個性豊かなバッハ ― SPレコード時代から革新的だったストコフスキー。レコーディングの時にはオーケストラの前にはダミーの指揮者を置いて行った強者。楽譜にない楽器を加えたり、音を盛ったりたいそうな音の魔術師ストコフスキーの偉大にして華麗なバッハ。形式にこだわらずに音楽の輝きを大胆に表現する指揮ぶりは実にユニークな存在感を現在でも放っています。「トッカータとフーガ ニ短調」は、お国巡り名曲選の趣きのある『Landmarks of a Distinguished Career ( SP 8399 , MFP 2145 )』として、「G線上のアリア」はボッケリーニの弦楽五重奏曲の《メヌエット》や、チャイコフスキーの弦楽四重奏曲の《アンダンテ・カンタービレ》をストリングス・オーケストラに拡大して演奏した『Stokowski The String Orchestra ( SP 8458 , SXLP 30174 )』として、折有るごとにバッハの楽曲をオーケストラ編曲して魅了してきたストコフスキー。オルガンとオーケストラの機能を知り尽くしたストコフスキーの本領発揮。充実したバッハのオーケストラ編曲で満足させる、このレコードは英国では EMI Music For Pleasure MFP 2062 として発売されています。「パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV582」、コラール「甘き死よ、来たれ BWV478」、イギリス組曲第2番 BWV807 より「ブーレ」、パルティータ第1番 BWV1002 より「サラバンド」、カンタータ BWV80 よりコラール「神はわがやぐら」、クリスマス・オラトリオ BWV248 よりシンフォニア「羊飼いのうた」、小フーガト短調 BWV578。色彩豊かでスペクタキュラーな編曲と演奏には説得力があり、その絶妙な響きによる音楽は無類の魅力を放っています。1957年2月5, 7, 11日にニューヨークで録音セッションが行われた、3トラック・ステレオ・テープを使用して話題となったキャピトル盤。本アルバムはまさに彼のオーケストラを指揮してのストコフスキー・バッハを実現している名盤です。
さて、戦前の日本におけるストコフスキーの代表盤と言えば、「新世界」と「ハンガリアン・ラプソディ」でしょう。1937年に製作された映画「オーケストラの少女」でも使われました。この映画の大ヒットのおかげで、それまでクラシック音楽に縁のなかった多くの大衆が、その楽しさに開眼したそうです。当時の日本のレコード店には、それまで流行歌しか聞かなかったような半纏姿の丁稚さんが、このレコードを買いに押しかけて来たそうです。レオポルド・ストコフスキー( Leopold Stokowski, イギリス 1882~1977)は老いを知らない、まるで逆に年をとっているのではないかと思われるほど、いつまでも若さを失わない指揮者である。あのみごとな銀髪、ギリシャ彫刻を思わせるような、彫りの深い芸術的な顔。指揮棒をすて、しなやかな10本の指からつくりだされる表情豊かな音楽。彼は言葉では表現できないふしぎな魅力をもった指揮者である。1882年、ポーランド人を父に、アイルランドの移民を母としてロンドンに生れた彼は、オルガニストとして音楽の第一歩を踏みだした。13歳で王立音楽大学に入学。1902年、ピカデリーの聖ジェームズ教会のオルガニスト、聖歌隊指揮者となり、1903年にはオックスフォード大学クイーンズ・カレッジで音楽学士号を取得。1905年アメリカに渡りニューヨークの聖バーソロミュー教会でオルガンを弾いていたが、夏の間はヨーロッパで研究を続けていた。1909年、パリで急病の指揮者の代わりに指揮をしてデビュー。その成功がきっかけで、シンシナティ交響楽団の常任指揮者に就任。ごく短期間のうちにその実力を相当な高みにまで引き上げた。そしてその腕が買われ、1913年、弱冠31才でフィラデルフィア管弦楽団の常任に迎えられた。それから24年間 ― 1912年から1940年までフィラデルフィア管弦楽団常任指揮者として同楽団を世界最高水準のオーケストラに育て上げたのである。その後、ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団、ヒューストン交響楽団の指揮者をつとめ、その後みずから、全米青少年管弦楽団(1940年)、ニューヨーク市交響楽団(1944年)、ハリウッドボール交響楽団(1945年)、アメリカ交響楽団(1962年)を次々に結成し、その育成に心血をそそぐことでアメリカの交響楽運動の第一線にたち続けた。レオポルド・ストコフスキーは20世紀における個性的な指揮者の一人で、主にアメリカで活動した。SP時代に初めてブラームス全集を出したり、映画音楽を数多く録音したり、とにかく自由奔放に活動した。レパートリーは格段に広い。20世紀のアメリカの、いや世界の大衆にバッハ音楽を紹介した最大の功労者と言ってよい。1941年、フィラデルフィア管弦楽団との戦前最後の演奏会がバッハ(1685~1750)の《マタイ受難曲》であったということが示すように、ストコフスキーにとってバッハの音楽は常に大切なよりどころでもあった。オルガニスト、音楽学者として活躍した20世紀初頭に、ロンドンとオックスフォードでイギリスのバッハ復興運動の第一線にいた経験が、まさに彼のルーツであり、大管弦楽のための数多くのバッハ編曲も、そうした背景から理解できる。一方で1971年までに指揮した7,000回の演奏会のうち、新作の初演はじつに2,000回に及ぶなど、現代音楽の紹介者としての功績も忘れてはならない。その音楽に対する情熱とスケールの大きさには驚かされる。どんな曲でも新鮮な刺戟的な演奏をし、たとえばホルンに強烈なビブラートをかけるのも特徴的で、さらに弦に関しては耽美的、神秘的な響きである。“ストコフスキー・サウンド”とか、“音の魔術師”と呼ばれた、それはまったく「怪物」という印象であった。
ブラック・レインボー・ラベル 1958年10月からキャピトルはステレオ盤を発売しますが、それを機会にレーベルのデザインを一新しました。黒の背景色に虹色の縁取りがあることから一般的にブラック・レインボーと呼ばれています ― レインボー・リム、レインボー・ベルトとも呼ばれることもあります。モノラル盤で先に1958年から使用され、ステレオ盤は1959年から使用された。そもそもデザインの変更が多く、過去のモチーフを復活させたりと困惑することが多いキャピトルですが、「ブラック・レインボー」にも5タイプが確認されています。ここではオリジナル・レインボーと表記しますが、"LONG PLAYING" と "HIGH FIDELITY" の文字が入った第1期のラベルでは1,000タイトルのアルバムがリリースされました。
US CAPITPOL P8489 レオポルド・ストコフスキー バッ…
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