34-19559

商品番号 34-19559

通販レコード→米レッド黒文字盤

自分の心を広くするために、自分の一生をピアノ演奏に限定しないために、自分ができることを何でも勉強しなさい ― リストとショパンの解釈は特に有名であるホルヘ・ボレットは、初期から実力は認められており、EVERESTに録音していた頃が「全盛期」であり、広く認められたカンタービレを重視した後年のスタイルと違い、人間業を超えた強奏なども見られる。オーディオ評論家の故・長岡鉄男氏が激賞したことでオーディオファンにも高音質で知られるようになった、伝説のエヴェレスト(Everest)レーベルは、ステレオ最初期の1950年代後半、映画と同じ35mm磁気テープを使った高音質の録音で世界のオーディオファンの支持を獲得している。Everestの35ミリ磁気テープ録音は、大編成のオーケストラに威力を発揮すると思われがちですが、ピアノ独奏も驚くべき凄さ。19世紀風ヴィルトゥオーゾとして人気の高いホルヘ・ボレット壮年期のショパン録音です。大柄な技巧が圧倒的ながら、ボレットの魅力である独特なコクのあるピアノの音色が最高。眼前に広がるピアノの響きの渦に酔わされます。木の香り漂う温かい重厚な音色を堪能できる音楽の都ウィーンの気品あるピアノ、ベーゼンドルファーのピアノは1980年までショパン国際ピアノコンクールの公式ピアノの一つであった。ベーゼンドルファーのピアノを特に愛用したピアニストとしてはヴィルヘルム・バックハウスが有名。ジャズ界においては、オスカー・ピーターソンが「ベーゼン弾き」としてよく知られている。ロンドン、デッカレーベルはベーゼンドルファーと契約しているようで、ラドゥ・ルプー、ホルヘ・ボレット、アンドラーシュ・シフ、アリシア・デ・ラローチャ、パスカル・ロジェ、ジュリアス・カッチェンなどはシューベルトの『ピアノ・ソナタ全集』やハイドンの『ピアノ・ソナタ』などウィーン古典派の作品を中心にベーゼンドルファーを弾いている。一方、ルドルフ・ブッフビンダーやシュテファン・ヴラダー、ティル・フェルナーなどの新しい若い世代のウィーンのピアニストはスタインウェイを弾いていて、あえて伝統的なベーゼンドルファーの使用を避けているようだ。
ベーゼンドルファーでモーツァルトを弾いたり、ドイツで収録されたガーシュウィンではベヒシュタインを弾くなど、様々なピアノで演奏することを好んだレナード・バーンスタインが『ヤング・ピープルズ・コンサート』という若者向けのクラシックの人気番組で、ボールドウィンのピアノを弾いて解説をしているシーンがある。ボールドウィンは1900年にはパリの博覧会でグランプリを獲ったが、これはアメリカのメーカーではじめてのグランプリだった。スタインウェイがドイツからの移民によって設立され、ドイツにも工場を持ち、ドイツ人一家でピアノの製作と経営がなされたのとは異なり、ボールドウィンは、1862年にアメリカ、オハイオ州シンシナティのヴァイオリンとオルガンの音楽教師ボールウィンによる楽器販売店としてスタートした。その後25年間、ピアノ製造を行わずに楽器販売によって成長を遂げ、アメリカ中西部最大のピアノ販売店の一つにまでなった。実際にボールドウィン社が自社ブランドによる生粋のアメリカ製ピアノを製造したのはずっと後になってからのことで、第1号のグランド・ピアノが生まれたのが1895年だった。だがそれは、わずか5年後にパリの博覧会でグランプリを受賞するほど優れていた。ボールドウィンは、アメリカのピアノらしい大ホールでも十分に音が届くように設計されたピアノで、低音域には硬さがあって、高音域からはピュアで透明感のある音色がする。スタインウェイのような多彩な音が出るピアノではないが、コンサートホールで弾くにはベーゼンドルファーやベヒシュタインよりも音の通りやすいピアノである。ボールドウィンを愛用しているピアニストの名をあげるとするならば、最初に思い出されるのがホルヘ・ボレットだろう。ボレットはベヒシュラインを愛用し、リストの作品などで魔法のように多彩な音色を聴かせたが、ドビュッシーの『前奏曲集』や、メンデルスゾーンの『前奏曲とフーガ第1番』、フランクの『前奏曲、コラールとフーガ』、リストの『ノルマの回想』などを演奏した晩年のリサイタルのライブ録音やコンチェルトでは、ボールドウィンを弾いていた。またボレットはデッカに数々の録音を行う以前に、ボールドウィン・アーティストとしてRCAでリストの『作品集』の録音を行った。
心を奪われるふっくらとした音色で『自分の考えで弾く』ピアニスト。ホルヘ・ボレット(Jorge Bolet)は1914年11月15日、キューバのハバナ生まれ、姓名の日本語表記は、一時フランス語読みの「ボレ」と表記されていたが、当人の出身地キューバの公用語であるスペイン語にもとづいて「ボレット」に表記が統一された。12歳の時にフィラデルフィアに渡り、カーティス音楽学校にてレオポルド・ゴドフスキーとデヴィッド・サパートンに師事。また、作曲家フランツ・リストの孫弟子にあたる。1946年まで存命という、リストの弟子の中で特に長生きをしたモーリツ・ローゼンタールとロシア・ロマン派のラフマニノフの従兄であり、リストの弟子でもあったアレクサンドル・ジロティにも師事し、ジロティの下で19世紀ロマン派の演奏様式をしっかりと受け継いだ自身の演奏スタイルを確立した。卒業演奏ではショパンのピアノ・ソナタ第3番とゴドフスキーの『こうもり』によるパラフレーズを演奏した。広く欧米で演奏活動を繰り広げ、1939年から1942年まで母校カーティス音楽学校で教鞭を執るが、1942年に米軍に入隊し、第2次世界大戦後にはGHQの一員として日本に派遣された。日本滞在中に、駐日アメリカ軍の音楽監督としてギルバート&サリヴァンのオペレッタ『ミカド』の日本初演を指揮した。ピアニストとしては名声とは無縁だったが、後にルドルフ・ゼルキンの後任としてカーティス音楽院ピアノ科の主任教授を務めたが、やがてその地位から退き、再び演奏活動に取り組んだ。その輝かしい音と絶妙な陰影付けによる色彩感溢れる演奏は、ようやく1970年代初頭になってから、カーネギーホールでの演奏によって評価を確かなものにしていった。晩年を迎えた1978年からデッカ・レコードと契約して、主要なレパートリーを録音し続けたことが、「別の時代からやって来た、ヴィルトゥオーソ」と話題になり、脚光を浴び世界中にボレット・ファンを生み出した。教育者として、アメリカのテレビ局から国際ピアノマスタークラスが全編放映され、その演奏動画を十分に堪能することが出来る。クラシックだけでなくロックも聴く多彩な教養人であった。ボレットは、とりわけロマン派音楽の大作の演奏や録音によって記憶され、リストとショパンの解釈は特に有名である。また、トランスクリプションやもの珍しいレパートリーにも精通し、ゴドフスキーの恐ろしく演奏の至難な作品の、その多くを作曲者本人に師事して、自分のものとしていた。現在、プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番は多くの録音リリースに恵まれ、日本人の演奏すら珍しいことではなくなったが、この作品の世界初録音はボレットのものである。決定版とされたマルコム・フレイジャーの演奏よりも数年先んじている。たしかに「無視された」時間は長かったかもしれないが、初期から実力は認められており、かつては「エベレスト」レーベルにロマン派の協奏曲を録音している。この時期が「全盛期」であり、広く認められたカンタービレを重視した後年のスタイルと違い、人間業を超えた強奏なども見られる。1990年10月16日没。
Chopin;Piano Recital
Chopin
Everest Records
1996-01-18

  1. Nocturne No. 2 in E-Flat Major, Op. 9
  2. Etude No. 3 in E Major, Op. 10 'Tristesse'
  3. Etude No. 5 in G-Flat Major, Op. 10 'Black Keys'
  4. Etude No. 12 in C Minor, Op. 10 'Revolutionary'
  5. Prelude No. 15 in D-Flat Major, Op. 28 'Raindrop'
  6. Polonaise No. 1 in A Major, Op. 40 'Military'
  7. Polonaise in A-Flat Major, Op. 53 'Heroic'
  8. Waltz No. 1 in D-Flat Major, Op. 64
  9. Waltz No. 2 in C-Sharp Minor, Op. 64
  10. Impromptu No. 4 in C-Sharp Minor, Op. 66 'Fantasie Impromptu'
Recording at 1961 in Bayside, Belock Recording Studio.
US EVEREST SDBR3079 ホルヘ・ボレット ショパン・…
US EVEREST SDBR3079 ホルヘ・ボレット ショパン・…