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フランスの作曲家、ルイ・エクトル・ベルリオーズLouis Hector Berliozが没した日(1869年)。医学生から音楽学生に転向したベルリオーズは27歳の頃に《幻想交響曲Symphonie fantastique》を作曲し、作曲家としての名声を高めることに。同作の影響はその後の多くの作曲家たちへと及ぶ。他にもベルリオーズといえば執筆活動や指揮者としても活躍しており、当時100年近く演奏されていなかったバッハの《マタイ受難曲》を復活上演するなどその功績は大きい。

  • 名曲の陰に潜む殺人計画

  • 自由奔放な性格を持った最もロマン派的な作曲家。幼少の頃からすこぶる感受性が強かったルイ・エクトル・ベルリオーズ少年はウェルギリウスの数節で涙したという。医者の家に生まれたため大学では医学を学んだが、途中で音楽学校に転校し、作曲の道を歩むようになる。27歳で大作「幻想交響曲」を作曲し、まもなくローマ大賞を獲得してローマに遊学した。「幻想交響曲」は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの死後数年を経ずして書かれたにもかかわらず、全曲を一貫する「固定概念」という新しい手法を編み出したり、また膨大な楽器編成による色彩豊かで革新的な管弦楽法は、フランツ・リストその他のロマン派の作曲家たちに大きな影響を与えた。
  • 序曲「ローマの謝肉祭」、「ファウストの劫罰」、歌劇「ベンベヌート・チェリーニ」などは特に有名。ほかに「管弦楽法」という著書も有る。
  • ベルリオーズは、1803年フランス南東部のラ・コート・サンタンドレで生まれた。彼の父親は医者で、恵まれた環境の中で育てられた。パリの大学で医学生として勉強していた彼は、次第に音楽に傾倒し、ついに父親の反対を押し切る形で、パリ音楽院に入学したのであった。
  • 長じてからは一連の恋愛事件甚だしい。
  • 音楽家となった彼は、貧困生活を送りながら作曲活動をしていたが、生前は全くと言っていいほどフランスで評価されることは無かった。また、世界一のヴァイオリニストとして有名なニコロ・パガニーニが彼にお金をくれたという逸話が残されている。現在の金額にして1000万円ほどとのことで、ベルリオーズはこれに感謝し、パガニーニに曲を献呈しているのだが、どうやらこれは、楽譜屋が楽譜を売るために作った作り話であったことが分かっている。
  • 出世作《幻想交響曲》にまつわる恋の情熱

  • ベルリオーズの「幻想交響曲」の原題は『ある芸術家の生涯の出来事、5部の幻想的交響曲』(Épisode de la vie d'un artiste, symphonie fantastique en cinq parties)。フランスにはもともと交響曲の伝統が無く、なおかつこの作品における長い標題は新しいものであった。
  • 「恋に深く絶望しアヘンを吸った、豊かな想像力を備えたある芸術家」の物語を音楽で表現したもので、イマジネーションではなくベルリオーズの実体験が音楽となっている。その赤裸々さが凄みとなって聴き手を惹きつけるのだろう。
  • 彼が「幻想交響曲」を作曲する動機となったのは、イギリスの女優ハリエット・スミスソンへの片思いだった。パリでイギリスの劇団が「ハムレット」を上演した時、ヒロインのオフィーリアを演じたのがハリエット・スミスソンだった。ベルリオーズは彼女に一目惚れするが、人気女優が駆け出しで無名の作曲家を相手にするはずがない。結局、彼女が次の公演地であるオランダに出発することとなり、この恋愛には終止符が打たれたが、そでにされた傷み。この一方的とも言えるスミスソンへの愛と憎しみを「幻想交響曲」に昇華させた。
  • と、ここまでは楽曲の来歴として語られる。
  • でも、先が有る。作曲の途中で彼は新たな恋をする。マリー・モークという名の18歳のピアニストだ。二人は結婚の約束を取り交わし、その幸せが呼び込んだのか新進作曲家の登竜門ローマ大賞を受賞した。
  • そのままサクセスストーリーとはいかなかった。ローマ大賞受賞の条件としてローマ留学中に幸福の終焉は訪れた。
  • ベルリオーズはマリー・モークと婚約していて安心していたのか、モークの母はベルリオーズを好ましく思っておらず、ベルリオーズがローマに滞在中の隙をついて、モークの母は娘をピアニストでピアノ製造家のカミーユ・プレイエルに嫁がせた。
  • モークの母親からの手紙に『娘との結婚は許した覚えがない』と、さらにベルリオーズをなじる言葉が先に続いた。ベルリオーズは激怒、殺人計画を企てる。ターゲットはモークと母親、そして婚約者の三人だ。密かにパリに引き返し、女中に変装して三人に近づき、全員をピストルで射殺して、最後は服毒自殺しようというものだ。いざ決行の日。ベルリオーズは変装のための女性用衣装と化粧道具、ピストル二丁と毒薬を持って馬車でパリに向かう。
  • が、旅馬車を雇い、長距離を日夜休み無く走らせたことでトラブルに遭遇。途中、馬車が車輪を付け替えるために一時停止した。さらに、ニースにたどり着くまでに女装用の服を紛失していた。場所はフランスの国境近くの海岸だった。その時、聞いた波の音でベルリオーズは我に戻ったという。「聴衆の拍手が待っている。」・・・ベルリオーズは「幻想交響曲」に手を加えようと考えていたのを思い出した。彼はローマへと道を引き返した。殺人未遂で終わった。
  • 彼の作った標題付の交響曲がその後、リストの交響詩などに影響を与えたのは間違いなく、若きベルリオーズの情熱が新しい音楽を作り出したのである。《幻想交響曲》は大評判となり、新進気鋭の青年作曲家ベルリオーズと、この時の女優ハリエット・ハミルトンは初演の3年後に結婚している。
  • 革新的な管弦楽法。標題音楽の創案者 ベルリオーズ Louis Hector Berlioz

  • 失恋をきっかけに作った曲が、その後のクラシック音楽のあり様を大転換した。
  • この頃は超絶技巧のピアニストだったリストは、ジャニーズ級のアイドルで、そのパフォーマンスで多くの婦人たちは失神するほどだった。ベルリオーズは、このリストを介して、ウィーンから逃れるようにパリにやって来たフレデリック・ショパンとも知り合う。やがてリストは、マダム・ダグーと逃避行。消息を絶ったリストは、旅の途中で死んだ、という流言がひろがり。リストはパリに舞い戻る。そして、後期ロマン派音楽の中心人物になっていく。
  • フランス革命が起こり、バッハやヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトといったバロック音楽の作曲家は忘れられた。ベルリオーズはクラシック音楽に新しい風を吹き込んでいく。
  • ベートーヴェンの音楽の中では、古典主義の骨格、そしてロマン派の萌芽が既に内包された音楽になっていた。彼は、形式を土台として精神は、進取のロマン派の音楽であったところが、ベルリオーズ(1803~1869)の音楽は、純粋なロマン派の音楽として君臨したのであった。教会の奥で埃を被り、バザーに出せないものかという扱いだったヨハン・ゼバスティアン・バッハのマタイ受難曲を蘇演したフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディが作曲した、合唱付きの交響曲、交響曲第2番変ロ長調作品52「讃歌」の初演は1840年のことで、当時の年表をひもとくとリヒャルト・ワーグナー(1813~1883)がその活躍を始める時期と重なることが分かるのは、興味深い。
  • DE DGG 2740 199 イヴォンヌ・ミントン プラシド・ドミンゴ ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ ジュール・バスタン ダニエル・バレンボイム パリ管 ベルリオーズ・ファウストの劫罰(全曲)

  • 370553
    • 《鮮やかで妖しく美しいジャケット・デザインが印象的なベルリオーズ・シリーズ。》

    • ウッドストック・フェスティヴァルからのフラワームーブメント渦中に成長したダニエル・バレンボイムの超人的なまでの音楽への積極姿勢には舌を巻く。 ― ロックでもジャズでも選べることが出来た世代。自由意志でクラシック音楽の演奏家を志したバレンボイムの積極姿勢に惹かれる。一連のクロード・ドビュッシーの管弦楽、宗教劇作品でも明快なドビュッシーの淡い色彩感でなく多彩な音色がきらめく生き生きとした演奏です。エクトル・ベルリオーズの管弦楽、劇音楽に於いてのけっこう自由なアプローチも、感興重視のバレンボイムならでは。
    • バレンボイムは演奏家である前に、独自の音楽観を持った音楽家であり、楽想そのものの流れを掴むことのできる稀有な才能の持ち主であろう。テンポの揺れは殆ど無く、凪の中で静かに時間が進み、色彩が移り変わっていく。全体的には厚めの暖かみのある音色で、煌めき度は高くなく沈んだ暖色系の色がしている。ホールに分厚く渦巻く演奏の熱気が余すところなく捉えられていたミュンシュのパリ管弦楽団から、主旋律を基調にした、解釈の斬新さと演奏の集中力という点では「内向的情熱」とでもいった熱気をただよわせて、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーやオットー・クレンペラーが瞠目した早熟性が垣間見れます。
    • 7歳でピアニストとしてデビューしたバレンボイムの演奏を聴いた指揮者、イーゴリ・マルケヴィッチは『ピアノの腕は素晴らしいが、弾き方は指揮者の素質を示している』と看破。1952年、一家はイスラエルへ移住するが、その途上ザルツブルクに滞在しフルトヴェングラーから紹介状“バレンボイムの登場は事件だ”をもらう。エドウィン・フィッシャーのモーツァルト弾き振りに感銘し、オーケストラを掌握するため指揮を学ぶようアドヴァイスされた。
    • ピアニスティックな表現も大切なことだとは思いますが、彼の凄さはその反対にある、音楽的普遍性を表現できることにあるのではないか。『近年の教育と作曲からはハーモニーの概念が欠落し、テンポについての誤解が蔓延している。スコア上のメトロノーム指示はアイディアであり演奏速度を命じるものではない。』と警鐘し、『スピノザ、アリストテレスなど、音楽以外の書物は思考を深めてくれる』と奨めている。バレンボイムの演奏の特色として顕著なのはテンポだ。アンダンテがアダージョに思えるほど引き伸ばされる。悪く言えば間延びしている。そのドイツ的重厚さが、単調で愚鈍な印象に映るのだ。その表面的でない血の気の多さ、緊迫感のようなものが伝わってくる背筋にぞっとくるような迫力があります。この時期のレコードで特に表出している、このロマンティックな演奏にこそバレンボイムを聴く面白さがあるのです。トリスタンを振らせたらダニエルが一番だよとズービン・メータが賞賛しているが、東洋人である日本人もうねる色気を感じるはずだろう。だが、どうも日本人がクラシック音楽を聞く時にはドイツ的な演奏への純血主義的観念と偏見が邪魔をしているように思える。
    • フランスの名指揮者、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)がその最晩年に持てるエネルギーの全てを注いだのが、パリ管弦楽団の創設と育成でした。1967年6月、フランス文化相アンドレ・マルローと文化省で音楽部門を担っていたマルセル・ランドスキのイニシアチブにより、139年の歴史を誇りながらも存亡の危機を迎えていた名門パリ音楽院管弦楽団の発展的解消が行われ、新たに国家の威信をかけて創設されたのがパリ管弦楽団で、その初代音楽監督に任命されたのがミュンシュでした。第2次世界大戦前にパリ音楽院管弦楽団の常任指揮者を務めていたミュンシュ以上にこの新たなオーケストラを率いるのにふさわしい指揮者はおらず、同年10月2日からの綿密なリハーサルを重ねてむかえた11月14日の第1回演奏会は、国内外に新しいフランスのオーケストラの誕生をアピールする大成功を収めたのでした。その1年後、1968年11月、パリ管弦楽団の北米ツアーに同行中にリッチモンドで心臓発作のため急逝するまで、ミュンシュは30回ほどの共演を重ねるとともに、EMIにLP4枚分の録音を残しました。
    • このオーケストラは1967年の創設以来次々と音楽監督が代わりましたが、1975年にバレンボイムがその地位に就任してからは、得意のフランス音楽を中心に積極的な活動を展開するようになりました。
    • 1978年の優秀録音。ボックス入り。

プロダクト・ディテール(ヴィンテージ盤)

  1. レーベル
    Deutsche Grammophon
  2. レコード番号
    2740 199
  3. 作曲家
    • エクトル・ベルリオーズ
  4. 楽曲
    • 劇的物語「ファウストの劫罰」全曲
  5. 演奏者
    • イヴォンヌ・ミントン(メゾ・ソプラノ)
    • プラシド・ドミンゴ(テノール)
    • ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
    • ジュール・バスタン(バス)
    • パリ管弦楽団合唱団
    • パリ児童合唱団
  6. オーケストラ
    パリ管弦楽団
  7. 指揮者
    ダニエル・バレンボイム
  8. 録音年
    1978
  9. 録音種別
    STEREO DIGITAL
  10. 製盤国
    DE(ドイツ)盤

ショップ・インフォメーション(このヴィンテージ盤はショップサイトの扱いがあります。)

  1. 商品番号
    370553
  2. レコード盤コンディション
    未開封
  3. ジャケットコンディション
    未開封
  4. 価格
    13,200円(税込)
  5. 商品リンク
    https://www.lpshop-b-platte.com/SHOP/370553.html
  6. ショップ名
    輸入クラシックLP専門店 ベーレンプラッテ
  7. ショップ所在地
    〒157-0066 東京都世田谷区成城8-4-21 成城クローチェ11号室
  8. ショップアナウンス
    べーレンプラッテからお客様へ
    当店のレコードは、店主金子やスタッフたちが、おもにヨーロッパに直接出向き、実際の目と耳で厳選した、コンディション優秀な名盤ばかりです。国内で入手したものや、オークション品、委託商品はございませんので、安心してお求めになれます。

CDはアマゾンで購入できます。
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