34-11646

商品番号 34-11646

通販レコード→米シェード・ドッグ盤

〝映画スターになったピアニスト〟or〝ピアノが達者な芸人〟 ― 高度な技術を駆使しているのでしょう。ただし、それが表立つところなく、ピアノを弾くのが嬉しくて仕方ないのが伝わってきます。アメリカ人向けを意識した、ケレン味たっぷりにショウマンシップを発揮した本盤。前半はショパンで占められていますが、ドイツのシューマンからロシアのチャイコフスキー、ショパンと同じポーランドのパデレフスキ、ロペス=チャバーリという未知の音楽家、そしてスペイン出身のピアニストだからでしょうか、母国スペインのグラナドスで締めくくられます。エドゥアルド・ロペス=チャバーリ(1871〜1970)はバレンシア音楽院でピアノを教えて、グラナドスの「死の讃歌」を弦楽オーケストラ用に編曲しています。演奏はドライな音で、スポーツ観戦に似た感覚で一気に聴いてしまうほどでした。演奏者の名は、ホセ・イトゥルビ(José Iturbi Báguena, 1895.11.28〜1980.6.28)。彼は変わった経歴のピアニストでした。ワンダ・ランドフスカとヴィクトル・スタウに師事したスペインを代表するピアニストであり、パリ音楽院を経て1919年から23年にかけてジュネーヴ音楽院のピアノ科教授を務め、1923年にロンドンでデビュー・リサイタルを開き好評を博しました。1928年に渡米、フィラデルフィア管弦楽団の独奏者として1929年のセンセーショナルなアメリカ・デビュー後、1933年から1952年にかけてRCA VictorとHMVにスカルラッティ、ヨハン・ゼバスチャン・バッハ、ベートーヴェン、モーツァルトから、母国スペインのアルベニスやグラナドス、ファリャなどを録音。その膨大なレパートリーは、フランスのドビュッシーやサン=サーンスにも及ぶ。世界最初の映画音楽を作曲した、サン=サーンスは自身がピアノ演奏の大家であり、ワーグナーの楽劇のフルスコアを初見で見事に弾いて見せ、作曲者らを感嘆させたという逸話も残っている。そのサン=サーンスがベートーヴェンの熱情ソナタを意識して作った「アレグロ・アパッショナート」は魅力的な作品で、イトゥルビがそれをLPレコード初期に録音していました。ピアニストとしての活躍は目に見張るものがありますが、1933年以来、指揮者としても各地のオーケストラに客演し、1936年にはロチェスター・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者となり、1947年にエーリヒ・ラインスドルフにバトンを譲ってからはフリーとして米国内でピアニストとして、また指揮者として通俗的な曲の演奏を主とした大衆的な人気スターとして活躍、さらにはハリウッドのミュージカル映画にも多数出演する、多彩な才能の持ち主としてもその名を残した。→コンディション、詳細を確認する
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我が国でホセ・イトゥルビを一躍有名にしたのはジーン・ケリーとフランク・シナトラ共演作品第一作のミュージカル映画『錨を上げて』(Anchors Aweigh, 1945年)。休暇でハリウッドで数日を過ごす二人の水兵と町の女性との恋愛模様を描いている。配役の順ではシナトラが格付が上になっているが、実際はケリーが映画の主導権を握っている。ケリーのダンスと、シナトラの美声が満喫できる楽しい作品です。同じコンビで、同じようなシチュエーションの同じミュージカル映画の「踊る大紐育(ニューヨーク)」(1949年)もあったが、ケリーがアニメの「トム&ジェリー」のジェリーと一緒に踊るシーンは、実写とアニメの合成に驚嘆するよりも、大人の恋愛事などわからない幼い子供も大喜びだろう。ケリーが兄貴分の役柄で、シナトラは恥ずかしがり屋で女性と会話するのも苦手なので、ケリーが恋愛指南する。後には、公私ともにプレイボーイという役柄を巧みにこなすことになるシナトラだが、女性の口説き方を教えてほしいと請う若きシナトラはガリガリに痩せていた。この適役に、ケリーはこう教える。「ネズミの気持ちではチーズしか得られない。大きなものを得ようとするなら狼の気持ちになれ」。ケリーは、ジェリーと踊るほかにも、小さな女の子と「メキシカン・ハット・ダンス」を踊るが、自らのアクロバティックな振付けに優しさの溢れたダンスナンバーを披露し、少しも飽きさせない。大人も、子供も楽しめる、このような映画作品は、多様な人種が暮らしているアメリカだから求められるのか。何もかもうっちゃって楽しめる気風が素晴らしい。映画のスタジオで独りピアノを弾いているピアニストとしてイトゥルビは出演している。偉大なピアニスト兼指揮者であったイトゥルビは本人役で登場する。表紙の表情に見て取れる通り、けっしてシナトラに負けないステキな面構え。まるで食事のあとに皿に乗せたチョコレートをすすめる時に、ウェイターが見せるような粋な笑顔でコンサートグランドを弾くイトゥルビがピアノを弾きながら調律している。彼が著名な音楽家とも知らずにシナトラは「その歌、知ってるよ」と歌い始める。〝今宵 愛しあおう 月光に輝く夢の国で 星にふれれば 愛は二人のもの〟 「名曲だなあ」。「チャイコフスキーさ」と教わっても、悪びれもせずに、「それ、誰?」と問い返した、シナトラに悪気はなさそうだ。「この曲を作った人だよ」と答えるイトゥルビに、シナトラは「フレディ・マーティンだろ。ラジオで聴いたんだ」と応じられては、「作曲家は盗み合うものさ」というまで。シナトラはピアノに合わせてデタラメに歌いつづける。〝盗む気はなかったけど、ダダダララ~〟そして、「あとは忘れた。うん、良かった。僕が君なら調律士をやめるヨ。ピアニストになれる腕だ!」賛辞を受けてイトゥルビは「ありがとう。頑張るよ。君の歌も良かった。」シナトラも「ありがとう」と気持ちよさそうにスタジオを後にする。
José Iturbi ‎– Music To Remember
  • Side-A
    1. ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調 Op.53《英雄》 ― Polonaise In A-Flat, Op. 53, No. 6
    2. ショパン:幻想即興曲嬰ハ短調 Op.66 ― Fantaisie-Impromptu, Op. 66 (Posth.)
    3. ショパン:ワルツ第6番変ニ長調 Op.64-1《小犬》 ― Waltz In D-Flat, Op. 64, No. 1 ("Minute" Waltz)
    4. ショパン:ワルツ第7番嬰ハ短調 Op.64-2 ― Waltz In C-Sharp Minor, Op. 64, No. 2
    5. ショパン:マズルカ第5番変ロ長調Op.7-1 ― Mazurka In B-Flat, Op. 7, No. 1
    6. ショパン:夜想曲第9番ロ長調 Op.32-1 ― Nocturne, Op. 32, No. 1
    7. ショパン:前奏曲第9番ホ長調Op.28-9〜ショパン:前奏曲第10番嬰ハ短調Op.28-10 ― Preludes Nos. 9 And 10, Op. 28
  • Side-B
    1. ショパン:練習曲第12番ハ短調 Op.10-12《革命》 ― Etude In C Minor, Op. 10, No. 12 ("Revolutionary")
    2. チャイコフスキー:《四季》より6月 舟歌 ― June (Barcarolle in G Minor) (No. 6 From "The Months," Op. 37a)
    3. チャイコフスキー:《四季》より11月 トロイカ ― November (Troika En Traineaux in E) (No.11 From "The Months," Op. 37a)
    4. パデレフスキ:メヌエット ト長調 ― Minuet In G, Op. 14, No. 14, No. 2
    5. シューマン:ロマンス Op.28-2 ― Romance, Op. 28, No. 2
    6. ロペス=チャバーリ:モーロ城の伝説 ― El Viejo Castillo Moro (The Old Moorish Castle)
    7. グラナドス:スペイン舞曲第2番ハ短調《オリエンタル》 ― Spanish Dance In C Minor
このシーンでホセ・イトゥルビが弾いていた曲は、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」の第1楽章であった。大人気ものだったテナー・サックス・プレーヤーだったフレディ・マーティンが、1941年に自身のジャズ・バンドのためにアレンジしてレコーディングした、SPレコードで大ブーム。すぐに歌詞が挿入され、クライド・ロジャースのボーカルで「Tonight We Love」として再カットされ、彼の最大のヒットとなりました。1946年までに100万枚以上を売り上げ、RIAAからゴールド・ディスクを授与されていました。第二次世界大戦後のアメリカ合衆国ではこの『ピアノ協奏曲第1番』の演奏頻度が急増したと伝えられるが、その要因としてはアルトゥーロ・トスカニーニとウラディミール・ホロヴィッツが共演した名盤や、第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝したヴァン・クライバーンの存在が挙げられる。クライバーンの優勝は、当時冷戦で対立していたソ連でのアメリカ人の快挙として、凱旋した際にはクラシックの音楽家としては空前の大フィーバーが起こった。クライバーンの『ピアノ協奏曲第1番』はクラシックアルバム・チャートではなく、ビルボードのポップ・アルバム・チャートで7週連続1位を獲得した唯一のクラシック作品であるという事実からも、当時のアメリカ市民の中での人気ぶりが伺える。「Tonight We Love」の成功は、バンドのピアニストをフィーチャーしてラフマニノフ、グリーグのピアノ協奏曲をアレンジして続々世に送り出します。1946年、彼はプロコフィエフの「ピーターと狼」を改作した「歌うディンバット」を録音し、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが《アンナ・マクダレーナ・バッハのための音楽帖》に名前を伏せて記入したため、従来バッハの作とされてきた、バロック音楽の作曲家クリスチャン・ペツォルトの「メヌエットのト長調」を改作した「ラヴァーズ・コンチェルト」を録音した。この頃にはマーティンのバンドは、ヴァイオリン、ブラス群を抱えるオーケストラに拡大しました。サックス奏者のジョニー・ホッジスによって「ミスタ​​ー・シルバートーン」と呼ばれたマーティンは、多くのジャズ・ミュージシャンに賞賛されましたが、マーティンはジャズ・ミュージシャンになろうとはしませんでした。マーティンは常にスウィート・スタイルのバンド ― イージー・リスニング・オーケストラを率いていました。しかし、退屈な音楽を演奏するばかりのスウィート・バンドとは異なり、またマーティンのバンドは、音楽的でメロディックなバンドの中でもひと際立った存在でした。グレン・ミラーのオーケストラの初期のドラマーで、1974年にグレン・ミラーと彼のオーケストラについての著書を書いた、ジョージ・トーマス・サイモンによると、マーティンのバンドは「バンド・シーン全体で最も楽しくかつ、リラックスしたダンス・バンドの1つ」でした。
しがないピアノの調律師と見られてしまったホセ・イトゥルビは、フランク・シナトラの誤りを正すことをせず、むしろ話をあわせるという機転を利かせる、この場面は音楽を愛する二人の奇妙ながらも暖かい挿話になっています。この映画はこうしたイトゥルビの粋な応対が物語に活きていくように作られています。劇中でシナトラは歌手志望のスーザン(キャスリン・グレイスン)に恋をします。が、奥手で中々思いを伝えられません。挙句のはてには勘違いから彼女を引き立ててくれるはずだった男性を追い払う始末。もちろん彼女はカンカン。そうした彼女を宥めてシナトラの印象を良くしようと、ジーン・ケリーは取り繕おうと嘘をつきます。実は有名な音楽家と知り合いで、近いうちに会えるよう手配済みなんだ、と。その音楽家がイトゥルビです。ストーリーは、ケリー&シナトラの水兵コンビのほかに、ヒロインであるグレイスンと名ピアニストのイトゥルビの方にもかなり重点を置いた構成に流れていきます。これは、製作者のジョー・パスターナックが好んで用いる〝歌うヒロインと音楽界の大物(or 人気アーティスト)〟を組ませるという趣向 ― 「オーケストラの少女」でのディアナ・ダービン&レオポルド・ストコフスキー、「姉妹と水兵」ではジューン・アリスン&ハリー・ジェームス、「嘘つきお嬢さん」になるとグレイスン&ラウリッツ・メルヒオール、そしてジェーン・パウエル&イトゥルビでは「Holiday in Mexico」でも ― を本作でも使っているからで、歌手志望のスーザンが夢見るイトゥルビのオーディションを実現させるために水兵コンビが奔走するという方向へ話が展開します。さらに、クラシック調の曲を好んで使うパスターナック作品らしいナンバーとしては、グレイスンが美しいソプラノで歌いケリーのハートを捕らえる「ジェラシー」、客演のカルロス・ラミレスが歌うロッシーニのオペラ『セヴィリアの理髪師』より「私は町の何でも屋」、イトゥルビの弾く「ザ・ドンキー・セレナーデ」、ハリウッド・ボウルで少年少女たちとの20台のピアノ演奏によるリストの「ハンガリー狂詩曲第2番」、グレイスンがオーディションで歌うチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ ハ長調 Op.48」第2楽章のワルツに歌詞をつけた曲などがあり、目先の変わったナンバーをいろいろ楽しむことができます。特に、イトゥルビが伴奏する歌手はのびのびと歌っているし、演奏家の良い所を引き出すのが上手そうにみえ、指揮者としても優れていただろうことが伝わってくるようだ。
キャスリン・グレイスン&ホセ・イトゥルビは本作の前に「万雷の歓呼」(Thousands Cheer, 1943年)でも組んでいます。ジョージ・シドニー監督の「錨を上げて」は、水兵が主役であっても軍隊調に傾かず、日頃よく耳にする楽曲を多く用いているので、誰もが気軽に観られるミュージカル映画としてはトップクラスの作品といえるでしょう。本盤の収録曲も有名曲ばかりですが素晴らしい。サウンドトラック盤と明記されてこそいませんが、フレデリック・ショパンについての伝記映画、『楽聖ショパン』(A Song to Remember, 1945年、チャールズ・ヴィダー監督)では、イトゥルビの演奏は、ショパンを演じるコーネル・ワイルドがピアノを弾いているシーンのサウンド・トラックで使用されました。第18回アカデミー賞で録音賞候補ノミネートされています。ピアニスト・指揮者にしてシナトラに比肩する映画俳優。英コロンビア社や仏パテ社が飛びつくのも無理が無い。ピアノ・ファン、ヒストリカル・ファン要注目。
録音史に残る名録音 ― LIVING STEREO
フリッツ・ライナー=シカゴ交響楽団のRCAレーベルへの録音は、1954年3月6日、シカゴ響の本拠地オーケストラ・ホールにおけるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」のセッションで始まりました。この録音は、その2日後に録音された同じリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と並び、オーケストラ・ホールのステージ上に設置された、わずか2本のマイクロフォンで収録された2トラック録音にも関わらず、オーケストラ配置の定位感が鮮明に捉えられており、録音史に残る名録音とされています。ステレオ初期のカタログではセミ・プロ仕様の2トラック、19センチのオープンリール・テープは数が限られていましたが、その中でもミュンシュ=ボストン交響楽団のRCAレーベルへの録音は比較的多く存在していました。これ以後、1963年4月22日に収録された、ヴァン・クライバーンとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番まで、約10年の間に、モーツァルトからリーバーマンにいたる幅広いレパートリーが、ほとんどの場合開発されたばかりのこのステレオ録音技術によって収録されました。ヤッシャ・ハイフェッツ、アルトゥール・ルービンシュタイン、エミール・ギレリス、バイロン・ジャニスなど、綺羅星の如きソリストたちとの共演になる協奏曲も残されています。何れもちょうど円熟期を迎えていたライナー芸術の真骨頂を示すもので、細部まで鋭い目配りが行き届いた音楽的に純度の高い表現と引き締まった響きは今でも全く鮮度を失っていません。これらの録音「リビング・ステレオ」としてリリースされ、オーケストラの骨太な響きや繊細さ、各パートのバランス、ホールの空間性、響きの純度や透明感が信じがたい精度で達成された名録音の宝庫となっています。
  • Record Karte
  • 1956年発売。
  • US  RCA  LM1981 ホセ・イトゥルビ  MUSIC TO…
  • US  RCA  LM1981 ホセ・イトゥルビ  MUSIC TO…
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2018-11-26