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3月15日
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オーストリアの指揮者・作曲家のアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーが没した日(1942年)。同時代の作曲家には、アーノルト・シェーンベルク、アントン・ウェーベルン、アルバン・ベルクなど後に新ウィーン楽派と呼ばれる作曲家たちが名を連ねる。実際、シェーンベルクはツェムリンスキーを師と仰ぎ、彼らがツェムリンスキーに作品を献呈することもあったそう。指揮者としてもウィーン・フォルクスオーパーの初代首席指揮者を努めたことで知られる。
DE DECCA 6.43548 AZ - Zemlinsky - Die Seejungfrau, Psalm XIII, op. 24 – RSO Berlin · Riccardo Chailly

鮮烈でありつつ、爽快感を伴う音楽。1986年の優秀録音です。
指揮者としてのSPレコード録音で記憶だけはされていたツェムリンスキー
作曲に関して知っていることのほぼ全てを私はツェムリンスキーに負っている。彼は偉大な作曲家であり、近いうちに彼の時代が来るであろう。
- アーノルト・シェーンベルク
- アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーは1871年10月14日にウィーンで生まれた現在でいうオーストリアの作曲家、指揮者です。両親ともにユダヤの血を引く家系で、父アドルフ(1845〜1900)は、ジャーナリスト、作家でした。1877年には、妹のマティルデが生まれています。1895年、ツェムリンスキーはアマチュア・オーケストラ「ポリュヒュムニア」を結成。そのメンバーの一人でチェロを弾いていたのが、アルノルト・シェーンベルク(1874〜1951)でした。2人は親しい友人となっただけでなく、その縁で、ツェムリンスキーの妹マティルデがシェーンベルクの妻になっているので、この二人は義理の兄弟ということになります。ツェムリンスキーはシェーンベルクに対位法の指導を行なっているが、これは結局シェーンベルクが受けた唯一の公式な音楽教育となった。ツェムリンスキーの門弟はほかに、アルマ・マーラーやカール・ヴァイグル、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトらがいる。また、1897年に作曲された「変ロ長調の交響曲」がウィーンで初演され好評を博し、ベートーヴェン賞を得ています。1900年にグスタフ・マーラー(1860〜1911)がウィーン宮廷歌劇場にてメルヘン・オペラ『昔あるとき...』の初演を指揮すると、作曲家としての名声はさらに高まった。同じ年、カンタータ「春の埋葬」の初演を指揮したツェムリンスキーを
まるでカリカチュア(風刺画)のよう。顎がなくて、背が低くて、目が出ていて、狂ったように指揮していた
と評した女性がいました。この女性こそ、ファム・ファタールの代名詞ともいえる、アルマ・シントラー(1879〜1964)でした。この風刺画のような男にアルマは作曲を師事することになり、一方、ツェムリンスキーは彼女に作曲の指導をするうちに恋に落ちる。当初アルマはツェムリンスキーと互いに感情を分かち合っていた。だが、友人や肉親から、その関係を打ち切るように強い圧力を受けてもいた。ツェムリンスキーは、国際的な知名度がないことや、容姿の醜さばかりが目に付いたからだった。あと少しで結婚、というところまで行くのですが、運命はそれを許しませんでした。ほどなく1902年にアルマはマーラーと結婚することになる。 - この頃のウィーンは、ハプスブルク帝国の首都であったため、主に東方からいろいろな人種の人々がいろいろな理由で押し寄せていました。当然いろいろな問題が引き起ります。その中の一つがユダヤ人問題でした。ウィーンの市長に反ユダヤ主義の人物が就任すると、多くのユダヤ人排斥問題が起こります。ツェムリンスキーも改宗に動き、結局ウィーンでは少数派のプロテスタントになりました。
- 第一次世界大戦後、ヨーロッパの地図は大きく書き換えられることになります。プラハもハプスブルク帝国の一都市から、チェコスロヴァキアの首都となりました。ベルリンに移り、1927年から1931年までの4年余りはクロル歌劇場で、オットー・クレンペラー音楽監督のもと、意欲的な活動を行っていました。意欲的な上演には反対派がつきものです。また、ワイマール共和国下の経済状態では、複数のオペラハウスの運営は難しく、1931年のシーズン終了後閉鎖されてしまいました。ベルリンは、次第にナチスの勢力が強まり、ウィーンへの移住を決めます。しかしウィーンもツェムリンスキーにとって永住の地とはなりませんでした。ナチスがオーストリアを併合。それを機にアメリカへ亡命し、ニューヨークに定住します。卓越した指揮者として声望があり、とりわけモーツァルトのオペラの上演によってヴァイルやストラヴィンスキーから評価されただけでなく、同時代の音楽の指揮にも尽力した。ピアニストとしての力量を証明するような録音を残してはいないものの、指揮者としていくつかの管弦楽曲をSPレコードに録音している。が、英語もできず、アンドレ・ジッド原作の歌劇「カンダウレス王」をメトロポリタン歌劇場で上演しようとするも、ヌードシーンが問題視され、作曲する意欲がうせてしまいます。病気がちで一連の脳卒中に悩まされ、戦闘が過激を極めていた第2次世界大戦渦中 ― 東京で初めて空襲警報が発令され、ドイツのリューベック市がイギリス空軍の大空襲を受け、米爆撃機B25が日本本土を初空襲する。 ― の1942年3月15日、ヨーロッパの地を見ることなく肺炎で亡くなります。シェーンベルクがロサンジェルスで名士として持てはやされ、1930年代と1940年代を通じて、カリフォルニア大学ロサンゼルス校や南カリフォルニア大学の教壇に立ち、後進の支持を得たのに対して、ツェムリンスキーは見知らぬ土地で無視され、無名も同然であった。不遇な作曲家がヨーロッパに戻るのは40年前、1985年になっていた、ウィーンの中央墓地にツェムリンスキーの遺灰は埋葬された。
本当の意味での世紀末ウィーンの情緒が匂い立ってくる。
- ― 1872年、ウィーン生まれのツェムリンスキーは、マーラーとシェーンベルクらの橋渡し的な立場にいた。ユダヤ人でもあり、アルマ・マーラーの作曲の師であり、シェーンベルクの義兄でもあった。さらにコルンコルドも師事している。彼の存在がいかに重要な橋渡し役であったことがわかるが、肝心の作品はかつては顧みられることが少なかった。この歴史に埋もれかけた作曲家の大切さを再発見させたのは、1980年代のマーラー・ブームもさることながら、ゲルト・アルブレヒトが行った一連のオペラ発掘とマゼールとベルリン・フィルの「叙情交響曲」のドイツ・グラモフォン録音、そしてこのシャイーの「人魚姫」であるといってよいだろう。作風はマーラーの流れをうけとめる爛熟期の後期ロマン派の作風で、初期のシェーンベルクやウェーベルン、初期スクリャービンの先駆である。
陶酔感を伴う音楽に安心して身を委ねながら聴いているだけでいいレコード
- ツェムリンスキー(1871〜1942)が1903年に作曲した大管弦楽のための幻想曲『人魚姫』(Die Seejungfrau)は、3楽章からなる交響詩である。「海の若い乙女」が直訳。人魚姫のこと、海の精とでも言った方が感じがいい。本作はアンデルセンの童話「人魚姫」に基づいていますが、本作の4年前に初演されたドヴォルザークの歌劇「ルサルカ」も、素材はスラヴ伝説ですがストーリーは「人魚姫」に基づいています。人魚姫は人間になると言葉が話せなくなる設定なので、歌劇ではそれなりの工夫が必要になりますが、本作は交響詩なので問題ないです。アンデルセンの原作通りの感動と余韻をツェムリンスキーも素直にそのまま描いている。「人魚姫」と同時に初演されたシェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」が難解さ、晦渋さの傾向にあるとすれば、ツェムリンスキー「人魚姫」はナイーヴと言っていいほどの分かり易さが随所にあふれている。当初掲げていた標題を作曲者自身が削除したにもかかわらず、「人魚姫」は標題音楽として大変魅力的である。率直に言って、何の予備知識もなしに聴くと、おそらくほとんどの人の感想は「魅力的な部分はあるがよくわからない」「全体にモヤモヤして退屈だ」「長い」「映画音楽?」あたりに落ち着くのではないだろうか。3楽章からなる作品に表題性はあまり感じられない。ある標題音楽の内容を予備知識なしに100%伝えることは、リヒャルト・シュトラウスの腕前をもってしても不可能であろう。そもそも事前情報抜きに標題音楽を聴くことに意味はあるだろうか?。好む好まざるは別として、現実に標題音楽というジャンルがあり、名曲と言われるものが少なからず残っているのだから、事前情報を大いに取り入れて楽しむべし。海の精が王子と会い、恋をし、最後は自己犠牲で死んで行くらしいが、こうしたことを気にせずに虚心に聴くのがよい。ことに2楽章のヴァイオリン・ソロの愛の旋律は大変親しみやすくかつ美しい。この旋律は一度聴くと忘れられなくなって、何かの拍子に思いだしてしまう。後期ロマン派の薫りが残っていると言えそうな、華麗で耽美的で、眩いまでに色彩的で、陶酔感を伴う音楽であり、全編にロマンティックな曲だから、大管弦楽団を存分にドライブして、ドラマティックで豪壮。絢爛なうねりにうねる演奏も在りだが、ツェムリンスキーの使徒リッカルド・シャイーはそこはキッチリと全体を構成したなかに、ロマンティック感を表出させてみせる。見通しがクッキリとしていて、誠に聴きやすい。更に言えば、歌心に満ち溢れていて、燦々たる陽光が差しているかのような音楽となっている。とても心地よくもある。壮麗な音楽世界の広がってゆく音楽だとも言いたい。機能的なドイツのオーケストラの特徴が良くいかされていて火の打ちどころがない。ツェムリンスキーの音楽に安心して身を委ねながら、その世界を堪能することのできる、素敵な演奏の素敵なレコードである。
- 初演は1905年1月25日にウィーン楽友協会において、作曲者の指揮でウィーン演奏協会管弦楽団によって行われた。この時シェーンベルクの交響詩『ペレアスとメリザンド』も作曲者自身の指揮で初演されている。評論家の反応は概ね好意的であった。その後は1906年12月にベルリンにおいてヴァルター・マイロヴィッツの指揮によって、1907年11月にはプラハにおいてアルトゥル・ボダンツキーの指揮によって上演された。にもかかわらず、プラハ公演から暫くしてツェムリンスキーは作品を撤回した。ツェムリンスキーはやがて第1楽章の譜面を知人のマリー・パッペンハイムにプレゼントとして与えてしまう。彼女とツェムリンスキーの交友関係は、1930年代まで続いたということを除いてほとんど知られていない。「人魚姫」の断片を彼女に贈ったのは、感謝の印か、尊敬からか、あるいは愛情からなのか、我々には知るよしもない。第2楽章と第3楽章は1938年にオーストリアからニューヨークに出国する時に携えており、「死の交響曲」として改作する意向であったともいわれるが、ツェムリンスキーの未亡人ルイーズは、変ホ長調交響曲の生き残りの断章であると思い込んでいた。ペーター・ギュルケの指揮するオーストリア・ユーゲント・フィルハーモニーによって再演されたのは初演から80年後の1984年。リッカルド・シャイー指揮ベルリン放送交響楽団の録音は商業録音での世界初録音。それからというもの、同曲はツェムリンスキーの最も頻繁に演奏される楽曲の一つとなった。ツェムリンスキーが初演に先んじて第2楽章から削除した、人魚姫が海の魔女を訪れる場面を描いた88小節は2013年に学術校訂版として出版されているが、カット稿に基づく録音が主立っている。
- 1986年3月録音。
- Producer: Michael Haas, Recording engineer: Stanley Goodall.
- Cover: 'The Little Mermaid' by Edmond Dulac, エドモンド・デュラックによる「人魚姫」挿絵.
プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)
- レーベルDECCA
- レコード番号6.43548 AZ
- 作曲家アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー
- 楽曲
- 交響詩「人魚姫」
- 合唱と管弦楽のための詩篇第13番
- 演奏者エルンスト・ゼンフ合唱団(合唱指揮:エルンスト・ゼンフ)
- オーケストラベルリン放送交響楽団
- 指揮者リッカルド・シャイー(指揮)
- 録音年月1986年3月
- 録音プロデューサーProducer: Michael Haas
- 録音エンジニアRecording engineer: Stanley Goodall
- 録音場所ベルリン、イエス・キリスト教会
- 録音種別STEREO DIGITAL
- 製盤国DE(ドイツ)盤
- レーベル世代シルバーレ-ベル
ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)
- 商品番号370673
- 盤コンディション良好です(MINT~NEAR MINT)
- ジャケットコンディション良好です(ジャケット表面右上と内袋にパンチ穴あり)
- 価格5,500円(税込)
- 商品リンクhttps://www.lpshop-b-platte.com/SHOP/370673.html
- ショップ名輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ
- ショップ所在地〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室
- ショップアナウンスべーレンプラッテからお客様へ
当店のレコードは、店主金子やスタッフたちが、おもにヨーロッパに直接出向き、実際の目と耳で厳選した、コンディション優秀な名盤ばかりです。国内で入手したものや、オークション品、委託商品はございませんので、安心してお求めになれます。
CDと参考本はアマゾンで購入できます。
- 上岡敏之(指揮)新日本フィルオクタヴィア・レコード2018-05-23
- Naxos2009-09-16
- Danish NrsoDACAPO2006-08-01
- VpoPolygram Records1998-10-20
- クルーゼ(ハインツ)ポリドール1997-11-22
- 渡辺 護音楽之友社1998-12-10
- 渡辺 護音楽之友社1998-12-10
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