34-22247

商品番号 34-22247

通販レコード→米レッド・シェード・ドッグ盤

アッピア街道を凱旋してくるローマ軍団が眼前に迫る大迫力は、この盤でしか聴くことのできない強烈な音体験。 ―   交響詩《ローマの松》はオーケストラの醍醐味が堪能できる壮麗な音絵巻。オーケストラ音楽を初めて生で聴いた全ての人が、興奮状態でコンサートホールを後にする。ステージから溢れるほど多くの楽員が並んだ上に、やがて客席の数ヶ所に陣取った金管楽器奏者たちが立ち上がって、これでもかとばかりに迫力満点の吹奏を繰り広げる。そのあまりに壮麗な響きにたまげるからだ。その破天荒な迫力に満ちた音楽を書いたオットリーノ・レスピーギは、オペラでなければ音楽ではないというような19世紀後半のイタリアに生まれ、後に純粋器楽の復興の旗頭になった。代表作が「ローマ3部作」と題された交響詩。その第2作として1924年に初演された《ローマの松》を締めくくる第4部、「アッピア街道の松」(YouTube動画の15分以降)では、霧に包まれた夜明けの軍用街道を、古代ローマ軍が進軍してくる様が描かれる。ただ、この曲の醍醐味は、コンサートホールでしか味わえない。令和元年9月29日に鶴屋百貨店のクラシックサロンで、実行した鑑賞会で聴いて感動したレスピーギの交響詩「ローマの噴水」と、「ローマの松」。本盤がそのレコードです。これまた、フリッツ・ライナー=シカゴ交響楽団の素晴らしさを知るための恰好の1枚で、オーケストラの各パートの名技 ― 特に金管セクションの見事さ、を完璧にコントロールするライナーの指揮者としての桁外れの才能を刻印しています。アルトゥーロ・トスカニーニ=NBC交響楽団の名盤に匹敵する名演で、作品のオーケストレーションの妙が完璧な精度で描き出されており、特に「アッピア街道の松」のクライマックスは圧倒的。聴き終わって、立ち上がって拍手していた参加者の笑顔が眩しかった。何かを会得したような表情でしたので、感想を問うと、映像はないけれども感動する映画を見た後のような気分。情景が見えてくるようだったと、楽曲の、演奏の本質が言い得ていたので驚いた。以前、シベリウスの交響曲第1番を聴いた時の反応も、日本の音楽のように親しみを感じると言われて嬉しかったが、20世紀の音楽は、ベートーヴェンよりも楽しんでもらえるクラシック音楽だったのか。シカゴ響と名演を色々のこしているライナーと、シャルル・ミュンシュに共通して言えるのは、この楽団のアンサンブル能力を極限まで引き出すことに成功していることと、その卓越したリズム感覚である。20世紀のアメリカのオーケストラは元気があった。少しも淀むことのない圧倒的な「色の洪水」を味わえる。そして常に前ノリで続いてゆく疾走感は、ヨーロッパ系オーケストラでは到底味わえない楽しさがある。本当にローマの兵士が凱旋行進をしながら歩いてくるような光景が脳裏に浮かぶ。「イメージに満ちた演奏」とはこの事である。そして、木管の燦めくアルペジオ、ミュート・トランペットの劈くパッセージなど、雑味のようなところが薬味に転じているのは、調整の行き届いたオーディオ装置で聴いたからだろうか。シェーンベルクの十二音技法、ストラヴィンスキーの新古典派主義といった新しい語法を模索していた20世紀初頭は、ロマン派という巨大な球体のような音楽が破裂寸前まで膨張した時代である。遅れてきたロマン派作曲家レスピーギの音楽を聴き終わった後の満足感が保証されるのは、近代的な和声法やテクスチュアと忘れられていた音楽から新しい音楽語法を融合させている、「新ルネサンス様式」「新バロック様式」と呼べる過去の作曲家や古い様式への献身にある。イタリアから伝搬していった音楽文化の、ヨーロッパ全土からの影響を咀嚼して、現代的な音楽文化を成立させた。交響詩「ローマの噴水」は、「朝のトリトンの噴水」や「昼のトレヴィの噴水」といった観光名所に、神話の物語を重ねながら、「夜明けのジュリアの谷の噴水」から、市井の朝、行政中心部の昼、古の栄光を偲ぶように「メディチ荘の噴水」でたそがれを迎える。ローマはその輝かしい栄光と美しさを讃えて「永遠の都」とも呼ばれています。古代ローマの闘技場「コロッセオ」など歴史の跡が今もなお残る街。でもローマで私たちを待っているのは遺跡だけではありません。そして交響詩「ローマの松」はローマにある松の名所が描かれています。ローマでは〝繁栄・不死・力〟の象徴とされ、古代から大切にされてきました。そのため、ローマには到處に松の木があります。映画「ローマの休日」でも、オープニングや、「いいところね」と、アン王女がアパートの屋上から見晴らす風景の中に松を見つけてください。この楽曲には、いったいどんな松が描かれているのか、もともとは貴族の邸宅だった「ボルゲーゼ荘の松」は、今ではローマ市民の憩いの場となっています。悲しげな聖歌が地底深くから立ち昇り、荘厳に響き渡る様子を松が見守っている「カタコンブの松」。街を見渡せる、眺めの良い場所にある「ジャニコロの松」の日が暮れて夜になると、穏やかな満月の下、松の姿が浮かび上がり、鳥の歌い声が聞こえてきます。夢のなかで古代の争いが振り返られる「アッピア街道の松」。「すべての道はローマに通ず」なんて言われるローマの道の中でも、もっとも長い歴史を誇ります。古代、戦いに勝ったローマ軍が行進した栄光の道です。ローマからイタリア南端まで全長約560キロにも及ぶ長い、長い街道の両側に松は聳え立っています。昔も今も、ローマの風景に溶け込んでいる松。松は輝きに満ちたローマの歴史を何千年もの間、見守ってきたのです。さて、「ジャニコロの松」のスコアには、〝GRF〟と書かれた指示があります。第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて、20世紀前半は戦争の時代でした。この最中に活躍したレスピーギの作品はファシスト党政権にも非常に好評であったが、レスピーギ自身はまだファシズムに深入りしてはいなかった。後半生はベニート・ムッソリーニのファシスト党とぎこちない関係を続けた。その頃、蓄音器は文化の象徴でしたから、楽器の一つとしてレスピーギは音楽史の一葉に遺しました。ナイチンゲールの鳴き声を録音したレコードが蓄音機(Grf)で再生されるわけです。→コンディション、詳細を確認する
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20世紀オーケストラ演奏芸術の一つの極点を築き上げた巨匠フリッツ・ライナー(1888〜1963)は、エルネスト・アンセルメ(1883〜1969)、オットー・クレンペラー(1885〜1973)、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954)、エーリヒ・クライバー(1890〜1956)、シャルル・ミュンシュ(1891〜1968)らと同世代にあたる名指揮者のなかで、19世紀の名残りであるロマンティックな陶酔よりも、20世紀の主潮である音楽の客観的再現に奉仕した音楽家です。ブダペスト音楽院でバルトークらに作曲、ピアノ、打楽器を学び、1909年にブダペストで指揮デビュー。第一次世界大戦以前から、ブダペスト歌劇場(1911〜1914)、ザクセン宮廷歌劇場(ドレスデン国立オペラ)(1914〜1921)を経て、1922年に渡米しシンシナティ交響楽団(1922〜1931)、ピッツバーグ交響楽団(1938〜1948)の音楽監督を歴任。その後メトロポリタン歌劇場の指揮者(1949〜1953)を経て、1953年9月にシカゴ交響楽団の音楽監督に就任し、危機に瀕していたこのオーケストラを再建、黄金時代を築き上げました。その後、1962年まで音楽監督。1962/1963年のシーズンは「ミュージカル・アドヴァイザー」を務める。ライナー着任時のシカゴ響には、すでにアドルフ・ハーセス(トランペット)、アーノルド・ジェイコブス(チューバ)、フィリップ・ファーカス(ホルン)、バート・ガスキンス(ピッコロ)、クラーク・ブロディ(クラリネット)、レナード・シャロー(ファゴット)といった管楽器の名手が揃っており、ライナーはボルティモアからオーボエのレイ・スティルを引き抜いて管を固め、またメトロポリタン歌劇場時代から信頼を置いていたチェロのヤーノシュ・シュタルケル、コンサートマスターにはヴィクター・アイタイという同郷の名手を入団させて、「ライナー体制」を築き上げています。このライナーとシカゴ響は、ヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ジョージ・セル&クリーヴランド管弦楽団、ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団などと並び、20世紀オーケストラ演奏芸術の極点を築きあげたのです。
フリッツ・ライナー(Fritz Reiner 1888.12.19〜1963.11.15)は、ブダペスト生まれ。生地のリスト音楽アカデミーで学び、卒業後ブダペスト・フォルクスオーパーの楽団員となった。ここで声楽コーチを兼任した彼は1909年にビゼー「カルメン」を指揮してデビュー。翌年ライバッハ(現リュブリャーナ)の歌劇場に移り、翌1911年ブダペストに戻りフォルクスオーパーの指揮者となり、1914年にはワーグナー「パルジファル」のハンガリー初演を行う。1914年からはドレスデン国立歌劇場の指揮者として活躍。ヨーロッパ各地に客演した。1922年米国に渡ってシンシナティ交響楽団の常任指揮者となり、この楽団の水準を高めたが、厳しいトレーニングと妥協を許さない方針への反発から1931年に辞任。同年カーティス音楽院の教授に就任。1936年にオットー・クレンペラーの後任としてピッツバーグ交響楽団の音楽監督となり、このオーケストラをアメリカ屈指の水準に高めた。1948年からはメトロポリタン歌劇場の指揮者を務め、1953年にラファエル・クーベリックの後任としてシカゴ交響楽団の音楽監督に迎えられた。ここでも彼の厳格なトレーニングと妥協しない頑固さは様々な対立を産み出したが、確かにこの時代にシカゴ響は世界最高水準の実力を持つ黄金時代を迎えたのである。同時にヨーロッパでも活躍。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とも密接な関係を保った。先ずバルトークが代表的な名演奏。弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽。管弦楽のための協奏曲はオーケストラの力量も相まって古典的な名盤(1955,1958年)。ドレスデン国立歌劇場時代以来最も得意としたリヒャルト・シュトラウスは「ツァラトゥストラはかく語りき」(1954,1962年)、「英雄の生涯」(1954年)、「ドン・ファン」(1954,1960年)などがある。ベートーヴェンの交響曲は第2番のみ録音しなかったが、厳格で直截な力のある表現が快い。他のムソルグスキー「展覧会の絵」(1957年)、ドヴォルザーク「新世界より」(1957年)、レスピーギ「ローマの松、ローマの噴水」(1959年)などがあった。オーケストラの小品にも引き締まった演奏が多い。オペラ録音はメトロポリタン歌劇場時代の「カルメン」のみなのが長く歌劇場で活躍したライナーだけに惜しい。同曲も独特の厳密な音楽作りがユニークである。晩年にウィーン・フィルと録音したアルバムはいずれも円熟した芸風。シカゴ響の緻密さとは違った柔軟さがあった。ブラームス「ハンガリー舞曲」&ドヴォルザーク「スラブ舞曲」(1960年)、ヴェルディ「レクイエム」(1960年)、リヒャルト・シュトラウス「死と変容」&「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(1956年)などがある。
蓄音機愛好家にとっては 『新世界交響曲』にはレオポルド・ストコフスキーとトスカニーニの2大決定版があるが、時代を引き継いだ、ステレオLPレコードの新世界を幕開けしたのが本盤といえる。虚飾を排したストレートなダイナミズムは感動的だ。シカゴ交響楽団と言えば、サー・ゲオルク・ショルティの時代におけるスーパー軍団ぶりが記憶に新しいところだ。ただ、ショルティがかかるスーパー軍団を一から作り上げたというわけでなく、シカゴ響に既にそのような素地が出来上がっていたと言うべきであろう。そして、その素地を作っていたのは、紛れもなくフリッツ・ライナーであると考えられる。もっとも、ショルティ時代よりも演奏全体に艶やかさがあると言えるところであり、音楽性という意味では先輩ライナーの方に一日の長があると言えるだろう。演奏自体は必ずしも深みのあるものではなく、その意味ではスコアに記された音符の表層を取り繕っただけの演奏に聴こえるのは、カール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤンら同時代の演奏と比べているからだろう。しかしライナー=シカゴ響といえば金管楽器や木管楽器の力量も卓越したものがあり、異様に凝縮したオーケストラのアンサンブルの鉄壁さは言うに及ばず。全ての楽器が完璧なバランスで結晶化して鳴り響き、感動的なクライマックスを築いていました。ライナーが残した唯一の『新世界交響曲』は、聴き慣れた作品からも新たな魅力を引き出し、音楽的な純度を際立たせるライナーの手腕が発揮された名演。ドヴォルザークの音楽に特有のローカルな雰囲気を感じさせず、絶対音楽としての美しさを極めた演奏で、特にイングリッシュ・ホルンの名ソロが聴ける第2楽章の静かな美しさは、惚れ惚れするほど見事。アルトゥーロ・トスカニーニとレパートリーも多く重なりブラームスの交響曲4番などを聴くとライナーがより厳格だったのでは、と思わせるくらい厳しい表情を見せています。シカゴのオーケストラ・ホールは、ボストン・シンフォニー・ホールよりも録音に向いていたようで、このホールで収録された1950年代・1960年代のライナー=シカゴ響の録音はいずれも高いクオリティに仕上がっており、オーケストラのトゥッティの響きと各パートのバランスの明晰さが両立した名録音が多いです。1958年ステレオ時代の到来と共に、RCAはライナー指揮シカゴ響と専属契約を結び、数々の名演奏を録音しました。〝Living Stereo〟は最も自然でありスリリングな録音で、現在でも他の録音に全く劣らないものです。1954年は、まだステレオは実験段階だったと思うが、当時の先進企業米国RCAは、いち早くステレオ技術を取り入れ、見事な録音を行っていたのである。其の代表作が、偉大なRCAステレオ録音第一号盤、LSC1806の「ツァラトゥストラはかく語りき」だったのではなかろうか。その成功を十分に取り入れて1959年に録音したのが本盤。製作陣はRCAの一軍、リチャード・ムーア&ルイス・レイトン。個々のパートまではっきり分離するステレオは、生の音とはやや趣を異にするとはいえ、やはりすごい。スタジオ録音とはとても思えない熱気を孕んでいる。一発取りをしたとしか思えない怒濤の極みです。アンサンブルを引き締めながら、強靭な造形が生む緊張感の素晴らしさがハッキリと感じ取れます。
録音史に残る名録音 ― LIVING STEREO

1950年代半ばから1960年代初頭、ステレオ技術にこそレコードの将来性を感じたRCAは積極的に2チャンネルおよび3チャンネル録音を推進。ライナー、ミュンシュ、モントゥー、ルービンシュタイン、ハイフェッツ、フィードラーなどの名演奏家たちの決定的な解釈が、ずば抜けた鮮度と立体感を誇る音質によって次々と録音されました。 1958年になってウエスタン・エレクトリック社によりステレオLPレコードの技術が開発され、同じ年、RCAはついに念願のステレオLPレコードを発売、『ハイファイ・ステレオ』の黄金時代の幕開けを告げたのです。 RCAのチーフ・エンジニア、ルイス・レイトンを中心に試行錯誤を経て考え抜かれたセッティングにより、ノイマンU-47やM-49/50などのマイクロフォンとRT-21(2トラック)やAmpex社製300-3(3トラック)といったテープ・デッキで収録されたサウンドは、半世紀近く経た現在でも、バランス、透明感、空間性など、あらゆる点で超優秀録音として高く評価されています。

フリッツ・ライナー=シカゴ交響楽団のRCAレーベルへの録音は、1954年3月6日、シカゴ響の本拠地オーケストラ・ホールにおけるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」のセッションで始まりました。この録音は、その2日後に録音された同じリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と並び、オーケストラ・ホールのステージ上に設置された、わずか2本のマイクロフォンで収録された2トラック録音にも関わらず、オーケストラ配置の定位感が鮮明に捉えられており、録音史に残る名録音とされています。ステレオ初期のカタログではセミ・プロ仕様の2トラック、19センチのオープンリール・テープは数が限られていましたが、その中でもミュンシュ=ボストン交響楽団のRCAレーベルへの録音は比較的多く存在していました。これ以後、1963年4月22日に収録された、ヴァン・クライバーンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番まで、約10年の間に、モーツァルトからリーバーマンにいたる幅広いレパートリーが、ほとんどの場合開発されたばかりのこのステレオ録音技術によって収録されました。ヤッシャ・ハイフェッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン、エミール・ギレリス、バイロン・ジャニスなど、綺羅星の如きソリストたちとの共演になる協奏曲も残されています。何れもちょうど円熟期を迎えていたライナー芸術の真骨頂を示すもので、細部まで鋭い目配りが行き届いた音楽的に純度の高い表現と引き締まった響きは今でも全く鮮度を失っていません。これらの録音「リビング・ステレオ」としてリリースされ、オーケストラの骨太な響きや繊細さ、各パートのバランス、ホールの空間性、響きの純度や透明感が信じがたい精度で達成された名録音の宝庫となっています。
  • Record Karte
  • 1959年10月24日シカゴ、オーケストラ・ホールでの録音。Producer – Richard Mohr, Engineer – Lewis Layton.
  • US RCA LSC2436 ライナー レスピーギ・ローマの松/ロー…
  • US RCA LSC2436 ライナー レスピーギ・ローマの松/ロー…
レスピーギ:ローマの松
ライナー(フリッツ)
BMG JAPAN
2006-04-26