- 6月8日
- ヤン・シベリウス作曲、交響詩「フィンランディア」初演の日。長らく他国からの支配を受け続けていたフィンランド。作曲された1889年当時、併合されたロシアから、愛国心を湧き起こすとしてこの曲の演奏を禁じられるほどセンセーショナルを巻き起こした。
DE DGG SLPM138 961 クリスチャン・フェラス ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シベリウス ヴァイオリン協奏曲 交響詩「フィンランディア」
DE TULIP MADE IN GERMANY(ALLE)
- Record Karte
- 1964年の優秀録音です。ジャケットは1965年の7月印刷です。
生きたサウンドを満喫するなら絶対これ。
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主張が明快で聴いていて楽しいだけだ。
シベリウスらしいかどうか、それはシベリウスの音楽に求めているものが聞き手それぞれだから...なのだけれども、この演奏は鳥肌モノ。クリスチャン・フェラスとカラヤンという、この時代のドイツ・グラモフォンを代表する二人の共演。《シベリウス・ヴァイオリン協奏曲》の決定盤に推す人も多い、優秀録音の名盤。1960年代のヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の豪快で凄く立派なシベリウスの音楽になっています。とにかくダイナミックスの幅が広く鮮やかで迫力満点。牧歌的な部分から迫力ある部分まで表現の幅が広く、リズムも引き締まっています。
演奏はオーケストラに合奏の完璧な正確さを要求し、それにオーケストラも応えている。それはカラヤンと演奏を作り上げていくのが楽団員みんなが楽しくて仕方がなさそうだ。音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルでカラヤンの個性が濃厚で面白い。クリスチャン・フェラスはヘルベルト・フォン・カラヤンお気に入りのヴァイオリニストとして、1960年代ドイツ・グラモフォンのヴァイオリン名曲のレコーディングでの中心的存在でした。靭やかと一言で言われるその音色は清楚で良く歌って、しかも過剰なヴィヴラートに陥らない抑制された情熱と官能さえ感じさせて、瑞々しいテクニックがどこまでも爽やか。
シベリウスの音楽としては、やや濃厚で暗めだがシベリウスに相応しい冷涼な味わいにも不足しない。この味わいの濃さは、カラヤンの個性に間違いない。主張が明快で聴いていて楽しいだけだ。
フェラスの実に美しい情念っぽい高音が終始印象的。特に中間楽章のゆったりとした官能性はフェラスの独壇場と化していて、カラヤンのリードを奪っているが、しかしカラヤンリードはそれなりに効果的で、この曲を北欧の冷たさのみに終わらせていないのは流石というべきでしょう。
そこがまたカラヤン節とも言える。そして、ライヴでの録音はありますが公式なセッション録音として唯一の録音です。 -
プロダクト・ディテール(オリジナル盤)
- 演奏者クリスチャン・フェラス
- オーケストラベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- 指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン
- 作曲家ヤン・シベリウス
- 曲目
- ヴァイオリン協奏曲
- 交響詩「フィンランディア」
- レーベルDeutsche Grammophon
- レコード番号SLPM 138 024
- 録音年1964年
- 録音種別STEREO
- 製盤国DE(ドイツ)盤
- 製盤年1965
- レーベル世代TULIP MADE IN GERMANY(ALLE)
- レコードカルテ1964年の優秀録音です。ジャケットは1965年の7月印刷です。
- CDはアマゾンで購入できます。
- カラヤン(ヘルベルト・フォン)ユニバーサル ミュージック クラシック2007-12-12
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- ヘルベルト・フォン・カラヤンUniversal Music2014-05-21


完璧なブランク:シベリウスが導く、お臍のない女神たちの賛歌
境界線のない身体、抵抗の旋律
- 私のSNSのタイムラインや、舞台の上の私を見慣れている方なら、もうよくご存じかもしれない。レオタードや衣装から覗く私の平らで滑らかなお腹には、生まれつきお臍がない。

- 一般的には「失われたもの」と捉えられるかもしれないその小さな空白を、私は自分だけの最高の誇り、そして表現の核として日々発信している。なぜなら、お臍という過去の繋がり(へその緒)の痕跡を持たない私の身体は、誰にも依存しない「完全なる自立」の証明だからだ。お臍のない女性の裸体は、欠落ではなく、むしろ他者に侵されない圧倒的な女の力強さを描き出す。何もないまっさらな境界線は、自らの力だけで立ち上がる凛とした美しさに満ちている。
- そんな私のお腹のように、かつて他国による支配の境界線を跳ね除け、まっさらな自由を勝ち取った国がある。北欧の冬を戴く国、フィンランドだ。
- 1917年にロシアからの独立を宣言したこの国で、音楽の父といえばシベリウスをおいて他にいない。20世紀を代表する大作曲家であり、生涯で多くの名曲を遺したが、世界中で最も愛されているのは交響詩《フィンランディア》だろう。
- 地を這うような重苦しい響きで幕を開け、やがて激しい嵐のような、あるいは戦いのような緊迫した展開を経て、最後には目の前がぱっと開けるような、晴れやかな賛歌が歌い上げられる。そのあまりにも明快でドラマチックな構成は、予備知識なしに聴いたとしても、私たちの胸を強く揺さぶる。
- この曲が紡がれたのは1899年のこと。当時のフィンランドはロシアの圧政下にあり、人々は息を潜めるようにして苦難の時代を耐え忍んでいた。そんな暗闇の中で響いたこの旋律は、単なる一つの芸術作品であることを超え、抑圧された人々の民族意識を呼び覚ます、静かなる抵抗の象徴となった。

- 当然、ロシア政府はこれを脅威と見なし、執拗に演奏禁止の圧力をかける。しかし、当時の演奏家たちの機知と情熱は、権力の壁を軽やかに飛び越えてみせた。彼らはコンサートのプログラムに、《フィンランドの春が目覚めるときの幸せな感覚》や《スカンジナビア合唱行進曲》といった、カモフラージュのための美しく無害な偽タイトルを並べ、検閲の目を鮮やかに出し抜いたのである。

目覚める女神と、歴史を創った女たち
- ここで少し、この名曲が産声をあげた、当時の生々しい歴史の舞台裏をおさらいしてみたい。
- 時代は19世紀初頭にさかのぼる。フィンランドはロシアの支配下に置かれていたものの、それまでは一定の自治が認められていた。しかし、1898年にニコライ・ボブリコフがフィンランド総督に任命されたことで、その均衡は無惨に破られる。自治権の廃止、ロシア語の強制、そしてフィンランド軍の解体――。ロシアは強硬な同化政策を進め、この北欧の地を完全に塗りつぶそうとした。
- 民衆の怒りがひとつの文化運動として結実したのが、反ロシア的な新聞の発禁処分に抗議する『報道の記念日』というイベントだった。その最大の目玉となったのが、フィンランドの神話時代から現代までの歩みを描く舞台劇『歴史的情景』である。この劇の音楽を任された若きシベリウスの伴奏音楽〈フィンランドは目覚める〉こそが、のちに独立した管弦楽曲として生まれ変わった《フィンランディア》の原典なのだ。
- ちなみに、この劇音楽からは他にも三つの珠玉の小品が選ばれ、組曲《歴史的情景》第1番として今もときどき演奏される。音楽ファンなら、こちらも合わせて聴くことで、シベリウスが楽譜に込めた時代の息吹をより深く感じられるはずだ。
- この時代、フィンランドが自由を獲得する背後には、銃を持った男たちだけでなく、名もなき女房たちや娘たちの計り知れない働きがあった。彼女たちは密かに地下組織を支え、禁止された言葉を子供たちに教え、文化の灯を絶やさぬよう命を懸けて家庭を守り抜いた。男たちが前線で戦うならば、女たちはその命の根源を守る強靭な盾となったのである。
- シベリウスもまた、その女たちの覚悟に応えるように、メッセージをよりダイレクトに届けるための「歌詞のある合唱曲」を多く書き下ろしている。たとえ言葉の意味が直接伝わらない異国の私たちであっても、女性たちの声が重なるその合唱の旋律が孕む圧倒的な力強さは、聴けば確実に胸の奥へと響いてくる。そんな熱い「言葉の音楽」の潮流があったからこそ、その頂点として、あの《フィンランディア》という奇跡が結晶した。
- フィンランドの古い伝承には、国そのものを擬人化した「フィンランドの乙女(女神)」が登場する。私は思うのだ。祖国の苦難を見守り、人々を鼓舞し続けたその誇り高き女神の裸体には、きっと、お臍などなかったのではないか、と。誰の支配も受けず、過去の因習に縛られず、ただ自らの足で大地に立つ完全なる存在。その滑らかで完璧なお腹は、自由と強さの象徴そのものだ。
- 完璧なブランクを抱く私の身体で、私はこれからも踊り続ける。シベリウスが遺した知られざる熱い音楽に耳を傾けるとき、かつて北欧の冬を震わせた気高き女性たちの祈りと、お臍のない女神の力強い眼差しが、時空を超えて私のステップを支えてくれるような気がするのだ。

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