34-15600

商品番号 34-15600

通販レコード→米ブルー・レーベル黒文字盤 Walking Eye

ハイドンの交響曲の最高峰といってよい ―  101番「時計」と並ぶ、100番「軍隊」は、けっして日本の格式張った軍楽隊の音楽ではなく、古典的な軍隊用の打楽器、大太鼓、シンバル、トライアングルを使った曲のひとつとして、大衆受けを狙った内容なので「ミリタリー」が良いと思え、軍隊というニックネームのお蔭でずいぶん損をしている。ハイドンの交響曲第93番から第104番までは、興行主ヨハン・ペーター・ザーロモンの誘いによりロンドン滞在中(1791〜95年)に書かれたことから、ロンドン・セット(またはザロモン・セット)と呼ばれ、103番と104番は、さらに高みに昇った曲だとは思うが、完成度という点では時計・軍隊には及ばないと思う。晩年のレナード・バーンスタインはもちろん魅力的である。たっぷりと思いを込めた ― 粘着質といいたいところだが、粘ってもてベタついた感じが全然しない ― ところは、同時代のヘルベルト・フォン・カラヤンやジュゼッペ・シノーポリとは異なっているようでいて共通する部分も感じられる。晩年になるにつれ、感情の高まりだけでなく全体へ細心の注意を払いながらも、演奏者と聴き手を高みへ誘導していくバーンスタインのスタイルが確立していきますが、然し、ニューヨーク・フィルの音楽監督に就任した当時のバーンスタインには、それとは違う特別な魅力がある。ハイドンの演奏は難しいのだという。通り一遍の演奏はできても、そこを超えるのがたいへんだ。同じように曲が素晴らしくても、だれが演奏しても曲の素晴らしさが前面に出てくるモーツァルトと違い、ハイドンの場合演奏家を選ぶ。演奏家によっては、各曲の個性が表に出て来ず、至極平凡な曲で終わってしまっています。それでバーンスタインのように曲にのめり込むタイプの感情移入の激しい指揮は、ハイドンには不向きのように先入観を思えるのだが、いざ聴いてみればバーンスタインの演奏は彼の体臭をほとんど感じさせない。何よりもハイドンを前面に浮かび上がらせた清潔な演奏になっている。爽やかで楽しく、ワクワクする演奏だ。バーンスタインが1950年代から1970年代にかけてソニー・クラシカルに残した録音は、作曲家としての複眼的視点で緻密にアナリーゼされた解釈をもとに、音楽の喜びを全身全霊で伝えようとする情熱に満ちている。もちろん楽団はニューヨーク・フィルハーモニックでもあり、今ではあまり聴かれなくなった重量感のある骨太の演奏で、たっぷり鳴らしているのは確かなのだけれど、けっしてうるさくない。この時代のオーケストラ奏者には、フルートのジュリアス・ベイカー、オーボエのハロルド・ゴンバーグ、クラリネットのスタンリー・ドラッカー、ホルンのジェームズ・チェンバーズ、トランペットのウィリアム・ヴァッキアーノ、打楽器奏者のソール・グッドマン、ウォルター・ローゼンバーガーらが名手として名高い。コンサートマスターはジョン・コリリアーノ、デイヴィッド・ネイディアンであった。バーンスタインのハイドンは明朗快活、ホットな動的な演奏。セルとは別の意味で端正です。ハイドンはバーンスタインのなかでも大きく占める作曲家であり、彼の汎ゆる情熱と才能が指揮活動に向けられていた時期。バーンスタインのハイドン演奏は、大編成による豊かな表情と振幅の大きなダイナミズムを特徴とするものですが、ニューヨーク・フィル時代は音楽づくりがまだ率直なこともあり、勢いの良さとリズミカルな楽しさが聴きものともなっています。
レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein, 1918.8.25〜1990.10.14)は、20世紀楽壇でカラヤンと人気を二分したスター指揮者。アメリカが生んだ20世紀を代表する大指揮者であり、作曲家、ピアニスト、そして教育者、理論家など、音楽の多方面にわたって優れた業績を残した偉大な「音楽家」。熱い感情迸る魂の演奏は、多くの共感を呼び、カリスマ的な支持を得て多くの人に愛されました。1958年、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任してからは、多くのアメリカ人作曲家の作品を紹介してきました。なかでも親交の深かったコープランドの作品は生涯を通じて演奏しました。ニューヨーク・フィルハーモニックは、"Big Five"と言われるアメリカ5大オーケストラのひとつ。ニューヨークで唯一、常設されたコンサートオーケストラで創立はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と同じ1842年。その長い歴史の中で必ずしも常に最高の演奏水準を保ってきたわけではないが、伝統的に特に管楽器に名手を多く擁し、幅広いレパートリーに対応できる柔軟性を誇っている。そこには、ユージン・オーマンディやレオポルド・ストコフスキーとフィラデルフィア管弦楽団、ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団、ゲオルク・ショルティとシカゴ交響楽団、セルゲイ・クーセヴィツキーや小澤征爾あるいはシャルル・ミュンシュとボストン交響楽団にみられる他のアメリカの主要オーケストラに比べると、特定の指揮者との長期間の結び付きはニューヨーク・フィルにはない。1909年にグスタフ・マーラーを常任に迎え、演奏レヴェルの向上に努め、楽団員をフルタイムの団員とした。第一次世界大戦中の1917年10月にはレコード録音も始める。1921年にナショナル交響楽団、1923年にはニューヨーク・シティ交響楽団を吸収し、ジョセフ・ストランスキーとウィレム・メンゲルベルクの2人が常任の地位を分け合う双頭体制がスタートした。1925年からの2年間、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがフィルハーモニーへ集中的に客演し、1927年からアルトゥーロ・トスカニーニとメンゲルベルクの双頭体制に代わり、1928年3月20日には最大のライバルであったニューヨーク交響楽団を吸収した。これによって名称はニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団となった。より人口の少ないロンドン、ベルリン、パリなどが5~7団体を擁しているのに比べ異例であるが、1団体にパワーを集中させる傾向は米国の他の大都市にも見られる。1936年にトスカニーニがニューヨーク・フィルの常任を退き、当時まだ30歳代だったジョン・バルビローリが引き継いだ。
1943年から1947年にかけてはアルトゥール・ロジンスキが常任のポストにつき、1943年11月14日には、当時副指揮者だったバーンスタインが、ブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルに伝説的なデビューを飾った。1947年から1949年にかけて、ワルターが音楽顧問という形でニューヨーク・フィルの中心的存在となっていた。1949年から1950年は、ストコフスキーとディミトリ・ミトロプーロスが同じ立場を継いだ。この1950年代にエヴェレスト・レコード社から、ストコフスキー、バーンスタイン、カルロス・チャベスなどが指揮する「ニューヨーク・スタジアム交響楽団」のレコードが発売されているが、これは契約上の関係からのニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の変名だといわれている。1957年、音楽監督ミトロプーロスは「首席指揮者」に肩書きが変わり、同じ地位を若きアメリカ人指揮者バーンスタインと分け合う体制となった。バーンスタインの華麗な指揮と明快な音楽解釈、そして何より豊かな音楽的才能は、この誇り高き扱いにくいオーケストラの楽員たちを瞬く間に手なずけた。彼のスター性と相まって、バーンスタインとニューヨーク・フィルとのコンビによるレコーディングやテレビ放送にも注目が集まり、ニューヨーク・フィルの黄金時代が到来した。彼はコンサートの回数を増やし、楽員の雇用形態も安定させ、レコーディングも積極的におこなった。バーンスタイン時代に、楽団の正式名称もニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団からニューヨーク・フィルハーモニックへと改められた。1969年にニューヨーク・フィルの音楽監督を辞任した後は常任指揮者等の特定のポストには就かず、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、ロンドン交響楽団、フランス国立管弦楽団などに客演、その活動の軸足をヨーロッパに向けるようになった。ロンドン響とは、桂冠指揮者の関係を得て多くの録音や、音楽祭への出演があり、このオーケストラの豊かなフレキシヴィリティにバーンスタインが大いなる共感と親近感を抱いてました。1970年2月にバーンスタインは、そのロンドンに腰を据えて、「ヴェルディのレクイエム」のレコーディングには1週間に渡って密なる取り組みで臨みました。音楽解説者・教育者としても大きな業績を残し、テレビ放送でクラシック音楽やジャズについての啓蒙的な解説を演奏を交えて行い、音楽家として社会的なメッセージを発信する活動も数多く行ったが、時にはそうした行動が物議を醸すこともあった。
ヨーロッパ屈指の家電&オーディオメーカーであり、名門王立コンセルトヘボウ管弦楽団の名演をはじめ、多くの優秀録音で知られる、フィリップス・レーベルにはハスキルやグリュミオー、カザルスそして、いまだクラシック音楽ファン以外でもファンの多い、「四季」であまりにも有名なイタリアのイ・ムジチ合奏団らの日本人にとってクラシック音楽のレコードで聴く名演奏家がひしめき合っている。英グラモフォンや英DECCAより創設は1950年と後発だが、オランダの巨大企業フィリップスが後ろ盾にある音楽部門です。ミュージック・カセットやCDを開発普及させた業績は偉大、1950年代はアメリカのコロムビア・レコードのイギリス支社が供給した。そこで1950年から60年にかけてのレコードには、本盤も含め米COLUMBIAの録音も多い。1957年5月27~28日に初のステレオ録音をアムステルダムにて行い、それが発売されると評価を決定づけた。英DECCAの華やかな印象に対して蘭フィリップスは上品なイメージがあった。
交響曲第99番変ホ長調、交響曲第100番ト長調『軍隊』。1970年、ステレオ録音。
US CBS SBR235793 レナード・バーンスタイン ハイドン…
US CBS SBR235793 レナード・バーンスタイン ハイドン…