フルトヴェングラーのステレオ盤。 ― オーディオ評論家の故・長岡鉄男氏が激賞したことでオーディオファンにも高音質で知られるようになった、伝説のエヴェレスト( Everest )レーベルは、ステレオ最初期の1950年代後半、映画と同じ 35mm 磁気テープを使った高音質の録音で世界のオーディオファンの支持を獲得している。「The Genius of Wilhelm Furtwängler」は、ブラームス「ハイドンの主題による変奏曲」、リヒャルト・シュトラウス「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」、モーツァルト「交響曲第40番ト短調 K.550」の第4楽章と、シューベルト「交響曲第8番“未完成”」第1楽章のリハーサルがステレオ( Electronically Re-recorded to Simulate Stereo )で楽しめる。
先輩格のニキッシュから習得したという指揮棒の動きによっていかにオーケストラの響きや音色が変わるかという明確な確信の元、自分の理想の響きをオーケストラから引き出すことに成功していったフルトヴェングラーは、次第にそのデモーニッシュな表現が聴衆を圧倒する。当然、彼の指揮するオペラや協奏曲もあたかも一大交響曲の様であることや、テンポが大きく変動することを疑問に思う聴衆もいたが、所詮、こうした指揮法はフルトヴェングラーの長所、特徴の裏返しみたいなもので一般的な凡庸指揮者とカテゴリーを異にするフルトヴェングラーのキャラクタとして不動のものとなっている。戦前、ベルリン・フィルハーモニーやウィーン・フィルハーモニーをヨーロッパの主要都市で演奏させたのは、ナチスの政策の悪いイメージをカモフラージュするためであった。1933年1月30日、ヒトラーは首相に就任しナチス政権が始まった。25歳のヘルベルト・フォン・カラヤンは、この年の4月8日、オーストリアのザルツブルクでナチスに入党した。カラヤンはそれからすぐにドイツのケルンにおもむき、同年5月1日、党員番号3430914としてケルン―アーヘン大管区であらためて入党した。オットー・クレンペラー、フリッツ・ブッシュ、アドルフ・ブッシュ、アルトゥール・シュナーベル、ブロニスラフ・フーベルマン、 マックス・ラインハルトなどが、次つぎと亡命し、ついにゲヴァントハウス管弦楽団の主席指揮者であったブルーノ・ワルターがドイツを去ることになった。世界はフルトヴェングラーがどのような態度をとるか興味ぶかく見守っていた。アルトゥーロ・トスカニーニやトーマス・マンなどは、フルトヴェングラーはドイツに留まることによってナチスに協力し、それを積極的に支持したと非難した。しかし、フルトヴェングラーは1928年に、「音楽のなかにナショナリズムを持ち込もうとする試みが今日いたるところに見られるが、そのような試みは衰微しなければならない。」と厳しく警鐘を鳴らしていた。1933年7月、フルトヴェングラーはプロイセン首相のゲーリングから枢密顧問官の称号を与えられた。この称号は、総理大臣(ゲーリング)、国務大臣、総理が任命する50名の高官、学者、芸術家によって構成された。枢密顧問官は名誉職であり、たとえば鉄道が無料となるなどの特権があった。ほかに総理から必要な費用の支払を受けることができ、この費用の受け取りを拒否できないとあった。フルトヴェングラーはこの称号をなにかで利用することはなかったし、1938年11月の「水晶の夜」が起こってからは、この称号をけっして使うことはなかった。しかしフルトヴェングラーをナチスの一員として非難する人たちは、この称号を受けたことを立派な証拠とみなしていた。フルトヴェングラーはドイツにおいて高額所得者であったが、仮にイギリス、アメリカに移住しても金銭的に不自由することはなかったであろう。それどころか反対に、より豊かになったことは間違いない。フルトヴェングラーがなぜ、ナチスと妥協したりせずに外国に移住しなかったのだろうか。フルトヴェングラーのきわめて、おそらくは過渡に発達した、使命感だった。つまり、彼がひきつづきドイツに留まり音楽を創造していくことが、彼と同じ気持ちを懐いているすべての『真正なる』ドイツ人に慰めを与えるのだという確信だった。フルトヴェングラーはたしかに国外にいるよりは国内にいることによって、迫害された人たちをより多く助けることができたのだった。 … トスカニーニはムッソリーニにどれほどの打撃を与えたか。マンはヒトラーにどれほどの打撃を与えたか。やはりドイツの伝統を維持していたウィルヘルム・ケンプと対比してユーディ・メニューインは推察した。「もしも現代においてウィルヘルム・ケンプが、どこにいようとも、ドイツの伝統を守ることができるのであれば、フルトヴェングラーはかくも深く過去に根ざしていたので、彼は国外移住が独自性を危険にさらすこと、山や平原と同様に国にも属している種族や国民の魂が存在すること、彼の音楽的ヴィジョンがドイツにおいてドイツの公衆を前にしたドイツのオーケストラにより、最良の状態で存在が可能となることを信じていたのかもしれない」フルトヴェングラーがベルリン・フィル、つまりドイツのオーケストラの演奏を維持し続けることに大義があった。
ベルリン・フィルの「ハイドンの主題による変奏曲」は ― この変奏曲のような形式であると ― 交響曲の場合と違って、フルトヴェングラーの即興的で自由なテンポ感覚と、ブラームスの形式感が違和感なく同居する感じがします。各変奏の個性がよく描き分けられて、楽想の変化がドラマティック。オーケストラの動きは直線的でアクセントが強く、それは半ば強引で深い呼吸で旋律を歌って欲しい期待も持つほど、テンポ速めの変奏は、一刀彫りのような荒々しさとライヴ感覚に満ちた清々しさがあって、構成としても緊密で聴き応えがある。リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」は、この曲の模範的な演奏のひとつです。ベルリン・フィルが実にうまい。暗目の弦楽器の響きが醸し出す濃厚なロマンティシズムと、金管楽器は渋く重みがあって、木管楽器はユーモアたっぷりです。フルトヴェングラーは全体に早めのテンポをとって、スッキリとした古典的な感触に仕上げています。表現が自在で、しかもそのテンポの動きがぴったりと枠に収まりきっているのに、これほど自由闊達な演奏なのに不思議に整然とした印象が強い。自家薬籠中の見事なものだ。
フルトヴェングラーの音楽を讃えて、「音楽の二元論についての非常に明確な観念が彼にはあった。感情的な関与を抑制しなくても、構造をあきらかにしてみせることができた。彼の演奏は、明晰とはなにか硬直したことであるはずだと思っている人がきくと、はじめは明晰に造形されていないように感じる。推移の達人であるフルトヴェングラーは逆に、弦の主題をそれとわからぬぐらい遅らせて強調するとか、すべてが展開を経験したのだから、再現部は提示部とまったく変えて形造るというような、だれもしないことをする。彼の演奏には全体の関連から断ち切られた部分はなく、すべてが有機的に感じられる。」とバレンボイムの言葉を確信しました。これが没後半世紀を経て今尚、エンスーなファンが存在する所以でしょう。
US EVE EVEREST ST3252 ヴィルヘルム・フルトヴェ…
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