34-17082

商品番号 34-17082

通販レコード→米レッド黒文字盤

死後は急速に忘れられつつあるヒンデミットですが、第2次世界大戦の前後はスター作曲家の一人であった。 ― 20世紀の大巨匠指揮者だったヴィルヘルム・フルトヴェングラーの君臨ぶりを語り合う時に、ヒンデミット事件は共に記憶していることが前提にあるほど、SPレコードの時代にヒンデミットは演奏家として、作曲家としてドイツ楽壇の中心人物だった。「ウェーバーの主題による交響的変容」、「画家マティス」、「弦と金管のための演奏会用音楽」は代表作として録音も多い管弦楽曲ですが、パウル・ヒンデミット(1895〜1963)は、ナチスによってその作品が退廃音楽とされ、フルトヴェングラーの擁護にもかかわらずドイツ国内での演奏・活動機会は失われ、命の危険さえも出てきたために、スイスからアメリカに亡命することになります。この交響曲は、ちょうどアメリカに亡命した1940年に書かれ、翌年にディミトリ・ミトロプーロス指揮ミネアポリス交響楽団によって初演が行われたとなっています。今では演奏機会も少なく、したがって録音数も多くないこの交響曲はかなり派手な金管楽器が鳴り響く第1楽章は比較的短く終わってしまい、暗く陰鬱な弦楽合奏で始まる第2楽章がかなり長く続きます。堅牢な要塞を連想させるようなヒンデミット独特の部厚い響きは、ときとして側まで近寄ることは許しても内側に入るのは拒否しているような感覚になってしまいます。不協和音の連続で人の感覚を刺激するような類の音楽ではありませんのに、意図的に親しみやすさから遠く離れたところにいるような気にさせられます。比較的短い第3楽章は、速いテンポの快活さがあるもののリズム感はどこか攻撃的に感じるところがあり、最後の第4楽章は、さらに攻撃性が強まっていく。せわしなくテンポをを変え、ときおり聞こえてくる部厚い響きには緊張感がありますし、木管楽器を中心に奏される静かな音楽は、無理をして楽しさを装っている裏側の物悲しさのように聞こえます。コーダの前の静かな弦楽合奏の深い絶望感から、最後は大音量で終わりますけれども、どこかすっきりしない終わり方です。典型的なアメリカ映画によくある、明るい未来へと続くハッピー・エンド感は強く感じません。1958年のサー・エイドリアン・ボールトの演奏は、初のステレオ録音になったもので今でもレアで栄誉を浴しています。全曲を通じて余裕のある遅めのテンポを維持し、常に巨匠的な風格を感じさせ、あらゆる音符が雄弁に語りかける。〝イギリス音楽の守護者〟ボールトが英国音楽だけでなく独墺系音楽も得意としていたのが記憶に残るだけでなく、心を揺さぶられる演奏だった。オーディオ評論家の故・長岡鉄男氏が激賞したことでオーディオファンにも高音質で知られるようになった伝説のエヴェレスト(Everest)レーベルは、カルトな人気を誇るアメリカのレコード・レーベル。1958年にニューヨークにて設立されたクラシックをメインにリリースしていたレーベルだったが、ステレオ創世記であった当時に「映画で使われる35mm磁気テープと同じ35mm幅の磁気テープを使用した自社開発の高性能録音機器にて制作した高音質のステレオ作品」を売りに話題を呼び、実際その高音質作品は多くのオーディオマニアを驚かせ、支持を獲得している。また、マーラーの交響曲第5、9番の初のステレオ録音や、死の数日前に録音されたヴォーン=ウィリアムズの交響曲第9番、アーロン・コープランドの初指揮となる交響曲第3番等、レーベルの垣根を超えて貴重な演奏をライセンス契約したリリースでも、歴史的資料を多く排出したという点においても大きな功績を残した。Everestの35ミリ磁気テープ録音は、大編成のオーケストラに威力を発揮する。ステレオ黎明期のモダン・オーケストラの能力を最大限効果を上げ、金管楽器や打楽器を多用しシンバルが派手にならされ豪華絢爛という派手な演奏ですが、聴いた後の爽快感がいい。
サー・エイドリアン・ボールトは「私は常に指揮をとるということは、船の船長になるようなものだと思ってきた。私には石油のドラムカンといっしょにころげまわる理由はまったくない」と言った。ボールトというと、長命だったこともあってか晩年の老成した演奏のイメージが強いのですが、1950年代までの彼は、ときにかなりアグレッシヴな演奏も行うという、爆演も辞さぬ積極的な芸風の持ち主であったことはマニアにはよく知られています。エルガーやホルスト等も得意としたイギリス音楽のスペシャリストとされるボールトによるヴォーン=ウィリアムズは、サー・ジョン・バルビローリ指揮のものと並んで決定版と言えるものです。長寿の作曲家と長寿の指揮者の組み合わせでもあり、極めて〝イングリッシュ〟な両者の取り合わせでもある。つまり、一歩間違えれば時代錯誤も甚だしいアナクロに陥るものが、まさに芸術の域に昇華されているわけで、極めてイギリス的な際どさがスリリング。ボールトはオックスフォード大学で音楽の学位を得たのち、ライプツィヒ音楽院でマックス・レーガーに作曲を学ぶ傍らハンス・ジットに指揮を学びますが、この地でボールトが最も感銘を受けたのは、アルトゥール・ニキシュによるリハーサルやコンサートの数々だったといいます。ボールトは20歳代初めの若い頃、ライプツィヒで偉大な指揮者ニキシュに私淑したが、晩年に至るまで讃仰の気持ちは変わることがなかった。「ニキシュは私などよりももっと簡素だった。今日、若い世代の指揮者たちには余りにも跳び回る傾向がある。もっとも、彼らはそうすることを期待されているのかもしれないがね。また最近の傾向としては、総体的な建築的構成を犠牲にしてディテール(細部)をほじくることが著しく目立っていると思う。」とは、ボールトの現代批判であるが反面、聴き手はボールトに一種の安全弁のようなものを見出していたようである。少なくともイギリス人はそうであった。〝イギリス音楽の守護者〟ボールトが英国音楽だけでなく独墺系音楽も得意としていたのは、そうした事情が背景にあるとも思われ、これまでにも両分野での人気には絶大なものがありました。ステレオ黎明期の英国EMIでイギリス楽壇の重鎮として重要な役割の貢献者、どれも堂々たる仕上がりのボールトらしい立派な演奏で、リズムの弾力性の高さもボールトの多くの録音の中でも群を抜くもの。録音も驚異的に良く。まさに実在の響き。EVEREST盤は信じ難いエネルギーとカロリーで迫って来る。ここでもアンサンブルはかっちりと凝縮されており、極めて清潔なその響きにも酔いしれます。
英国の巨匠サー・エイドリアン・ボールト(Adrian Boult, 1889~1983)は、20世紀の英国の生んだ最もノーブルな指揮者として知られています。オックスフォード大学を経てライプツィヒ音楽院に留学、マックス・レーガーに作曲を学ぶ傍らゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者だったアルトゥール・ニキシュに私淑し、大きな影響を受けています。イギリスに帰国後、直接親交のあったエルガー、ホルスト、ヴォーン=ウィリアムズらイギリスの作曲家の作品を取り上げて高く評価され、1930年には新しく創設されたBBC交響楽団の初代首席指揮者に就任、幅広いレパートリーをイギリスに紹介しています。中でもボールトの代名詞ともいうべき作品がホルストの組曲「惑星」です。1945年のBBC響とのSP録音(EMI)を皮切りに、ボールトは生涯に「惑星」を5回録音も録音しています。1918年9月ロンドンのクイーズ・ホールにおける作品の非公開の全曲演奏(私的初演)が行われた際にホルストからの依頼で指揮をとったのがボールトであり、その成功によって《惑星》に初めて輝きをもたらし、作曲者の感謝を受けたエイドリアン・ボールトにという献辞の書き込まれた印刷譜を作曲者から送られています。戦後はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、バーミンガム市交響楽団の首席指揮者を歴任しつつ、イギリス音楽界の大御所として1981年、92歳という高齢で引退するまで矍鑠とした指揮活動を続けました。ボールトはJ.S.バッハからハヴァーガール・ブライアンまで幅広いレパートリーで卓越した演奏を聴かせる指揮者でしたが、最も得意とするのはイギリス音楽とニキシュの影響を強く受けたドイツ・オーストリア音楽でした。イギリス人にいわせると軍服ならぬエンビの退役将軍、あるいはパブリック・スクールの老校長を想わせるというが、姿勢の正しさと無駄のないキビキビしたジェスチュアは、まさしく老将軍といった面影をそなえている。ボールトは柔和な表情のうちに威厳を兼ね備えている。一見してイギリス人らしい風貌の持ち主である。ボールトはSPレコードが電気吹き込みになる以前の1920年代からイギリスの様々なレーベルに録音しているが、その中の大手である英 EMI がボールトを発見したのは、1966年、ボールト77歳のときだった。80歳の誕生日祝いのコンサートを振った折り、ボールトはふと、こんなことをもらした。「レコード会社は、ほぼ10年ほど前に私がまだ生きていたってことに突然気づいた。こんなに忙しいのは嬉しいことだが、私がもっと元気だった、それより10年前(60歳代)に起こったらねえ」。一口にいってボールトは極めて地味な指揮者だったから、人気者で名物男だったサー・トーマス・ビーチャムが、1961年に82歳で没し、公衆のアイドルだったサー・マルコム・サージェントが1967年に72歳で没し、芸術の夕映えに輝いていたサー・ジョン・バルビローリが1970年に70歳で没したのち、後釜にボールトが浮上していたというわけである。晩年の10年間、ボールトの録音に協力したクリストファー・ビショップの談によると、80歳代の高齢にもかかわらずボールトの耳は以前としてシャープであり、老眠鏡もかけずに、こまごまとした手書きスコアを読むことができ、健康な食欲に恵まれ録音スタジオのキャンティーン(簡易食堂)で楽員たちと同じ食事をうまそうに平らげていたそうである。
録音:August 1958, Walthamstow Assembly Hall, London, UK
US EVEREST SDBR3008 エイドリアン・ボールト ヒン…
US EVEREST SDBR3008 エイドリアン・ボールト ヒン…