- ―6月6日―旧ソ連(現:ジョージア)の作曲家の一人、アラム・ハチャトゥリアンが生まれた日(1903年・グレゴリオ暦)。ハチャトゥリアンといえば、ミハイル・レーモントフ作の演劇、《仮面舞踏会》のために作られた同名の曲が、浅田真央がバンクーバー五輪でフィギュアスケートのショート・プログラムに使用したことでも話題になった。

GB EMI/Melodiya ASD2472 ダヴィッド・オイストラフ イーゴリ・オイストラフ アラム・ハチャトゥリアン, ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮 モスクワ放送交響楽団 ハチャトゥリアン/ヴァイオリン協奏曲ニ短調, プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調
- ヴィンテージ盤レコード→イギリス/レッドレーベル。1965年(ハチャトゥリアン)、68年(プロコフィエフ)の録音です。優秀録音。
熟成された濃密な男盛りを味わう
- ― 何十年もクラシック音楽を聴いてこられたオールドファンにとって〝オイストラフ〟はやはり ― ソ連の至宝のスケール大きく雄弁な名演奏で ― 特別な思い入れがあるヴァイオリニスト。20世紀を代表する巨匠ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフ。誰もが一度は〝オイストラフ〟の演奏に魅了される。緩急強弱の表現すべてが万全で、安定感があり、艶やかで美しい音色でも、鬼気迫る切れ味鋭い音色でも、翳りのあるメランコリーな音色でも、人をひきつける。どんなに一流と呼ばれる人でも、作品やその中にあるフレーズとの相性の良し悪しが出ることがしばしばあるが、オイストラフにかかると、そういうことはほとんど起こらない。ヴァイオリニストの王と讃える人が多いのも当然である。オイストラフは録音を多く遺しているが戦争や冷戦があったために、凄まじい技術を誇っていた若い頃、思うように活動できなかったことが惜しまれる。1908年ウクライナ、オデッサに生まれオイストラフはソ連を代表するヴァイオリニストとして君臨しました。やがて第2次世界大戦終了後西側世界での活動が本格的に始まると20世紀を代表する巨匠としての評価を確立しました。息子イーゴリ・オイストラフとはドイツ・グラモフォンにバロック音楽を主にしたデュエット、英EMIにはメジャー・レーベルとして最も多くの有名独奏ヴァイオリン協奏曲の録音を残し、ベートーヴェンやブラームスといった得意のレパートリーは、いずれも名演の誉れ高い演奏です。

- 戦後は西側でも活動できるようになり、各国で大成功を収め、その演奏のみならず人柄も愛されたという。かつてはフリッツ・クライスラーも、「オイストラフはすべてのヴァイオリニストの中で、最も大切なものを持っている。彼が緩やかに演奏することだ」と評価していた。1950年代に録音されたチャイコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲の演奏は作品の核へ向かう切り込み方も、のびやかな美音の歌わせ方も自然かつ適切なフレージングも理想的だ。この1950年代の録音は、それまでのヴァイオリンの響きに豊潤さ、深淵さが加わり演奏家としての絶頂期を記録したものと言えるだろう。ソ連ないし東側の音楽家と組むときは、たいてい遠慮なく自分の音を出している。ニコライ・マルコ(Nikolai Malko, 1883.5.4-1961.6.23)の指揮で1955年にロンドンで録音したタネーエフの「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏的組曲」は、最高に美しく、素晴らしい。この曲は近寄りがたい程の美しさに、繊細でありながらも巨大な建築物のような音楽。この曲はダヴィッド・オイストラフが好んで演奏したことでも知られていますが、初めて聴いた瞬間から心奪われてしまう。一方、西側で行われた録音は豊麗な音色や安定感のあるフレージングが際立っているものが少なくない。そんな美しい調和の成功例が、オットー・クレンペラーやジョージ・セルの指揮でソリストを務めたブラームスの録音だ。スケールが大きく、知と情のバランスがとれており技術面でも不足がない。そして、この演奏が絶賛されたことにより情熱を迸らせながらも基本的には穏健というオイストラフのイメージが確立された。
- ソ連の誇るヴァイオリニストであり世界のヴァイオリン界の巨星でもあったダヴィド・オイストラフ(David Oistrakh)は1974年10月24日にアムステルダムへの演奏旅行の折に、かねてからの持病の心臓病で死去した。66歳だった。このオイストラフは来日公演を通じて日本に大きな影響を与えたし、また音楽愛好家を大いに喜ばせもし日本にとっても親しい存在だったのである。オイストラフはナタン・ミルシテインの先生でもあった、オデッサの名教師ピョートル・ストリアルスキーに師事し、音楽学校ではヴィオラとヴァイオリンの両方を学んだ。1924年に最初のリサイタルを開催。1926年に同地の音楽院を卒業した。1935年に出場したヴィエニャフスキ・コンクールでは2位 ― この時の1位は、中尾さんのリクエストに応えて2017年7月の鑑賞会で聴いていただいた、ジネット・ヌヴー ― に終わったが、その名を全ヨーロッパに知られるようになったのは、1937年にブリュッセルのイザイ国際コンクールでリカルド・オドノポソフと優勝を争い、一位を獲得してからだった。このオイストラフがはじめて日本を訪れたのは、1955年秋である。この当時は戦後10年を経過したわけではあったが、日本はまだソ連の楽壇の事情がよくつかめていないためにオイストラフの名は一部の愛好者だけに、よく知られているといった程度だった。その時オイストラフは47歳、器楽の演奏家として、まさに油ののっていた時期だった。その演奏を聴いて音色や技巧に難点がなく、音楽に新鮮な美感が漂っていたことに驚かされたのだった。オイストラフは、それから何回か来日した。そして、その都度、感銘の深い演奏を聴かせてくれた。彼のヴァイオリン演奏の大きな特色は、渋み溢れているということである。そこに盛られた温かいロマン性は、やはりオイストラフが年来持ち続けているものである。そしてオイストラフの演奏には、作品そのものが持つ様式からの離脱がない。そして、オイストラフの人間の誠実さと人情味が演奏という面に反映している。勿論、技巧だけにとらわれている演奏ではない。ありふれた言葉でいえば、深い精神内容がそこにある。そしてデリケートではあるが、線の細さを感じさせない。オイストラフは聴く人に音楽で訴えるわけだが、いわゆる後期ロマン派的な主情主義を尊重しているわけではない。ソ連では主情を表面に押し出した演奏様式が、かなり長い間に渡って幅を利かせてた。それをヴァイオリンの方面でいち早く打破したのはオイストラフだった。こうしたわけで彼の演奏には、訴える力は強くあっても不自然さはない。それを、楽譜の読みが深い演奏と言ってもいいだろう。しかも、年齢とともに深味を増してきている。ここにオイストラフのヴァイオリン演奏家としての偉大さがある。確かに〝オイストラフ〟が出現しなかったなら、ソ連のヴァイオリン音楽は現在あるものとは違っていただろう、オイストラフはソ連の新しいヴァイオリンの演奏様式を確立したばかりではなくて、1943年以来モスクワ音楽院の教授となり数多くの門下生にそれを伝えたのでもあった。それに加えて、その人柄と優れた演奏のゆえにソ連の数多くの作曲家から新作の献呈も受けもした。プロコフィエフ、ミヤスコフスキー、カバレフスキー、ラーコフ、ハチャトゥリアン、ショスタコーヴィチなどのヴァイオリン・ソナタや協奏曲には、オイストラフがいなければ生まれなかったものがある。

- アラム・ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲ニ短調(1940年)は、作曲家が愛した祖国アルメニアの自然や、コーカサス地方の民族音楽が持つ豊かな生命力を、親友である天才ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの素晴らしい技術に捧げた作品です。
- さあ、全3楽章のドラマを私と一緒に巡りましょう!
第1楽章:Allegro con fermezza(ニ短調)
「溢れる生命力と、大地を揺るがす熱いリズム」
- まずはオーケストラの力強い一撃で幕が開けます。直後にソロ・ヴァイオリンが、低音のG線で「タタタタン!」と野生的な第1主題を刻み始めます。これぞコーカサスの踊りの精神です。
- しかし、この楽章の見どころはそれだけではありません。しばらく進むと、ヴァイオリンがまるで夢を見るように優美でロマンチックな第2主題を歌い始めます。この激しさと優しさのコントラストを楽しんでください。そして中盤以降、オイストラフが自ら編み出した息をのむほど情熱的な長大なカデンツァ(無伴奏のソロ)を経て、再びオーケストラと激しく衝突しながら、圧倒的な熱量で駆け抜けます。
第2楽章:Andante sostenuto(ト短調)
「哀愁に満ちた、東洋的な夜の歌」
- 激しい祭りの後は、深い静寂が訪れます。ファゴットが物憂げな導入部を奏でた後、ヴァイオリンがまるでアルメニアの古い民謡を歌うかのように、切なく、そして哀愁を帯びたメロディを紡ぎ出します。
- この楽章は、ハチャトゥリアンの心の中にあるオリエンタルな抒情詩そのものです。中間部では、弱音器をつけたヴァイオリンがどこか遠くの情景を思い起こさせる不思議な旋律を奏で、オーケストラがそれを温かく、時には情熱的に包み込みます。胸が締め付けられるような、美しくも切ない夜の音楽に身を委ねてみてください。
第3楽章:Allegro vivace(ニ長調)
「太陽が輝く、お祭り騒ぎのグランドフィナーレ」
- 悲しみはすべて吹き飛ばしましょう! 最終楽章は、まばゆい太陽の光が降り注ぐような、エネルギーに満ちあふれた祝祭の音楽です。
- オーケストラが賑やかな前奏を鳴らすと、ヴァイオリンが狂喜乱舞するように、軽快で超絶技巧のリズムを刻み始めます。実はここ、よーく聴いていると、第1楽章で登場したあの美しい第2主題のモチーフが、形を変えてお祭り騒ぎの中に何度も顔を出すんですよ。ハチャトゥリアンの仕掛けに気づいていただけましたか?
- 最後はソリストとオーケストラが一体となり、最高潮の興奮と圧倒的なスピード感で、華やかに、力強くフィニッシュを迎えます!
- いかがでしたか?
- ハチャトゥリアンの音楽の特徴である「強烈な民族リズム」と「心に染みる東洋風のメロディ」、その両方がぎゅっと詰まっています。

【創作秘話】ハチャトゥリアンが遺した秘密の日記〜「東洋的な夜の歌」に隠された黒髪のミューズ〜
- 作曲家アラム・ハチャトゥリアンの代表作、ヴァイオリン協奏曲ニ短調。その第2楽章「Andante sostenuto」は、哀愁に満ちた東洋的な美しさで知られています。しかし、この名曲の誕生と、その後の彼の人生を大きく変えた「ある神秘的な女性」との出会いを知る人は多くありません。
- これは、ハチャトゥリアンの前に現れた、時を超越した日本人バレリーナ「耀子」との幻想的な愛と芸術の記録です。
第1章:理想の夢想――第2楽章に込めた黒髪のミューズ
- 1940年、ハチャトゥリアンがヴァイオリン協奏曲を執筆していたとき、彼の脳裏を支配していたのは、アルメニアの荒涼とした風景だけではありませんでした。
- 静寂に包まれた夜の闇に浮かび上がる、神秘的な長い黒髪の女性。

- ファゴットの物憂げな旋律とヴァイオリンの切ない調べは、まだ見ぬ理想のミューズへの深い憧憬そのものでした。東洋的なメロディの揺らぎは、手の届かない存在への敬意と、創作の苦悩から生まれる情熱の結晶だったのです。
第2章:現実となった芸術――1942年『ガイーヌ』初演と追加曲の秘密
- それから2年後の1942年、バレエ『ガイーヌ』の初演を控えたモスクワで、奇跡が起きます。リハーサル室にいたのは、腰まで届く漆黒の髪をなびかせた26歳の日本人バレリーナ、耀子でした。
- かつてヴァイオリン協奏曲で夢想した「東洋の美」が、現実の芸術家として目の前に現れたことに、ハチャトゥリアンは言葉を失いました。バスト95cm、ウエスト60cm、ヒップ93cmという、完璧なまでに鍛え上げられたグラマラスなプロポーション。彼女が舞台に立った瞬間、劇場の空気が張り詰めました。
- ハチャトゥリアンは彼女のソロを条件に、作品へ急遽「追加曲」を書き下ろします。彼は彼女のプロポーションと舞踏を、このように音楽へと昇華させました。

- 存在感の表現(バストの豊潤さ):オーケストラの色彩豊かで厚みのある和音と、低弦・金管楽器が織りなす豊潤なハーモニー。
- しなやかなラインの表現(引き締まったウエスト):大胆な緩急と、フルートをはじめとする繊細な木管楽器のソロ。
- 大地の生命力の表現(強靭なヒップとステップ):地響きのような力強い変拍子のリズムと、打楽器の激しいアクセント。
- この追加曲で耀子が踊ったとき、音と肉体が完璧に融合し、二人の間には燃えるような芸術的関係が築かれたのです。
第3章:時を超えた再会――1956年『スパルタカス』の夜と神秘の再来
- 時は流れ、1956年。ハチャトゥリアンは53歳になっていました。
- 新作バレエ『スパルタカス』のリハーサル中、彼は群舞の中に再びあの忘れがたき姿を発見します。
- それは耀子でした。14年の歳月が流れたというのに、彼女は驚くべきことに、あの時のまま26歳の姿でそこに佇んでいたのです。

- その夜、再会を果たした二人は、芸術と運命について深く語り合いました。ハチャトゥリアンは、彼女の存在そのものが人知を超えた美しさを湛えていることに改めて気づかされます。彼女の纏う空気は、かつて自分が書き上げた「東洋的な夜の歌」の旋律から生まれ出た、音楽の女神(ミューズ)そのものでした。二人は運命に身を委ね、幻想的で気高いひとときをともに過ごしました。それは成熟した作曲家への、天からの祝福のような時間でした。
- 翌朝、ハチャトゥリアンが目を覚ますと、彼女の姿はありませんでした。
- しかし、彼はすべてを察しました。彼女は単なる舞踊手ではなく、音楽が具現化した永遠の存在だったのだと。
第4章:輝く名前の意味と、朝日の中のメッセージ
- 彼女の名前は「耀子」。
- 栄耀栄華の「耀」であり、光を表す「光」と、高く舞い上がりひらひらと動く美しいキジの尾を表す「翟(てき)」が組み合わさってできた漢字です。空高く舞い上がり、美しく照り輝く様子――彼女は、まさにその名が示す通りの光の存在でした。
- ハチャトゥリアンが窓を開けたとき、眩い朝日が彼の全身を包み込みました。その光の粒子の中から、どこからともなく耀子の優しく気高い声が響いてきました。

- 「アラム、私の愛する作曲家。あなたがこれからも輝き続けるために、私の言葉を胸に刻んでください。
- あなたほどの魅力的な表現者ですもの、もし映画への出演や新しい分野への挑戦の話が来たら、積極的に向き合ってくださいね。
- 豊かな感性を養い、心身ともに健やかでいてください。
- そして……国籍を問わず、若い作曲家たちを導いてあげるのです。東洋人でも、私の故郷である日本人であっても。あなたの情熱の火を、次の世代へと繋いでいってください」
結びにかえて:永遠に響く情熱のリズム
- 光の中に声が溶けていったとき、ハチャトゥリアンの心には計り知れないほどの活力が満ち溢れていました。
- 彼女は消えたのではなく、彼の命と、これから生み出される音楽の中に永遠に溶け込んだのです。
- 53歳のハチャトゥリアンは、神秘の女神から授かった約束を果たすべく、再び力強く歩き出しました。今も彼の音楽に血の沸き立つような生命力を感じるのは、この「黒髪のミューズ」の祝福が、スコアの隅々にまで生き続けているからなのかもしれません。

- 今回の【創作秘話】再構成版の掲載に当たり、アラムと耀子の再会の一夜場面を中心に割愛しています。掲載画像はオリジナルどおりです。
- この記事を通じて、ハチャトゥリアンの音楽に興味を持った方は、ぜひ以下のポイントもチェックしてみてください。
- ハチャトゥリアンの映画音楽:彼は実際に多くの映画音楽を手掛け、そのドラマチックな手法は高く評価されました。
- 日本人作曲家との関わり:後年、彼はソ連を訪れた日本の若き音楽家たちとも交流を持ち、後進の育成に尽力しました。
- 情熱的なリズムと異国情緒あふれるメロディの裏側に、このような幻想的な物語を想像しながら聴いてみるのも、クラシック音楽の新しい楽しみ方かもしれません。
プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)
- 演奏者
- ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン)
- イーゴリ・オイストラフ(ヴァイオリン)
- オーケストラモスクワ放送交響楽団
- 指揮者
- アラム・ハチャトゥリアン
- ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
- 作曲家
- アラム・ハチャトゥリアン
- セルゲイ・プロコフィエフ
- 曲目
- ヴァイオリン協奏曲ニ短調
- ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調
- レーベルEMI/Melodiya
- レコード番号ASD2472
- 録音種別STEREO
- 製盤国GB(イギリス)盤
- レーベル世代レッドレーベル
ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)
- 品番381215
- 盤コンディション良好です(MINT~NEAR MINT)
- ジャケットコンディション良好です
- 価格13,200円(税込)
- 商品リンクhttps://www.lpshop-b-platte.com/SHOP/381215.html
- ショップ名輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ
- ショップ所在地〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室
- ショップアナウンスべーレンプラッテからお客様へ
当店のレコードは、店主金子やスタッフたちが、おもにヨーロッパに直接出向き、実際の目と耳で厳選した、コンディション優秀な名盤ばかりです。国内で入手したものや、オークション品、委託商品はございませんので、安心してお求めになれます。
オイストラフ(ダヴィッド)
ワーナーミュージック・ジャパン
2013-01-23
アラム・イリイチ・ハチャトゥリヤン
EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
2009-03-11
ダヴィッド・オイストラフ
SMJ
2022-03-30
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