STEREO
- 製盤国NL(イギリス)盤
- レーベル世代赤地にシルバーロゴレーベル, 1971年の録音です。優秀録音。
ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)
- 商品番号373023
- 盤コンディション良好です(MINT~NEAR MINT)
- ジャケットコンディション良好です(下辺にわずかな傷みあり)
- 価格6,600円(税込)
- 商品リンクhttps://www.lpshop-b-platte.com/SHOP/373023.html
- ショップ名輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ
- ショップ所在地〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室
- ショップアナウンスべーレンプラッテからお客様へ
当店のレコードは、店主金子やスタッフたちが、おもにヨーロッパに直接出向き、実際の目と耳で厳選した、コンディション優秀な名盤ばかりです。国内で入手したものや、オークション品、委託商品はございませんので、安心してお求めになれます。
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