34-15411

商品番号 34-15411

通販レコード→米 2EYES〝360 SOUND〟白文字盤

肩のこらない好盤 ―  ハイドンの交響曲第88番が発売されたのは1969年となったが、その録音の直後にマーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」だけの録音を挟んで本盤のセッションが組まれている。晩年のレナード・バーンスタインはもちろん魅力的である。たっぷりと思いを込めた ― 粘着質といいたいところだが、粘ってもてベタついた感じが全然しない ― ところは、同時代のヘルベルト・フォン・カラヤンやジュゼッペ・シノーポリとは異なっているようでいて共通する部分も感じられる。ピアニスト、指揮者、作曲家のいずれであろうとバーンスタインは音楽の世界の色を変えました。「オン・ザ・タウン」によってブロードウェイで初めての素晴らしい成功を収め、「ウエストサイド・ストーリー」は世界的なヒットとなりました。音楽ジャンルの境界線を破り輝く指揮者となり世界中の観衆を驚かせ、彼が登場する場所では〝レニー〟の愛称でもって愛情と賞賛に歓迎された、魅力的で音楽的な天才といえるでしょう。この手の作品演奏に関してレニーはよくカラヤンと比較されて文句をつけられたものである。確かに演出力という点ではカラヤンの足元にも及ばなかったが、明るい曲で示される天衣無縫な躍動感には欧州系の指揮者にはない魅力がある。晩年になるにつれ感情の高まりだけでなく全体へ細心の注意を払いながらも、演奏者と聴き手を高みへ誘導していくバーンスタインのスタイルが確立していきますが、然し、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任した当時のバーンスタインには、それとは違う特別な魅力がある。爽やかで楽しく、ワクワクする演奏だ。バーンスタインが1950年代から1970年代にかけてCBSに残した録音は、作曲家としての複眼的視点で緻密にアナリーゼされた解釈をもとに音楽の喜びを全身全霊で伝えようとする情熱に満ちている。この時代のニューヨーク・フィルハーモニックには、フルートのジュリアス・ベイカー、オーボエのハロルド・ゴンバーグ、クラリネットのスタンリー・ドラッカー、ホルンのジェームズ・チェンバーズ、トランペットのウィリアム・ヴァッキアーノ、打楽器奏者のソール・グッドマン、ウォルター・ローゼンバーガーらが名手として名高い。コンサートマスターはジョン・コリリアーノ、デイヴィッド・ネイディアンであった。本盤のグローフェでのヴァイオリン・ソロは作曲家、ジョン・コリリアーノの父の方のコリリアーノ。1958年から1973年までバーンスタインが担当した『ヤング・ピープルズ・コンサート(Young People's Concert)』は、斬新なテーマの選定だけでなく楽曲の選定と構成、台本執筆とも自身で行っている充実した内容は、啓蒙家バーンスタインの面目躍如たるシリーズであり、彼の汎ゆる情熱と才能が指揮活動に向けられていた時期。バーンスタインの華麗な指揮と明快な音楽解釈、そして何より豊かな音楽的才能は大編成による豊かな表情と振幅の大きなダイナミズムを特徴とするものですが、ニューヨーク・フィル時代は音楽づくりがまだ率直なこともあり、勢いの良さとリズミカルな楽しさが聴きものともなっています。〝グレーテスト・ヒッツ〟を、同時代のアメリカの商業ロックに重ねて聴くのがいいだろう。つまり〝名曲集〟よりパフォーマンス。サーヴィス精神にあふれたバーンスタインならではの愉しく、それでいて深みも忘れない名演集です。加えて、アナログ録音初期~最盛期の米コロンビアの鮮明かつ精細でワイドレンジの〝360サウンド〟を心行くまで堪能できます。
Bernstein's Greatest Hits
  • Side-A
    1. Smetana: Dance of The Comedians, from "The Bartered Bride"
    2. Tchaikovsky: Waltz of The Flowers, From "The Nutcracker"
    3. Hérold: Zampa Overture
    4. Falla: Ritual Fire Dance, from "El Amor Brujo"
  • Side-B
    1. Bernstein: Overture to "Candide"
    2. Grofé: On The Trail, from "Grand Canyon Suite"
    3. Grieg: Norwegian Dance No. 2, op. 35
    4. Chabrier: España (Spanish Rhapsody)
レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein, 1918.8.25〜1990.10.14)は、20世紀楽壇でカラヤンと人気を二分したスター指揮者。アメリカが生んだ20世紀を代表する大指揮者であり、作曲家、ピアニスト、そして教育者、理論家など、音楽の多方面にわたって優れた業績を残した偉大な「音楽家」。熱い感情迸る魂の演奏は、多くの共感を呼び、カリスマ的な支持を得て多くの人に愛されました。1958年、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任してからは、多くのアメリカ人作曲家の作品を紹介してきました。なかでも親交の深かったコープランドの作品は生涯を通じて演奏しました。ニューヨーク・フィルハーモニックは、〝Big Five〟と言われるアメリカ5大オーケストラのひとつ。ニューヨークで唯一、常設されたコンサートオーケストラで創立はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と同じ1842年。その長い歴史の中で必ずしも常に最高の演奏水準を保ってきたわけではないが、伝統的に特に管楽器に名手を多く擁し、幅広いレパートリーに対応できる柔軟性を誇っている。そこには、ユージン・オーマンディやレオポルド・ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団、ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団、ゲオルク・ショルティとシカゴ交響楽団、セルゲイ・クーセヴィツキーや小澤征爾あるいはシャルル・ミュンシュとボストン交響楽団にみられる他のアメリカの主要オーケストラに比べると、特定の指揮者との長期間の結び付きはニューヨーク・フィルにはない。1909年にグスタフ・マーラーを常任に迎え、演奏レヴェルの向上に努め、楽団員をフルタイムの団員とした。第一次世界大戦中の1917年10月にはレコード録音も始める。1921年にナショナル交響楽団、1923年にはニューヨーク・シティ交響楽団を吸収し、ジョセフ・ストランスキーとウィレム・メンゲルベルクの2人が常任の地位を分け合う双頭体制がスタートした。1925年からの2年間、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがフィルハーモニーへ集中的に客演し、1927年からアルトゥーロ・トスカニーニとメンゲルベルクの双頭体制に代わり、1928年3月20日には最大のライバルであったニューヨーク交響楽団を吸収した。これによって名称はニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団となった。より人口の少ないロンドン、ベルリン、パリなどが5~7団体を擁しているのに比べ異例であるが、1団体にパワーを集中させる傾向は米国の他の大都市にも見られる。1936年にトスカニーニがニューヨーク・フィルの常任を退き、当時まだ30歳代だったジョン・バルビローリが引き継いだ。
1943年から1947年にかけてはアルトゥール・ロジンスキが常任のポストにつき、1943年11月14日には、当時副指揮者だったバーンスタインが、ブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルに伝説的なデビューを飾った。1947年から1949年にかけて、ワルターが音楽顧問という形でニューヨーク・フィルの中心的存在となっていた。1949年から1950年は、ストコフスキーとディミトリ・ミトロプーロスが同じ立場を継いだ。この1950年代にエヴェレスト・レコード社から、ストコフスキー、バーンスタイン、カルロス・チャベスなどが指揮する「ニューヨーク・スタジアム交響楽団」のレコードが発売されているが、これは契約上の関係からのニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の変名だといわれている。1957年、音楽監督ミトロプーロスは「首席指揮者」に肩書きが変わり、同じ地位を若きアメリカ人指揮者バーンスタインと分け合う体制となった。バーンスタインの華麗な指揮と明快な音楽解釈、そして何より豊かな音楽的才能は、この誇り高き扱いにくいオーケストラの楽員たちを瞬く間に手なずけた。彼のスター性と相まって、バーンスタインとニューヨーク・フィルとのコンビによるレコーディングやテレビ放送にも注目が集まり、ニューヨーク・フィルの黄金時代が到来した。彼はコンサートの回数を増やし、楽員の雇用形態も安定させ、レコーディングも積極的におこなった。バーンスタイン時代に、楽団の正式名称もニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団からニューヨーク・フィルハーモニックへと改められた。1969年にニューヨーク・フィルの音楽監督を辞任した後は常任指揮者等の特定のポストには就かず、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、ロンドン交響楽団、フランス国立管弦楽団などに客演、その活動の軸足をヨーロッパに向けるようになった。ロンドン響とは、桂冠指揮者の関係を得て多くの録音や、音楽祭への出演があり、このオーケストラの豊かなフレキシヴィリティにバーンスタインが大いなる共感と親近感を抱いてました。1970年2月にバーンスタインは、そのロンドンに腰を据えて、「ヴェルディのレクイエム」のレコーディングには1週間に渡って密なる取り組みで臨みました。音楽解説者・教育者としても大きな業績を残し、テレビ放送でクラシック音楽やジャズについての啓蒙的な解説を演奏を交えて行い、音楽家として社会的なメッセージを発信する活動も数多く行ったが、時にはそうした行動が物議を醸すこともあった。
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはハスキルやグリュミオー、カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から60年にかけてのレコードには、本盤も含め米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。
1963年1月21日(シャブリエ、エロルド)、28日(スメタナ)ニューヨーク、フィルハーモニック・ホールでの録音。1965年2月16日(デ・ファリャ)ニューヨーク、マンハッタン・センターでの録音。Cover Photo – Don Hunstein, Producer – John McClure.1965年初発。
US COL MS6988 レナード・バーンスタイン バーンスタイン…
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